こだわりの生活

ヒゲオヤジの何でもやってみよう、見てみよう挑戦日記

卒煙への道

2005-09-25 18:24:18 | 禁煙

タバコを完全にやめることへの道のりは長く険しい。この卒煙という言葉は造語でどこかの禁煙ブログで見つけた言葉だ。文字通り、タバコからの卒業という意味で真の非喫煙者になれた時に贈られる証書みたいなものだろう。

そのほかにもタバコとの決別を表す言葉は”禁煙”以外にも色々あり、言葉遊びとして私のブログでも紹介しているので、興味ある方はご一読いただければと思います。”貴方はどのステージレベル?”http://blog.goo.ne.jp/u112981/d/20050911

そして、その卒煙に向けて、とりあえず私は7合目まで来れているのだろうか?今まで順調だったのは、周りに吸ってる人が少ないという、ラッキーな環境に恵まれていただけという気もする。それでも懸命に、ここまで来れたのは、どうしてもやめたいと思うその一念に尽きると思われる。その一念をどうやって、育んできたのか?少しでも雑念がある内は目的達成への意欲があっても、どうしても行動を何処かで躊躇させてしまう。スーと全力投球をするためには、一点の曇りもない心にしていくよりほかない。

タバコの害については、充分に理解していたので、やめることについては異論はなかった。しかし、最初はただの確率論でしか捉えることしか出来ず、タバコを吸う意味について百害あって一利ぐらいあるだろうとの思いが頭から離れなかった。実際、食後やハードな仕事の後の一服は本当に旨かったし、精神的にホッとできる面も無視できない。一区切りの格好の小道具としのタバコも捨てがたい。こんな雑念をどうやって払ったのか?

それはタバコは麻薬と同じだと言えるぐらいの、中毒性があり、人の健康を蝕んでいくものだからである。そして、逆に確率論で返していくと、深刻な病気になったらどうするのか?ならないことを前提に考えてる時は確率的に低いと捉えがちだが、なったら取り返しがつかないことになるわけだ。若い時は最悪のことは余り考えない傾向がある。オヤジになると先が短くなったくせに、どうしても先を考えてしまう。家族がいるとしがらみが色々増えるせいもあるだろう。

そういう風に、はっきりタバコを断罪できれば、少なくとも吸わないことにもう迷いはなくなった。あとはその中毒症状との闘いになるわけだ。幸いなことに偶然とはいえ、喫煙するタバコの本数を減らした時期があったり”節煙生活の日々とは?http://blog.goo.ne.jp/u112981/d/20050910”、また何回も禁煙-喫煙のサイクルを繰り返したこと”煙草と私http://blog.goo.ne.jp/u112981/d/20050909”が、いわゆるニコチン依存症を低める結果となり、最終的な禁煙を決意した時点でこれが大いなる助走期間になっていたらしい。

この助走期間について大変興味深いコメントがハリザッコさんのブログ”命の泉へ泳ぎだそうhttp://harizakko.exblog.jp/1855534/で紹介されている。彼への助言としてある人が残したコメントだが、それはハリザッコさんの宝物としてどれだけ励みになったかというエピソードとして紹介されている。それ以外にも禁煙を続けるにあたって励みになることがいっぱい書いてあって非常に勇気付けられると思う。ぜひ、ご覧になってみて下さい。

禁煙を続けていくにあたってブログという媒体は非常に適していると思う。周りからのコメントや他の方のブログ上の記事が励みになっていることは前に書いたが、自分の思いの丈をネットの誰かに向かって言えるというのも、実にイイ。なかなか本音を語れない実社会にあって、まるで山頂にて大声で叫ぶが如くストレスが発散されていく。これはネット上の匿名性がなせる技でもあるが、このスッキリ感がたまらない。

今の私にとって最後の頂上を目指す上で杖となり、後から後押ししてくれる力そのものであろう。

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