こだわりの生活

ヒゲオヤジの何でもやってみよう、見てみよう挑戦日記

三角コーナーが消えた日

2007-10-31 23:09:44 | 日常生活

清潔な台所というのは主婦にとっての永遠の願いであるはずだが、そこに生ゴミがある限り何かと台所を清潔に保つのが難しいというのが実情だと思う。

生ゴミは流しの三角コーナーに置いといて半日もしたら匂ってくるし、それを回収してゴミ箱に捨てても単に移動しただけの話で、自治体のゴミ収集は毎日ではないので、個人宅で生ゴミを抱えてる事に変わりはなく、鳥や猫に荒らされることを考えると外に置いとくわけにもいかず、置き場所に困る。

生ゴミの発する嫌なニオイや放置しすぎてヌルッとする感触は気持ち悪くてたまらない。

主夫をたまにしかやらない私であるがBio1、毎日の事だけにとても気になってしまう問題だった。

実を言うと、今住んでる家は6年前に新築したのだが、その際この問題を解決する為にバイオの力を借りた生ゴミを堆肥に変える画期的な生ゴミイーターなる製品を導入したのだった。

これは生ゴミをダストシュートよろしく壁に埋め込んだ機械に放り込むと電気の力で攪拌しながら、バイオチップのバクテリアの力で生ゴミを分解して、サラサラな堆肥にしてゆくという素晴しい製品なのだ。

しかし、なかなかの優れものでありながら、いくつかの欠点をも抱えていた。

バイオチップの寿命Bio2が短すぎる事とその交換が大変面倒である事である。

半年程度の寿命であの交換作業の面倒くささがセットになっているのはやりきれない。

機械本体は戸外にあるから、そのチップ交換作業は寒い日や暑い日、雨の日にはやりたくない。

そして何より交換作業がスムーズにいかない。

わずか、10分くらいの作業とはいえ、古いチップと堆肥を全部取り出し、新しいのと入れ替えねばならず、構造上入れ替え中に中身がこぼれたり、とにかく手間がかかり面倒くさい。

ワンタッチで交換出来ればとても便利だと感じている消費者が沢山いると思うが改善されたという話は聞かない。

最初は物珍しさもあって、まめに交換をしていたがその内、チップ交換時期を勝手に延ばす→分解能力が衰える→匂う→使わなくなるというお決まりのパターンにはまってしまう始末だ。

結局使ったのは最初の3年くらいだった。

最近はディスポーザーが欲しくてたまらなかった。

アメリカへ旅行した時にコンドミニアムへ宿泊することが何回かあって、流しに備え付けてあるディスポーザーがとても使いやすく、その便利さにすっかり魅了されてしまった。

スイッチ一つで、何でもバリバリ粉々に砕いて水と一緒に下水Bio4に流せるのはとても気持ちいいものだ。

快感すら感じる。

もちろん生ごみ(有機物)でないといけないが、貝殻や骨ぐらいなら造作もなく粉砕してまう。

日本で普及してないのは何故だろうと思ったら、下水処理場の浄化能力がディスポーザーに対応しておらず、認めてない自治体が殆どだそうだ。

勿論、違反を承知で付けるのも一応有りだが、何となく気が引けて今日まで我慢をしてきた。

そしたら、松下電器さんがやってくれました。

バイオチップではなく、電気式生ゴミ処理機を作ってくれちゃったのだ。

しかも屋内に置けるタイプで、静かで電気もそんなに食わない。

何より面倒なチップの交換もいらず、続けて生ゴミの処理ができる。

Bio3処理が終わった生ゴミはカラカラに乾燥して、量が激減する。

堆肥にするもよし、燃えるゴミとして捨てるもよし、それは自由だ。

変なニオイはしないし、コンパクトで場所も取らず、既に何日か使ってみたが不満な点は全くない。

これで台所より三角コーナーを永久追放できて、流しもスッキリして、嫌なニオイともおさらばとなった。

しかも成田市の助成金が使え、半額で購入できたのでもう言う事なしだ。

これで清潔な台所へ一歩も二歩も近づいた気がする。


命の期限

2007-10-26 14:49:43 | 日記・エッセイ・コラム

先日、木原光知子元水泳選手が亡くなった。

くも膜下出血だった。

59歳の若さで、突然この世を去った。

テレビで活躍してる所を見たばかりだったので、とても信じられなかった。

事故で突然亡くなるのと同じで、自分の余命も知らず、気持ちの整理もつかずに突然死んでいくというのは余りにも切ない気がする。

Main_01おりしも「象の背中」という映画が明日10月27日より公開されるが、自分に照らして自分の余命のことを考え、どう生きていくべきかちょっと考えさせられた。

若い頃は死とは遠い存在であって身近な問題ではなく、深く考える事はしなかった。

勿論、死ぬ事は怖かったが、自分の身に降りかかるとは到底思えなかった。

死とはどこか他人事であって、それ故に突然死についても簡単に受け入れられるところがあり、それはそれで楽だという風に簡単に考えていた。

死ぬ可能性が殆ど無い事が前提で考えていたし、自分と世の中の繋がりが殆ど無かったせいでもあったろう。

年齢が上がっていって結婚をして子供が出来て色んな人との関係が出来てくると、自分の人生が自分ひとりのものでない事を思い知らされた。

そうなると何も知らずに死への準備も出来ずに突然死んでいくというのは、耐えられないし、到底受け入れたくないと思う。

無論、実際に突然死が襲ってきた場合は致し方ないが、病気で余命がある場合はしっかり告知を受け最後のひと時を自分なりに過ごしてその最後を締めくくりたいと思っている。

いたずらに延命治療を受けて苦しんで寿命を延ばした所でどうしようもなく、自分も家族も地獄が続くだけだろう。

助かる可能性のある治療はするが、ただの延命治療はしたくない。

若い頃はひたすらどんな治療でも受け、苦しんで苦しんで頑張ってそれでもダメな時にやっと死への覚悟が出来るという風に思っていた。

そのくらいの力を振り絞った後じゃないと死への旅立ちが怖くて出来ないとも思っていた。

だが、最近思うことはそこまで頑張る必要はないだろうということだ。

自然に死へのカウントダウンが始まって体が衰えていけば死への覚悟は出来ていくだろうし、それよりも元気な内にやりたい事をやって残された時間を有意義に過ごす方が価値がある気がする。

「象の背中」は秋元康原作の単行本で、それが役所広司主演で映画化された。

相当な話題作らしいが、私自身、本も読んでないし、映画も見るかどうか分らない。

だが、これだけ話題になると、どうしても考えさせられてしまう。

余命半年と宣言された男が残された時間をどう過ごしていくのか、主人公の男の年齢がほぼ私と一緒なのでどうしても自分の姿とダブらせてしまう。

幸か不幸か私には愛人はいないので、その方面への気がかりはなく、家族のことだけを考えればいいだけだ。

自分の余命があと半年なら、真っ先に会社を辞め、生命保険のリビングニーズの適用を受け、体が元気な内に世界中を旅行をして見ておきたいものを観て、南の島のリゾートで1ヶ月くらい自然の中で過ごして自分史を綴ってみたい。

朝日と共に起き、風に身を任せ、潮騒を聞いて過ごし、落ちる夕陽に涙する。

残りの命の短さゆえにあらゆる自然に感動出来るだろうし、生きている今を感じることが出来る気がする。

命の期限を知ってこそ知る生きている事の素晴しさであり、輝ける瞬間でもあるのかもしれない。

どんな時でもそういう気持や覚悟で人生を過ごしていればいいのだろうが、実際には難しいようだ。

過去の事を静かに思い出しながら、今まで生きてきたことに感謝し人生の終わりを静かに受け入れる準備が出来るだろう。

その後はホスピスで最後のひと時を家族と共に過ごしたいと思っている。

人生とは自分の思うようにいかないのが常であり、実際には予定した通りにはいかないだろうが、万が一の事を考えて、それなりの覚悟を持ち、前もって気持ちの準備をしておく必要があるのは間違いないだろう。


100切り

2007-10-20 10:02:04 | 健康・病気

100を切る、これはゴルフの話ではない。

ゴルフでは常時スコアが100を切れれば、一応上手というレベルに達したと言われる。

すっかりゴルフ熱の冷めた今、残念ながらゴルフでは全く縁がない。

100が切れるのは、血圧の方なのだ。

2238869547まあ、血圧も常時100を切れるということではなく、朝起きてすぐだったり、サウナへ入ったりしてると自然にそうなってしまうようだ。

普段の日中は上が105、下が78くらいで普通だ。

が、朝は日によると上が96の下が73だったりする。

ここ2年人間ドックの朝の検診時に必ず血圧を2度測られる。

一度目は看護士さんが測り終わると必ずエッて顔をする。

中には声に出してしまう人もいる。

そして2度目に測ってやっと納得顔になる。

必ず「低いんですね」という言葉を添えてだが。

このくらい低い人は沢山いるはずだが、なぜ不思議がるのか分らない。

私が脂ぎったオジサンで血圧が高そうに見えるからなのか?

低血圧は女性に多いと聞くので珍しいのか?

不思議に2年前にタバコをやめてからのタイミングと一致している。

同じ病院で14年に亘って人間ドックを受け続けているが、以前は、こんな事は皆無だった。

血圧の高い人達へ告ぐ、「禁煙は効果がありそうですゾ!」

そして、もっと顕著に低くなるのが運動とサウナだ。

運動して、12分ほどサウナへ入って出てくると87の71だったことがある。

血液の行きと帰りに殆ど差がない、自分でもビックリだ。

あんまり低くなりすぎると、入浴中に気持ち悪くなってしまうことがたまにある。

めまいがしてきて、冷や汗をかき、吐き気がしてきて、挙句にウンチが漏れそうになってくるのだ。

サウナで体が熱いはずなのに、逆に寒く感じる不思議な現象だ。

サウナを出て何処か座れる場所を探して、ひたすら頭を心臓より低くしてジッとしてれば回復してくる。

もっとも、ここ5~6年は全く問題なく、よっぽどその時は体調が悪かったのだろう。

普通に考えれば運動やサウナで心臓の心拍数が増えて、血圧が上昇するのが当然のようだが、体が暖められてそれ以上に血管が膨張して血の巡りが逆に良くなるようだ。

私はこんなに効果が顕著に出るサウナが大好きだ。

血圧の高すぎる人は逆にサウナは危険なようだが、それ以外の人にはとっても健康にいいようだ。

今日も100切りを目指して、健やかにサウナを楽しもう、ってか。


コスモス

2007-10-16 08:08:43 | まち歩き

Cosmos1先日、車で20分くらいの所にコスモス畑で有名な公園があり、カミさんと出かけた。

平日だが結構人出があり、来場していた皆さん秋の風物詩に見入っていた。

一つ、一つの花はどうってことのないコスモスだが、大量に咲いているとやはり綺麗だ。

秋桜と書くくらいだから、薄いピンクの花色が多いかと思いきや、意外にも少ない。

私は知らなかったが黄色のコスモスもあるらしい。

しかし、この微妙なピンク系の濃淡の花色の大集合の方が、秋空に似合うと思う。

Cosmos0私のようにカメラで夢中で撮る人も沢山いたし、優雅に絵を描く人もいた。

Cosmos2ここは20年近くかけて開発してきたニュータウンで最近になってようやく充実してきた。

土地はふんだんにあるので、アメリカ並みのショッピングモールが出来たり、こんな大きな公園があったり、敷地にも余裕ある住宅街もあって、新しい街並みを感じさせる。

自分が住んでいる所の古い街並みからすると全く別な世界が広がっているように見える。

Cosmos3 久しぶりに夫婦で平日の休日をゆっくり楽しめた気がした。

爽やかな秋の午後のひと時、乾いた風にコスモスの花が静かに揺れていた。

また、来年も来たくなった。


結婚とは

2007-10-04 08:05:34 | 日記・エッセイ・コラム

結婚にまつわる話が続いている中、ついでにもう一つ。

結婚というのはアカの他人が一緒になって新しい家庭を作っていくことなのだが、生物学的には異なる遺伝子の組み合わせによって新しい係累を残す為のものだという当たり前の事に気がつかされる。

だから必ず子供を作ろうという話ではない。

作る作らないは各々の夫婦の価値観・人生観によるものであり、なんら強制されるべきものではない。

ただ、結婚する時に相手方の親を含む親戚一同に会った時にそれを強く感じることがあって、明らかに自分の血縁とは違う異種のニオイを感じたからだ。

夫婦は他人だと言われるが、相手方の親戚に囲まれると余計それを意識してしまう。

無論、育ってきた環境が違うから、考え方や価値観などは違っていて当たり前だが、それは遺伝とは直接関係がない。

が、カミさんと驚くほど似ている彼女の肉親や親戚を見ていると、この一族と結婚するんだということをひしひしと感じた。

あたかもカミさんが相手方のDNAの代表選手であるかのような感じがしたのだった。

「じぞうさんのブログ」にも結婚して相手方に挨拶をした際に同様な感想を抱いた事が述べられていて自分の意を強くした。

当時、そこまでは深く考えが及ばず、結婚とは二人だけの問題ではなく、相手方と親戚になることを実感する根拠だと漠然と捉えていた。

それから20年、そのとき感じた事が日々の生活を通じて、大きく増幅されてきた。

見た目の類似点だけでなく、体質やしぐさ、クセにまで及ぶのだ。

あくびの仕方一つをとってもカミさんとその弟がそっくりだったりする。

先ほど関係ないとした価値観なども、場合によってはそういう同じ体質の下で育まれて極めて酷似する事もあり得るだろう。

長い結婚生活を経るとこんな細かい事まで自然と気がつき、場合によっては、とても気になってしまうものもある。

勿論、これはお互い様なので、相手ばかりを責めるわけにはいかない。

夫婦の仲がうまくいかなくなると、こういった事が一々気になって許せなくなるのもよく分るようになった。

嫌いになると相手と同じ空気を吸ってるのも嫌だと、よく言われるが、あながちこれは大げさな表現ではないと実感している。

子供が生まれると、それがもっと顕著になる。

二人の遺伝子が混ざり合って子供が生まれるわけだが、必ずしも50:50の比率ではないにせよ、明らかにそれぞれの遺伝子の特徴を見つける事が出来る。

知らない人が見ても間違いなく同じ家族だと認識してくれるに違いない。

つまり血縁というものを物凄く意識するのは、やはり子供なのである。

我ら夫婦もアカの他人同士だが、お互いのDNAの合作である子供を二人作った事で一族を形成できた気がする。

いつの日か、子供達が結婚する時があれば、一族として相手方の一族に会うことがあるだろう。

どんな遺伝子を持った人達だろうかと、今からとても楽しみになってきた。

もっとも子供達が必ず結婚するとは限らないのだが・・・・。(^-^;