こだわりの生活

ヒゲオヤジの何でもやってみよう、見てみよう挑戦日記

近くて遠い国

2006-07-29 07:31:00 | 旅行記

Icn まさしく表題の表現がピッタリの韓国へ行ってきた。右の写真は仁川空港での夕焼け風景、到着時にきれいだったので思わず撮影した1枚だ。

昔と違って街並みや建物そして地下鉄、ことソウル市内に関しては日本と大差ない街並みに、日本人のような顔をした人々が行き交う中で外国という感じはほとんどしない。日本から距離的にも近いのでいわゆる近い国と言われるゆえんだと思う。

一方、第二次世界大戦後の両国の国民感情が今だにスッキリせず何かと日本が悪く言われたり竹島を巡ってのトラブルなど遠い国を意識せざるを得ない一面もある。

例えは悪いかもしれないが、両国の関係は東京と大阪との関係に似てなくもないと思う。必要以上に東京に対抗意識を燃やす大阪のような熱い一面が韓国にはある気がしてならない。

どうしてそんなにムキになるのかよく分らないと冷静に見る東京の立場が日本のような気がする。戦争で誤りを犯したのは事実だが60年以上前の事であり世界の中でチャンと制裁を受け、精算した過去をいつまでもつつきまわされても敵わない。

忘れてくれとは言わないまでも、もう少し広い目で広い心で接して欲しい気がするのだ。

実際の旅先で触れ合う人々は確かに無愛想だが、とってもいい人達でもある。逆にそのギャップに苦しむくらいだ。

さて、今回は3年ぶり3回目の韓国訪問である、といってもソウル市内しか行っておらず、まあ極論すると焼肉とキムチを食べに行ったようなものだ。

そして3泊4日とはいえ、ソウルに夜10時に到着して帰国日は朝早くホテルを出発するという自社便のスケジュールに合わせての旅程だったので実質2日という短い旅行だった。

それにしても、いつ訪れても韓国の食文化は変わっていると思ってしまう。この日本とあまりにも違う食文化も遠い国を意識させる原因の一つかもしれない。

美味しい食べ物はたくさんあるが、そのほとんどが唐辛子が入っている料理で赤っぽい色をしている。子供も普通に食べているようで幼い頃より辛さに自然に慣らされていると実感した。

言い換えると辛くないと料理じゃないくらいの感覚があるようだ。帰りの飛行機は自社便がいっぱいで乗れなくてアシアナ航空に乗る機会を得たが機内食に歯磨き用のチューブみたいなものが付いていたので何だろうとよく見ると唐辛子のペーストだった。

韓国の人は料理にガンガン使って食べていた。普通の料理として十分食べられるのにやはり辛くないと駄目なのだろう。味が薄いといって醤油を何にもでもかけたがる関東の人に通じる部分があるのかもしれない。

したがって、味のバリエーションという点からすると少し物足りない面がある。

辛さが全面に出てしまって日本人好みの微妙な味を楽しむという余地が無い気がした。この辛さになれてしまえば、その辛さの下にある味のコクだとか深みだとかが分るようになるのかもしれない。

その証拠にキムチも店によって全く味が違うし、辛さはあるものの日本で食べるより、やはり美味しい。辛さがいつまでも舌に残る感じではなく熟成感が違うと思った。

Bbq今までは韓国料理といえば焼肉とキムチしか知らなかったが、色々他にも試すといい味にも巡り会えるようだ。

今度の旅行で新たに美味しい韓国料理を発見したからだ。それはソルランタンと純豆腐チゲで日本人の口に合いそうな料理だ。

ソルランタンとは牛の内臓を骨付きで煮出したスープで白濁したあっさり系の食べ物だ。煮込んだ牛肉のニオイが気になる人もいるが、コクがあって美味しいと概ね日本人にも受けがいい。もっとも現地の人はそのスープの中にキムチとご飯を放り込んで食べるのでたちまちスープが赤く変わり辛いスープに変身してしまうのだが・・・。

もう一つは純豆腐チゲだ。辛味のオレンジ色した鍋料理だが中身の豆腐が絶品だ。にがりを入れただけの豆腐がプヨプヨしていて、その食感がたまらない。火傷しそうに熱いがフーフーいって食べる豆腐が抜群にイケルのだ。

この2品は韓国へ行く機会があったら是非お試しあれ、韓国料理の店だったら大抵は置いてある。気に入ること請け合いだ。

Tukidashiそして、韓国の食文化といって忘れてならないのが付き出し料理の多さだろう。おかずを一品頼むとそれに付随してキムチ2種類(白菜ときゅうり)、辛味スープにサラダや色々なものが付き出しで供される。ご飯もその一つだ。

デパートの地下のフードコートのような所でも同じだ。日本で言えば必ず定食で付く付属品と同じようなものだ。しかし、量や種類が豊富で似て非なるものといったほうが良い。

韓国ではこのサービス品の質と量と種類の多さが客を呼び寄せるポイントになっているそうだ。

この点を見逃すとオーダーしすぎて食べきれないなんて事が起きかねないので十分注意する必要がある。

ただ不便な点もある。フードコートで美味しくて気に入ったおかずだけをもう一度買おうとしたら断られた。もう一つ定食として買えというのだ。そうすると、とても食べきれる量ではないし、おかずだけ食べて残りは残飯にするにはあまりに勿体なく不合理に感じた。

散々悩んだ挙句、残すことに抵抗を感じて断念してしまった。こういった慣習も過ぎたるは及ばざる如しのような気がしてならない。

何事もほどほどが一番であろう。

韓国の人でも残す事が多く、余計なお世話だが、あの付き出しの残飯を捨てているのか、使い回ししているのか、ふと気になった。


携帯バトン

2006-07-22 11:39:00 | ブログ

またバトンなるものが回ってきたが今度は少し今までと切り口が違っているようだ。

携帯の予測変換機能で、何が候補に出るかを並べたてる事で、普段メールをどんな内容で送っているかの一端を垣間見れるような趣旨らしい。

『しかくとり』というのが私への今回の課題だ。

どんな言葉を多く変換しているか自分でも大いに興味がある。

早速、いってみよう!

Q1 あなたの「し」の変換候補上位5位は

      ●して・した・指示・しか・週

Q2 あなたの「か」の変換候補上位5位は

      ●帰る・確認・完了・から・~

Q3 あなたの「く」の変換候補上位5位は

      ●くれる・くれたのに・ください・くれ・くらい 

Q4 あなたの「と」の変換候補上位5位は

      ●所・とも・取った・時・とか

Q5 あなたの「り」の変換候補上位5位は

      ●了解・料理・旅行・両方・理科 

Q6 第一候補のみで文章を作ってください

      ●『(ホニャララして)くれる所、 了解して帰る。』

一応文章らしくなっているのに自分でビックリ。でも、いかにも業務用報告みたいで味気ない。

課題にはないが、せっかくなので第5候補までの言葉を全部使って文章を考えてみた。

      ●『確認取った(て)くれたのに旅行から帰る時(改めて)指示ください・理科~料理両方ともしてくれる(?)(その)週くらい完了したとか了解くれ(!)(???)所しか(????)。』

全部の言葉を入れてみて色々工夫してみたが、最後の言葉が余ってしまった。しかし、何となく文章になってしまうから不思議だ。またしても業務用みたいになって味気ない。

どちらかというと限られた単語から文書を作るという作業の方が面白かったような気がする。

Q7 次の人に回す平仮名文字をどうぞ

      ●Tachn☆彡さん…『あいけんか』
     

Q8 その回す5人をどうぞ

いつもこの手のバトンは1名と決めているので悪しからずご了承を!

本日より夏休みの旅行第一弾という事で4日ほど出かけてきます。

行き先は内緒で帰ってからの報告とさせて頂きます。

それではまた!


気になったどうでもいい事

2006-07-19 15:51:00 | 旅行記

シカゴ出張記もそろそろネタ切れとなって、今回が最後となった。

今回は旅行中感じた、明らかに日本と違う、でもそれを聞いたところで”ヘェー”みたいなどうでもいい事を徒然なるままに書き記してみたい。

軽く読み流して頂ければ幸いである。

自販機

Vending アメリカの自販機は見るからに無骨でイケてない機械が多くてトラブルも多い。

今回、商品のリリースが荒っぽい機械に驚いた。日本でもお馴染みの牛乳の自販機と見た目がそっくりだったので、同様な動きを予想していたのだが、全く違っていた。

お金を入れて商品を選ぶ所まではいっしょでその後が変わっている。日本だと商品受け取りの箱のような物が選んだ商品の所までやってきてその商品をキャッチしてから下に移動して搬出口へリリースする丁寧な動きになっているのが普通だ。

なぜなら、商品がガラスに入った牛乳瓶だしそのくらい丁寧に扱うのが当たり前の感覚があるからだ。

ところが、この米国の自販機はいきなり商品がリリースされて、目の前の陳列ガラスにダイレクトにぶつかってそれから真下に落下するのだ。ガラスが割れるかのような大きな音をたてて落ちていく。衝撃吸収の緩衝材もなく落下を和らげるガイドレールもないのだ。

丁度、目の高さにある商品を選んでいたので、自分の顔に飛び込んでくるかのような動きとそのあまりの大きな音に2度ビックリ。スターバックスのカフェラテがガラス瓶に入ったこの商品、こんな乱暴な扱いを受けても割れる心配は皆無だったが、何回そこで購入しても違和感がついぞ消える事はなかった。

安全確保と車社会

Walking 車社会のアメリカでも都会の市街地では歩行者を見かけるのは普通の事だが、私の滞在していた会社の周りのような郊外は歩いている人を見かける事が全くない。

おそらく安全に対する考えと車社会が徹底していているせいか、人々が歩く場所はかなり限定されているようだ。

Road_sign それにも拘らず、毎日ビクビクしながらも車の無い私は散策していた。

特に郊外は住宅地区や商店街とその他の区画がはっきり分けられていて両者を繋ぐのは車のみに頼っている。

伸び伸びとした住宅街には公園が併設されていることが多く、犬の散歩や人々が思い思いに散策していた。たとえ併設されていなくても公園まで歩いていく事はしない。クルマで行ってそこで歩くというパターンだ。15分~20分程度の距離でも歩く人の姿は無かった。

House 私はのんびりと1時間くらい歩きながら住宅街や商店街、そして公園などを見て回った。幸いに身に迫る危険など全く感じることなく、一番いい季節の中でいい汗をかきながらの散歩であった。

さすがに3日くらいで徒歩圏内を探索し尽くして、4日目からバスでモールへ買い物へ行ったりしていたが、巨大なモールを見るにつけ、そのスケールの大きさに改めて驚き、併設される駐車場の広さに車社会の浸透ぶりを実感したものだった。

Twilight日本でも郊外ではこの手のモールが充実しつつあるが、アメリカのそれとはスケールが違うし全くの別物といってよいのでないだろうか。

国土の広さの違いをまざまざと見せつけられた感じがしたのだった。

こんな国と戦争しても絶対に勝てないなと一人納得していた。


タクシー

2006-07-16 10:00:00 | 旅行記

洋の東西を問わずタクシーの運転手はくせものであることが多いように思う。

サービス業なのに本気でそう思っていないだろうと思わせることが多々ある。愛想が悪かったり、ひどい場合は返事もロクにしないケースすらある。

道を知らなくても堂々としている。平気で遠回りしたりして料金をぼる奴がいたりする。

同じ客に2度と会うことはないという気持ちがこうさせるのだろうか、サービス精神のかけらもない運転手が多い気がする。

勿論、いい運転手もたくさんいるし、割合はむしろそっちの方が多いと思うが、どうしても悪い方の記憶が残ってしまう。

今まで不思議にアメリカではそんな思いをしなかったのだが、今回のシカゴ出張で驚きの体験をした。

シカゴ・オヘア空港へ到着して目的地である我が社の本社まで利用した時の事である。

黒人の運転手だったのだが無愛想極まりなく、目的地を告げているにも関わらず無言で車を発進させたのだ。

気になって場所が分るかと訊ねると知らないという。慌てて住所を書いた紙を渡すと黙って受け取り運転を続けた。

日本と違って住所を言えば場所が直ぐに分るという風に聞いていたのでこの時点で安心しきっていた。

ところが、この運転手何も分っていないのだった。住所の最後の○○市にあたる所へ大まかに車を進ませているだけだったのだ。

10分くらい乗っているとその住所の場所が分らないと言ってきた。

少し驚いたが、すかさず印刷しておいた地図を渡した。3種類の縮尺があり今度は大丈夫だろうと思ったが甘かった。ますます運転手は混乱をきたしたようだ。

今思いこしてもこの地図で分らないハズがなく、この黒人の運転手は相当に頭が悪いか地図の見方が分らないとしか思えない。

そして、今度は目的地の電話番号を知っているかと聞いてきた。どういう意図か一瞬分らず黙っていると俺の言っている事が分からないのかと、ついに怒り出す始末だった。

改めて電話番号は知らないと答えるとまた黙って暫らく走るとガソリンスタンドへ入っていった。一体どうするつもりかと見守っているとガスを入れている客に道を聞いていた。

いい答えを得られないのでスタンドの店に入ってようやく答えを得たようだ。この運転手、彼なりにプレッシャーを感じていたのかスタンドで車を切り返した時にスタンドの給油機をガードしている構造物に車をぶつけてしまっていた。

ここまでドンくさいとこっちも怒るより笑ってしまうレベルである。

さて、目指すストリートが分った所で今度こそ安心して乗っていたかったが、この運転手のことだから最後まで信用は出来なかった。

周りの景色を凝視しながら13年前に来た時の記憶を呼び起こそうと必死になっていた。すると突然見慣れた景色が飛び込んできた。そうなるとこの運ちゃんより自分の方がよっぽど頼りになる。

あとは首尾よく誘導できて目的地まで到着したが、料金は25ドルかかり30ドル渡せば釣りはないといわれた。チップを入れてもそんなにかからないのだが1~2ドルのことでこれ以上この運転手に関わりたくなかったのでそれ以上追求しなかった。

オチはまだある、トランクのスーツケースを取り出そうとすると、もう発進しやがって慌てて車を叩いて止めさせたが、間一髪だった。

こういう運転手がアメリカにもいることが驚きだったが、それにしてもひどすぎやしないだろうか?

無愛想はいいとしても道を知らないのだったら自分なりにそれを解決する方法を客に負担をかけずに模索すべきだろう。無線が付いていなかったようだが携帯電話があるのだから自分の会社へ電話するなりすれば良かったと思う。

それに今回の目的地は辺鄙な所ではあったが、2km四方はあるという広大な敷地を持つ会社で、そんなに遠い所でもなくサービス精神のある勉強熱心な運転手なら知っていてもおかしくなかった筈だ。それとも道を知っている客だけが乗り込んでくると思っていたのだろうか。

それと対照的だったのが帰りのタクシーだった。

会社と契約を結んでいる会社の1つで電話1本で直ぐにやって来て、メーターを倒さず契約料金の14ドルで空港まで行ってくれた。

愛想は良く、オヘア空港内の地理案内までしてくれて帰りの気分を上々にしてくれた。

勿論、チップを規定以上払って気持ちよく空港に降り立ったのは言うまでもない。


チップ制度とアメリカ

2006-07-11 09:15:00 | 旅行記

Dollar チップを制度化して習慣として取り入れてるのは世界でアメリカだけらしい。

このチップという制度は払い慣れていない人にとっては煩わしい限りだ。チップ金額の計算はもとより、1ドル紙幣をある程度常に用意しておく必要があるからだ。

また、どういうケースで払うべきなのか悩む時がある。レンタカー会社やホテルと空港を結ぶような無料シャトルバス、ゴルフ場での出発前のセットアップ係など、受けたサービスによっては必要となるらしい。

本来の心付けという精神であれば良いサービスを受けたら気前良く払って気持ちを表せば良いのだが、中々難しい。

日本などでの心付けはむしろ事前にさっとさりげなく千円札を握らせて良い待遇を期待するケースの方が多いように聞く。旅館の仲居さんとかレストランのボーイとか、しかしそうは言っても私はやった事がないが・・・。

一般にチップは請求料金の15%と言われるが、日本人にとって決まった金額なら初めからトータル金額に最初から入れとけという話になる。

しかし、店で働く従業員にすればチップはその場で自分の稼ぎになるのでそうもいかないらしい。それが自分のヤル気を起こさせる元になっているのが基本だからである。

米国のレストランでテーブルに着くとチャンと担当が決まっていて、何かと煩わしいくらい親切に面倒を見てくれる。そこが活力やサービスの源かなと思うと納得もいく。雇用主よりダイレクトに客の反応がチップとなって還ってくるからだ。

従ってチップは経営者とは無縁だし、お客から従業員の直接収入でなければ意味がない。

しかし、最近のようにクレジットカードでの支払いの際に書き込むチップは一括して店側に行く筈なので、どう従業員に管理・配分されてるのか謎だ。本来のチップ制度が揺らいでいる気がする。

さて、この面倒なチップだが慣れてくると自分の裁量でサービスの対価を決めていいというのが逆に払う側にとって小さい喜びになってくる。

食事しながら冷静に担当係や店のサービスを査定するのが楽しみになるからだ。無論、最初から満額の15%など払う気はない。

知り合いのアメリカ人に聞いた事があるが、15%キチンと毎回払っているわけでもなく、自分の感覚で結構適当に払っているとの事だ。中にはとんでもなくケチな人間もいて10%より低く払う人もいるらしい。

サービスを受けた事実は変わらないので、チップを払わないということは有り得ないが、私の場合は10%を最低ラインとして考慮して受けたサービスの質で15%まで調整するのが常だ。

例えば、食事の請求金額が30ドルならチップ3ドルは確定、残り5%の計算は10%の3ドルの半分だから1ドル50セント、これが積み上げ分で自分なりに評価して3ドルに足せばよい。

まあ、ひどいサービスならそのまま3ドルだし、平均的なら4ドル、凄くハッピーな気持ちにしてくれたなら、満額以上の5ドルでもいいやという具合である。

こんな気持ちで接していればチップをあげるのも、計算するのも楽しくなってくるから不思議なものである。

すっかりアメリカ流に慣れてくると、あんなにありがたがっていたハワイで強制的に15%のサービス料を請求してくるやり方にムカついてくる。気持ちが変わると立場も変わってくるのだ。

店側の言い分はそうしないと客がチップを払わないからだと説明しているが今ひとつ納得できない。一応、アメリカなのだからアメリカ流を貫いて欲しいし、チップをキチンと払ってもらえるようなアピールを客にもっとするような努力をすべきだろう。

あるいは入店時に日本式か米国式かの支払いを客に選択させるというのも手だと思う。実際、日本語メニューを手に取った瞬間、サービス料は料金に含まれるというやり方をしている店もある。

これなら、しぶしぶ納得せざるを得ないだろう。

さて、この自分の裁量でチップ金額を決めて支払うという制度は本当にアメリカを象徴しているように思う。

従業員の行うサービスと客がそれを評価してチップを払うというのは全て均質ではない自主性が貫かれていて、いかにもアメリカらしい。

何でも自分で決めるというスタイルがアメリカの持っている独自の文化の象徴に思えてしょうがないのだ。

クレジットカードの導入で本来の機能を果たしているのか”?”な部分を感じつつ、ファーストフードの登場で、益々時代に合わない制度となっているのかもしれない。

でも、アメリカを象徴する制度として、是非永遠に残して欲しいものだ。