世論を真っ二つにして論議を呼んだ中国副主席と天皇の会見問題。
容認、反対がほぼ半々くらいだったように記憶するが、急に沈静化したのはそのくらいなら良いとの容認派が増えたからかな。
ただ、マスコミも最初は正しくこれを捉えてなく、天皇との会見要望が1ヶ月切ってるか切ってないかだけを政治利用してると強調していたが、これは論点がズレていると思う。
中国外務省から宮内庁へ天皇への会見申し込みがあったのは11月23日。
1ヶ月を切っての会見のセットアップは慣例に反するから、当然宮内庁は拒絶。
天皇の高齢な点や健康面を気遣っての事だ。
しかし諦められない中国側が日本の政治家へ泣きついたのか、次期国家主席と目される人物へ日本側が配慮したのか分からないが、最終的に媚を売るカタチで政治家が宮内庁へゴリ押しした格好になってる。
ここが政治家が関与して政治に利用したとされる根拠になってる。
それならば、政治家が外交目的で間に入って海外要人と天皇との会見を1ヶ月以上空けさえすればいくらでも要請できるのか?
できるとしたら、既に充分に、政治利用は可能ではないか。
政治利用云々というより、単に手続き上の問題であり、外交上重要な相手国に一定の配慮があっても良いのではという問題提起をしただけではないだろうか。
私は天皇のスケジュールは知らないので、多くは語れないが、どんな国でも分け隔てなく1ヶ月ルールで面会するというのは確かに聞こえはいいが、どう考えても現実的ではないと感じる。
体調を優先させて、プライオリティの低い行事には欠席も場合によっては有りだろう。
どんな場合でも国益が優先されるべきでは。
中国が嫌いな方はなんで、彼らにへつらう必要があるかと怒りを露にするだろう。
私も中国は嫌いだが、そんな個人的感情では国際関係はうまくいかない。
アメリカに次いで、中国の存在は無視できないところまで来てると思う。
誤解を招くと困るので、言っておくが、何でもかんでもへつらえではない。
引ける所は引いて恩を売るのも外交ではないかと考えたい。
尖閣諸島問題やら、過去の戦争にまつわる事など、中国とは引いてはならない問題はいっぱいある。
そして、そもそも天皇の政治利用とはどういう事なのか?
2度と起こしてはならないのは、天皇を絶対君主として、あるいは神として奉り、それを利用して国民をまとめ、ひとつの方向へ導くファシズム的な事であって、平和的な政府の外交へ利用されたからといって、眉を吊り上げて反対するほどのことではないと思う。
特に会見の中味が単に儀礼的な挨拶程度に留まるわけだから当然だろう。
勿論、中味が直接政治や外交に関わることなら大問題だが、それはあり得ないし、絶対にあってはならない。
そう考えてくると、むしろ声高に、人によってはヒステリックに反対を唱えてる人たちの方が私は怖いと感じる。
それは政治家に利用された天皇を危惧するわけで、むしろ天皇を絶対的なものと崇めてるのにそれを汚すように感じた故の感情論に聞こえてしょうがない。
天皇に対して象徴としての位置づけ以上のモノを、今なお抱いてるように見える。
再びそういう人たちによって、天皇が神として祭り上げられる可能性がある事の方がよっぽど恐ろしい。
私自身は国防や外交に関しては中道よりやや右と自負していたが、この問題では完全に左寄りなのかもしれない。
どっちにしても、こうやってカンカンガクガク議論を戦わせることこそが重要であって、そこに真実が見えてくると私は信じたい。