18日の土曜日、会社の組合主催で毎年8月に行われる地引網&ビーチスポーツ大会に参加してきた。
こうした会社や組合主催のイベントへの参加はなるべく控えるようにしてきた。
なぜなら、プライベートの時間まで会社の人間関係に気を使うような会社の延長になる行事が楽しいはずがないと思っていたからだ。
ウチの会社は外資系で、部署の殆どがシフト勤務で休みも勤務時間もバラバラなので、元来そういった会社関連の行事が少ないし、強制力もない。
たまにあっても、本当に参加は自由で、大抵は主催側の関係者かその手のイベント好きな人くらいが参加していたのが実情だ。
今回は主催側の関係者として、人集めの側に回らなくてはならず、一般の社員のこうした行事への無関心さがよく分った。
これは組合最後の仕事でもあり、自分の参加は絶対なので9歳の娘を連れて体験してみた。
参加してみてビックリ、結構面白かったのだ。
まず、一般の人が地引網を引くというのはそうそう体験できるものじゃない。
最小の網でも6~7万円掛かるし、網の引き手が最低でも70人くらい必要なので、かなりのまとまった人数にならないとイベントとして成立しない。
今回、開催日時を変更してまで、人集めに奔走したのも頷ける。
その甲斐あって、100人弱の人が集まり、大盛況だった。
地引網もみんなでワッショイ、ワッショイと引っ張れば楽しいもので、最後にどれだけ獲れてるかを楽しみに大人も子供も夢中で綱を引いていた。
水の抵抗が予想以上に大きく手のひらにマメができそうなくらい綱が重いのは意外だった。
地引網の仕組みは簡単で綱の片方を海岸に残し、船で沖合いへ行きながら地引網を下ろしながらПの字を描くように海岸へ戻ってくる。
この時最初の綱の位置と戻ってきたもう片方の綱とは優に50mは離れている。
そしてエッチラエッチラと引き始めていく内にその間隔が狭まっていき、最後は3mくらいまで接近する。
引っ張る長さも200m以上はあって、中々勝負のつかない綱引きと同様、結構筋肉を使う思ったよりハードな運動なのだ。
元気いっぱいの子供達も段々疲れてきて、最後は無口になっていった。
地元の漁師の掛け声にリードされて、疲れて萎えた気力を振り絞って引いてゆくと、ようやく綱が軽くなり始めて、網本体が見えてきた。
そうなると、皆さん現金なもので急に元気になって、ラストスパートをかけていく。
地引網が手繰り寄せられ、漁師が慣れた手つきで一箇所に魚を追い込んでいくと、狭まった網の中で沢山の魚が飛び跳ねるのが見えた。
子供は大喜びで漁師の動きを食い入るように見つめている。
やがて完全に一箇所に集められると、その大漁に歓声が上がった。
大きな3つのたるにすくい入れられた魚は今日のお昼の刺身や天ぷらに一部使われ、残りはお持ち帰りとなるのだ。
沢山の種類の魚がいたが、むしろサメやエイ、クラゲなどの外道の方に子供達の目は釘付けになっていたようだ。
毎年参加している人によると、収穫は平年より少ないとの事だったが、初めて見る目にはそれで充分だった。
さて、昼食を摂った後は、ビーチスポーツ大会となるのだが、子連れの家族は三々五々海岸へ散ってしまい、夏の砂浜でビーチボールやフットサルに興じているのは組合幹部や関係者ばかりというありさまだったが、毎年こんなものらしい。
このイベントの資金がビーチスポーツ大会の名目でしか、予算がおりないのでカタチだけでもこのイベントをキチンとやってないと後で問題になるらしかった。
曇りがちの天気とはいえ、時折日の差す夏の砂浜で足を取られながらのサッカーは物凄い体力を消耗する。
子連れの同僚が私の娘も見てくれるとの事だったので、私は海を諦めてビーチスポーツの方へ参加したのだった。
年甲斐もなく夢中でフットサルやバレーボールに興じていた私もやがて力尽き、浜辺に大の字になってダウン。
九十九里の波と風の音を聞きながら、この一年の組合活動を知らずに振り返っていた。
今ここにいる仲間とも最後の仕事となり、勤務地や部署の違う彼らとはもう一緒に仕事をする事もない。
場合によっては定年まで顔を合わせることすらない人もいるだろう。
大変な仕事だったが、いざ終わりになると思うと、こうやって知り合えた人達ともう会えないわけで、何となくしんみりとした気分になってくる。
組合の幹部関係者による努力のお蔭で、こうしたイベントが殆どタダで享受出来ることのありがたさを一般組合員は殆ど知らない。
この私もその一人だったし、役員をやってみなければ全く分らないことだからだ。
しかし、タダのイベントなら参加者が自然と集まるという時代はとうに終わっているのかもしれず、今後の運営の難しさを痛感したのも事実だった。
その証拠に一般組合員に戻る来年の参加を要請されても、進んで行きたいとは思えない自分がいるのも確かだからだ。
ある意味一回体験すれば充分というレベルのイベントなのかもしれない。
そして、翌日仕事だった私は日焼けと筋肉痛で辛い一日を過ごしたのは言うまでもない。