こだわりの生活

ヒゲオヤジの何でもやってみよう、見てみよう挑戦日記

ある日の夕方

2007-08-26 10:35:27 | 日常生活

Pa0_0011久しぶりに空港のランプエリアを車で走った。

ランプエリアとは、主に誘導路や駐機場のことを指すが、空港の滑走路を含む飛行場のエリア全てとも言える。

ここは関係者以外の立ち入りが許されておらず、日本であって日本でない特別な場所なのだ。

一般の旅行者が出国手続きを終えて飛行機へ乗り込むまでのエリアが特殊なのと同じ理屈だ。

近年、海外のテロが頻発してるのを受けて、直接飛行機に触れ合う事の出来るこのエリアの立ち入りは益々厳しくなっている。

私は成田空港で働いているが、仕事の性質上、飛行機のそばに行くことは滅多にない。

時々税関に提出する書類があるので、この日はその役を自ら買って出た。

たまにはランプエリアへ出て運転しないと勘が鈍るし、外の違う景色も見てみたいと思ったからだ。

ランプエリアは沢山の車両が行き交い、航空機の進路を絶対に妨げてはならないので、航空機の直前、直後の横断は特に気を使う。

直前は当然として直後も気を使うのはジェットエンジンの排出ガスをうまく避けないと車が横転してしまう可能性があるからだ。

そして空港の景色、毎日見てればウンザリだが、たまに見るとやっぱりいい。

自分が航空会社の社員である事を改めて認識するし、飛行機が好きだということも実感出来る。

特にこの日はランウェイに落ちていく夕陽が凄く綺麗で、車を停めて思わず見入ってしまった。

一眼レフがなかったので、携帯カメラで撮ってみたが、その時の感激は充分に伝えきれないのが残念だ。

何だか、また飛行機に乗って旅行に行きたくなってしまった。

(ちなみに、写真の航空機は我が社の飛行機ではありません、念のため。)


地引網で大漁だ!

2007-08-23 09:14:48 | 海水浴・プール

18日の土曜日、会社の組合主催で毎年8月に行われる地引網&ビーチスポーツ大会に参加してきた。

こうした会社や組合主催のイベントへの参加はなるべく控えるようにしてきた。

なぜなら、プライベートの時間まで会社の人間関係に気を使うような会社の延長になる行事が楽しいはずがないと思っていたからだ。

ウチの会社は外資系で、部署の殆どがシフト勤務で休みも勤務時間もバラバラなので、元来そういった会社関連の行事が少ないし、強制力もない。

たまにあっても、本当に参加は自由で、大抵は主催側の関係者かその手のイベント好きな人くらいが参加していたのが実情だ。

今回は主催側の関係者として、人集めの側に回らなくてはならず、一般の社員のこうした行事への無関心さがよく分った。

これは組合最後の仕事でもあり、自分の参加は絶対なので9歳の娘を連れて体験してみた。

Jibiki1参加してみてビックリ、結構面白かったのだ。

まず、一般の人が地引網を引くというのはそうそう体験できるものじゃない。

最小の網でも6~7万円掛かるし、網の引き手が最低でも70人くらい必要なので、かなりのまとまった人数にならないとイベントとして成立しない。

今回、開催日時を変更してまで、人集めに奔走したのも頷ける。

その甲斐あって、100人弱の人が集まり、大盛況だった。

地引網もみんなでワッショイ、ワッショイと引っ張れば楽しいもので、最後にどれだけ獲れてるかを楽しみに大人も子供も夢中で綱を引いていた。

Jibiki2水の抵抗が予想以上に大きく手のひらにマメができそうなくらい綱が重いのは意外だった。

地引網の仕組みは簡単で綱の片方を海岸に残し、船で沖合いへ行きながら地引網を下ろしながらПの字を描くように海岸へ戻ってくる。

この時最初の綱の位置と戻ってきたもう片方の綱とは優に50mは離れている。

そしてエッチラエッチラと引き始めていく内にその間隔が狭まっていき、最後は3mくらいまで接近する。

Jibiki4引っ張る長さも200m以上はあって、中々勝負のつかない綱引きと同様、結構筋肉を使う思ったよりハードな運動なのだ。

元気いっぱいの子供達も段々疲れてきて、最後は無口になっていった。

地元の漁師の掛け声にリードされて、疲れて萎えた気力を振り絞って引いてゆくと、ようやく綱が軽くなり始めて、網本体が見えてきた。

そうなると、皆さん現金なもので急に元気になって、ラストスパートをかけていく。

地引網が手繰り寄せられ、漁師が慣れた手つきで一箇所に魚を追い込んでいくと、狭まった網の中で沢山の魚が飛び跳ねるのが見えた。

Jibiki5子供は大喜びで漁師の動きを食い入るように見つめている。

やがて完全に一箇所に集められると、その大漁に歓声が上がった。

大きな3つのたるにすくい入れられた魚は今日のお昼の刺身や天ぷらに一部使われ、残りはお持ち帰りとなるのだ。

沢山の種類の魚がいたが、むしろサメやエイ、クラゲなどの外道の方に子供達の目は釘付けになっていたようだ。

毎年参加している人によると、収穫は平年より少ないとの事だったが、初めて見る目にはそれで充分だった。

さて、昼食を摂った後は、ビーチスポーツ大会となるのだが、子連れの家族は三々五々海岸へ散ってしまい、夏の砂浜でビーチボールやフットサルに興じているのは組合幹部や関係者ばかりというありさまだったが、毎年こんなものらしい。

このイベントの資金がビーチスポーツ大会の名目でしか、予算がおりないのでカタチだけでもこのイベントをキチンとやってないと後で問題になるらしかった。

曇りがちの天気とはいえ、時折日の差す夏の砂浜で足を取られながらのサッカーは物凄い体力を消耗する。

子連れの同僚が私の娘も見てくれるとの事だったので、私は海を諦めてビーチスポーツの方へ参加したのだった。

年甲斐もなく夢中でフットサルやバレーボールに興じていた私もやがて力尽き、浜辺に大の字になってダウン。

九十九里の波と風の音を聞きながら、この一年の組合活動を知らずに振り返っていた。

今ここにいる仲間とも最後の仕事となり、勤務地や部署の違う彼らとはもう一緒に仕事をする事もない。

場合によっては定年まで顔を合わせることすらない人もいるだろう。

大変な仕事だったが、いざ終わりになると思うと、こうやって知り合えた人達ともう会えないわけで、何となくしんみりとした気分になってくる。

組合の幹部関係者による努力のお蔭で、こうしたイベントが殆どタダで享受出来ることのありがたさを一般組合員は殆ど知らない。

この私もその一人だったし、役員をやってみなければ全く分らないことだからだ。

しかし、タダのイベントなら参加者が自然と集まるという時代はとうに終わっているのかもしれず、今後の運営の難しさを痛感したのも事実だった。

その証拠に一般組合員に戻る来年の参加を要請されても、進んで行きたいとは思えない自分がいるのも確かだからだ。

ある意味一回体験すれば充分というレベルのイベントなのかもしれない。

そして、翌日仕事だった私は日焼けと筋肉痛で辛い一日を過ごしたのは言うまでもない。


見えない!

2007-08-17 10:03:43 | 日常生活

コンタクトレンズデビューを果たして、はや1ヶ月が経過。

あんなに苦労して装用してしていたのがウソのように、今ではワンタッチで入れる事が出来る。

慣れとは恐ろしいもので、レンズを入れるのに何の恐れも不安も無い。

薄いペラペラのレンズを指先で黒目の部分に押し当てながら位置調整をしっかりしないとうまく入らないが、もうお手の物だ。

最初はこれが怖くて全く出来なかったので、装用に時間が掛かっていたのだ。

ちょっと前まではコンタクトレンズどころか、目薬すら注すのが怖くて、目を開けて薬液を直接垂らす事が出来なかったくらいなのに、人は必要に迫られれば何でも出来ちゃうようだ。

さて、慣れるにしたがって困った問題が持ち上がってしまった。

このコンタクトは遠近両用で遠くも近くも見えるということで、購入を決めたわけだが、肝心の近いところが思ったほど見えないのだ。

最初は慣れが足りないせいかと思って、しばらく辛抱していたが、やはり近いところの特に細かい文字が滲んでぼやけてしまう。

どのくらいのレベルかというと、文庫本や新聞の文字が極めて読みづらいのだ。

目を何回もしばたかせてようやく読めるくらいで、目が疲れてどうしようもない。

普通の人と比べて約2倍の時間がかかってしまう。

裸眼だとその程度の文字は全く問題なく読める。

じゃー裸眼でいいかというと、今度は遠くが見えないから困ってしまう。

そして、裸眼で近くが見えるといっても、小さい薬ビンに貼ってあるラベルの注意書きなどは読めないので、支障が全く無いわけではない。

勿論、普通に近視を矯正しただけなら、近くが全然見えないはずなので、このコンタクトが遠近両用であることにウソはないのだが、私にとって実用レベルには程遠い。

じゃーどうしたらいいのか、困ってしまった。

考えられる選択肢は3つ。

①従来から使用してる遠近両用メガネをかける。

②思い切ってメガネもコンタクトも何も付けない。

③コンタクトをしたまま、老眼鏡をかける。

正直、仕事をしないのならメガネもコンタクトも要らないわけで、休みの日は一切どちらも身に付けない。

夜の運転やテレビを真剣に見たい時にメガネをかけるくらいだ。

会社ではそうもいかない。

壁に貼ってあるカレンダーのスケジュールや記号速見表など、遠くを見る必要もあるし、細かい文字を読んでのデーター処理もあるし、目を酷使する。

ぶっちゃけ、遠近両用メガネに戻すのが一番良いと分っているが、2万円以上払って買ったコンタクトを無にするのも癪なので、ここは③のコンタクをしたまま老眼鏡をかけるを選択した。

100円ショップで手軽に買える老眼鏡なら失くしても惜しくないし、会社に置きっぱなしにして必要に応じてかけている。

一々、「かける・外す」を繰り返すのは面倒だし、年寄りくさい。

当然、周りの笑いを買っているのは百も承知だが致し方ない。

「何だかなあー」と思わずつぶやく今日この頃である。


夏らしい過ごし方

2007-08-13 21:17:13 | 日常生活

毎日、暑い日が続いていて、各地で悲鳴が聞こえてきそうだ。

まあ、夏は暑いのが当たり前なのだが、こうも毎日続くとさすがにウンザリしてくる。

なるべく外出を避け、エアコンの効いた涼しい部屋でテレビか読書でもしていれば快適な夏を過ごせるに違いないが、あまり汗をかかない生活もどうかと思う。

暑いのが大っ嫌いで、直ぐにエアコンに頼る生活が夏の過ごし方の常だったのが、今年は少し変えてみた。

積極的に汗をかくというのを取り入れてみた。

炎天下の運動はヘタをしたら生命の危険に及ぶ可能性もあり、適切だとは思わないのでこれは避けた。

それ以外の方法というと、それは暑い時には熱くて辛いモノを食べるということだ。

東南アジアの人達がやってる食生活であり、彼らがやってるにはそれなりの理由があると思われる。

気持ちよく汗をかけるし、そのあと扇風機全開で風に当たるとメチャメチャ気持ちよく、これは結構ハマる。

20050209112114エアコンを切ってあえて部屋の温度を上げといて、辛いラーメンを作って食べるのだ。(写真のラーメンはイメージです。)

無駄に汗で衣服を汚したくないから、ここは思い切ってパンツ一丁で臨む。

家族全員で摂る昼食風景だが、人には見せられない。

娘が誰かが訪ねてきたらどうするの?ってしきりに心配をするが、その娘もしっかりパンツ一丁になって準備万端、ヤル気マンマンだ。

確かに、人が訪ねてきたら困るけど、その時はシカトしかあるまい。

食べてる途中から汗が噴き出してきて、食べ終わる頃には文字通り滝のような汗が流れてくる。

とにかく食べ終わるまでは風に当たらず、グッと我慢をする。

こうなると、もはや我慢大会の様相を呈してくる。

しかし、食べ終わった後の風の気持ちいい事といったらこの上ない。

スッとして物凄く爽快だ。

水シャワーとの併用もいいかもしれない。

熱く、辛い食べ物を食べる事により、体の中が熱くなり、毛穴が開き汗をかく。

こうした発汗作用は新陳代謝を促して健康にいいと思われる。

こんな事してるのは自分だけかと思ったら、ラジオで全く同じ事をやってる人が紹介されていて驚いた。

ひと夏に3~4回ほどこんな事をして、毎年夏を乗り切るそうだ。

私もまだ一回してないが、真夏のしゃぶしゃぶなど他に色々と試してみたい気がする。

夏は夏らしく汗をかいて過ごす、これは結構良いかもしれない。


2年目の真実-禁煙成功者の独白

2007-08-10 09:35:54 | ブログ

タイトルが大げさなわりに大した中身じゃないことを最初にお断りしときます。笑

要は、このブログも満2周年を迎え、自分なりに振り返り、まとめてみたいというだけです。

3年目を迎えての感想は、とにかく、よく続いてるなという事と実際の年数よりずっと長く書き続けてる気がする事です。

何故長く感じるのかサッパリ分らないですが、飽きっぽい私がここまで書いてこられたのは本当に奇跡に近いことです。

さて、このブログは元々、減量計画と禁煙をテーマに始めたブログでした。

減量して中年太りの体に活を入れ若い頃の体を手に入れる、つまりオヤジ腹を根絶したいと願って始めたのです。

減量にはダイエットとカロリー消費運動及び筋肉を付けるという3要素が不可欠で、あわせて長年の夢であった禁煙も一緒に実行して、事細かにブログでリポートするつもりでした。

日々、ブログでその闘いぶりを日記風に書き綴ることで、なんか頑張れる気がしてブログを書き始めたわけです。

しかし、実際には、変化が乏しく毎日更新していくにはネタが不足するし、新鮮味がないので、ドンドン違う事を書いていく内にいつしか現在のカタチになってしまったのです。

禁煙が成功して、もう喫煙者に戻らないという確信が持てたのもブログ内容変化の一因でした。

そして肝心の減量計画の方は1年ほどで結局、挫折してしまい、若い頃の体を取り戻すには、ついぞ至らずじまいでした。

途中、膝を傷めるというアクシデントに見舞われ、大好きな「走る」ことが出来なくなった事がショックでパタリと運動をやめてしまった事が大きいようです。

それに、呼応するように「食べる」方も歯止めが利かなくなり、順調に進行していた減量も瞬く間に元へ戻る始末でした。

まあ、今月に組合の仕事の任期が終了次第、すぐにでもまた再チャレンジするつもりでいるので、あまり悲観的には捉えたくないと思っています。

さて、禁煙に関してはその後も順調に推移していて、完全に成功していると自負しています。

この最後の禁煙にチャレンジするまでの数年間、何回も禁煙→喫煙→禁煙の悪循環にハマっていたのがウソのようです。

やめることの出来ない自己嫌悪にさいなまされ続けて、悲壮な思いで最後の禁煙生活に挑んだのが今になっては笑える話です。

過去に30年以上の喫煙人生があった事など忘れるくらい、現在はタバコとは無縁の生活をしています。

今にして思えば、禁煙~喫煙を繰り返したことは、完全禁煙者になるための助走期間になっていた気がしてなりません。

その助走期間を通じて本当にタバコをやめたいという気持ちをピークに持っていくことが出来たんだと思います。

一口にタバコをやめたいといっても、周りがそうだからとか、家族に言われたからとか、トレンドだからとか、健康の為だからとかの漠然とした理由では、やめる動機としては弱いでしょう。

タバコを吸うことがカッコイイとか、百害あっても一利くらいあるだろうとか、一日に1本くらい吸うペースなら大丈夫だろうとか、すこしでもそんな気持ちが心の底にあるとすれば、キッパリやめることは困難です。

タダで貰っても、捨てるくらいタバコを吸うことがバカらしく思えるくらいの気持ちになれないと禁煙者への道は開かれないと言っても過言ではないでしょう。

とはいえ、禁煙できない自分を責める必要もなく、”タバコなんて吸いたくない!”と思い続けていれば、何回挫折しても大丈夫です。

たとえ失敗を積み重ねていても、逆にやめたい気持ちが自然に高まっていくはずです。

但し、進歩の無い失敗はダメです。

少なくとも禁煙期間が少しづつ延びていくような実績が必要かと思います。

自分だけでなく周りを見回しても、絶煙した人たち共通に言えることは、最後はきっぱりやめたということです。

本数を減らしていってやめたという人は聞いた事がありません。

禁煙中に、ふと自分を襲う、「1本だけでも吸いたい-ポンバケ」を乗り越えられる日が必ず訪れると思います。

本気で禁煙を目指している方には、是非乗り越えて欲しい壁だと思います。

それを過ぎれば、ウソのように楽になります。

それが自信につながり、そこまでいけば、たとえ酒の席で貰いタバコをしても、もう喫煙者に戻る事もないハズです。

告白すると、つい先だって、組合の仕事関係の酒席で貰いタバコをしましたが、その時限りで、再び吸いたい気持ちには全くならなかったのです。

勿論、そうした会合への参加が今後無いことを見越した上でのいたずら心でしたことで、タバコを吸うことをどう感じるかの実験だったわけです。

2本ほど吸ったのですが、1本目は予想に反して美味かったのは意外でした。

が、2本目はキツく、辛く感じて、もう吸えない感じがして最後まで吸いきれなかったので、心より安心しました。笑

それにしても、非常に危険な”実験”でした。

よっぽどの自信が無い限りやめといた方がいいと思います。

繰り返しますが、やめたい気持ちを持ち続けている限り、絶対タバコはやめられます。

一人でも多くの禁煙を目指している方が成功することを願って止みません。

久々の原点に立ち返っての「禁煙ネタ」でした。