こだわりの生活

ヒゲオヤジの何でもやってみよう、見てみよう挑戦日記

長年連れ添ってきたモノ

2007-09-29 08:34:23 | 日常生活

結婚20周年。

短いようで長い20年だったが、結婚当初から変わらず夫婦と共に連れ添ってきてるモノがある。

新婚当時、最低限の家電製品をまとめて買って新生活をスタートさせたのだが、殆どが壊れたり、機能的に古くなりすぎて使い物にならなくなって新品に買い換えた。

テレビ、冷蔵庫、電話、ファックス、ビデオ、電子レンジは全て2代目だし、炊飯器に至っては3代目が稼動中だ。

その中で唯一生き残ってるモノがある。

洗濯機である。

Washerヘタってるどころか元気いっぱいで壊れる気配すらない。

確かに洗濯機の単純な構造を考えると壊れにくいのはもっともだ。

一槽式でモーターを使って、ただグルグル回してるだけの代物だから、壊れようがないのかもしれない。

一応、水流の強さや時間及び水位の設定などが可能で、電子制御で全自動運転出来るタイプだが、極めて単純で今の電子制御のおもちゃより低いレベルのものだろう。

毎日健気に動いている洗濯機を眺めながら、そのタフさに感謝しながらも、その元気さを恨めしく思ってしまう。

つまり、私としては、いい加減に壊れて欲しいのだ。

最新式の洗濯機を使ってみたくてしょうがない。

洗濯機は他の電化製品と比べて極めて劇的進化の少ない製品だったが、最近はかなり新しい機能・色んな特徴を備えた新製品が続々と投入されて興味がそそられる。

斜め式ドラムで出し入れが楽だからとか、節水型でオゾンを使って除菌・消臭が出来るとか、1槽式だけど乾燥機が一緒に付いていて洗濯から乾燥まで全自動だとかの機能が魅力的だ。

しかし、かといって、チャンと洗えているモノをわざわざ変えてまで、新製品を導入する気にはならない。

そこまでの価値ある新機能とは思えない。

だからこそ、壊れて欲しいと願っている。

しかし、不思議なもので、逆にいつまで、この記録を延ばせるかという興味もある。

なんといっても結婚以来、ずっと共に連れ添ってきたわけだから、天寿を全うするまで見守りたい気もする。

そんな主人の気持ちを知ってか、知らずか、今日も元気に洗濯機は回り続けているようだ。


結婚記念日

2007-09-24 21:15:25 | 日常生活

結婚記念日というと、夫婦のどちらかが記念日を忘れたとかで揉め事になるエピソードがよくドラマなどで取り上げられている。

現実の夫婦ではどうなのだろうか?

我が家では、夫婦共に毎年特に意識する事はなかったように思う。

つまり祝う事もしないし、忘れていたからって特に揉め事にもならなかったように思う。

ただし、その当日ではないにせよ、節目の5年目、10年目、15年目には、”もうそんなになるのか、お互い老けるはずだね。”って実感を持って感想を漏らしてたように思う。

そして今年、我が家では9月21日に結婚満20年を迎えた。

私もカミさんも今年の9月に20周年を迎えるらしいことは漠然と分っていたものの、正確な日付けは完全に忘れていた。

秋分の日前後だろうとは思うものの、どうしても正確な日付を思い出せなかったのだ。

そしたら結婚指輪の裏側に日付を刻印している事を思い出した。

カミさんに指輪を外して見てもらったら、9月21日だったというわけだ。

どうして、自分のを外して見なかったのかって?

それは外そうとしても外れなかったからだ。

もうかれこれ10年以上外してない、というより結婚指輪を外せない。

完全に体の一部になってしまっている感がある。

Ring つまり、購入して、はめた後で、かなり太ってしまい完全に抜けなくなってしまったのだ。

それでも結婚5年目くらいまでは、ちょっとしたコツさえあれば、何とか外せたのだが、もはや石鹸をつけても抜けない。

完全に指に食い込んでいて、まるで呪われているかのようだ。

そう言って嘆くと、自分で勝手に太ったせいで、”呪い”とは失礼なと、えらくカミさんの機嫌が悪くなる。

食い込んだ指輪のせいで、浮気もオチオチ出来ないと私が嘆いている風に聞こえるようだ。

こういう風に指輪が抜けなくなって救急車を呼ぶ人が結構いるらしく、救急隊には専用のカッターまであるそうだ。

私はカッターで切ってまで外そうとは思わず、痩せて外れる事を目標にダイエットをしてきたつもりだった。

しかし、呪いが強いのか残念ながら、今だに、その思いは果たせてない。(^-^;

結婚20周年の9月21日当日、仕事から戻ると小学校3年生の娘がニコニコして”結婚20周年おめでとう!”って祝ってくれた。

どうやら、親の会話を盗み聞いて覚えてくれてたようだ。

そして”チャンと覚えてないと夫婦は離婚だぞ!”って、ありがたくない一言まで頂戴してしまった。

「そりゃ娘よ、ドラマの見過ぎだぞ。」と思いながらも、もうそんな事を言うようになったのかと夫婦の歩いてきた道のりの長さをまじまじと感じ入ったのだった。


家族の有り難味

2007-09-19 10:14:20 | 日常生活

夫婦や家族の有り難味は普段感じることはあまりない。

元来、私は寂しがり屋なので、一人で生きていくなんて考えられず、その結果として結婚があり、子供がいるわけで、いつも回りに誰かいないと寂しいと考えている。

だから、その有り難味は、家族が存在すること、そのものなんだと思う。

煩わしいと思えるほどの家族がいる方が嬉しいのだ。

そして現実に煩わしいと思った事は殆どなく、一人でいることの侘しさの方がもっと怖いと思っている。

将来、子供が巣立ち、配偶者に先立たれでもしたら、とても一人じゃ生きていけないと、いつも漠然と感じている。

そんな老後をたくましく一人で生き抜く自信はあまりない。

娘には、早く結婚して、子供を二人くらい生んで、離婚して早く戻って来いなどと冗談を言っているが、実は本気だったりする。

娘の幸せを考えればとんでもないことを言ってるわけで、身勝手も甚だしいオヤジであるが、現実には嫁さえやりたくないのが父親としての本音である。

娘が”マスオさん”を釣ってきてくれれば、2世帯で住む事も可能なので、そろそろ娘の耳元でささやき続けて、深層心理に影響を及ぼそうなんて考えているほどだ。

息子もいるが、こっちの方は、ハナから当てにしてない。

どだい、男の子は親の影響力の範囲内に置こうとしても無駄なのだ。

自分の過去を振り返っても、それはよく分る。

勿論、家族の有り難味は寂しさを感じなくてすむということだけではない。

以心伝心は無理でも、多くを語らずとも共通の認識を持って、簡単に気持ちを共有できる事があげられる。

今年の春先にロサンゼルスへ旅行した時のことだ。

私がダウンタウンにて車を運転していた時、対向車の車を見て思わず”あっ!”と思わず声を上げてしまった。

車内に居た家族全員が瞬時にその意味を悟り、このロスに〇△さんがいるわけないだろうって突っ込みを入れてきた。

その〇△さんというのはウチの近所に住む方で、その方と全く同じ車種、色、ルーフキャリアボックスまで装備した車をロスで見かけたので、私は驚いて、つい声が出てしまったのだ。

日米で同じ車種の車があることくらい、良くある事だろうが、全く同じルーフキャリアボックスまで装備しているとなるとそうそうないと思う。

”あっ”という一言で私が思った事を瞬時に家族全員が理解し、私に突っ込みを入れながらもそんな偶然に一緒に驚き合う。

余計な説明などしなくても、自然と気持ちが通じ合うことが出来たことに、私はとっても和やかな気持ちになれたのだ。

これらの事象自体は、どうってことない、むしろつまらないことだろうが、同じ目線や価値観がある家族だから、なんか通じ合えたところにささやかな喜びがあったように思う。

家族の良さって、実はこういう所にあるのではと再認識してしまった。

全ての思いを共通認識でくくる事など不可能に近いだろうが、簡単に共有し合える土台みたいなものは日々の生活に安心感を与える気がする。

しかし、家族とはいっても以心伝心で気持ちを伝え、分かり合うことは無理である。

家族それぞれが忙しいし、表情で汲み取ることにも限界がある。

言葉に出してこその共有である。

それが出来なければ家族とは言えず、ただの同居人になってしまう。

家族の原点を見つめ言葉を掛け合うことで本当の有り難味が感じられるに違いない。

寂しさを紛らわすだけなんて言ってないで、せいぜい大事にしようと改めて思った次第である。


岩盤浴

2007-09-12 06:11:01 | お風呂・温泉

先週、久々の一人きりの平日休みがあり、”岩盤浴”なるものを初体験してきた。

子供の事を考えずにすむ、自分ひとりだけの休日を楽しんできた。

Kajyu岩盤浴は、結構ブームみたいで、ウチの近所にも数箇所あるようだ。

しかし、女性専科が殆どで、私は興味津々なのに、なかなか体験できなかったのが残念だった。

最近、近くのスーパー銭湯が改装工事を行った際、男女が利用できる設備として新設したので、ついに初体験する事が出来た。

元々は温泉地に於いて火山の噴気活動による地熱で熱せられた岩盤の上に寝そべり、入浴するというもので、低温サウナ形式のお風呂という事らしい。

低温でゆっくり温める事で大量の発汗を促し、新陳代謝を良くして健康に良いとされている。

他の美容効果を狙った設備と併用したり、癒しの空間作りをすることで女性に受けているので女性専科が多いのだろう。

何はともあれ、何でも経験したい私はどんなものなんかワクワクしながら、その温泉施設を訪れた。

最大で16人まで同時に利用できる予約制で1時間ごとのクラス単位となっている。

平日だったので、その時間帯の利用は僅か4人だったが、ある程度の人数になるまで待ってから始まるのではなく、予定通りの時間でやってくれるので空いていて嬉しかった。

最初は15分の足浴からだ。

Asiyoku小部屋の熱せられた床一面に数珠玉と同じくらいの大きさのセラミックボールがいっぱい敷き詰められている。

深さが15センチくらいあって、くるぶしより下をそのボールの中に埋めて温めるというものだ。

当然、裸足でその部屋へ順番に入っていくわけだが、「足が滑り易いので注意して下さい。」という係員の声を聞くと同時に、私は滑って転んでいた。

ホントに見事にひっくり返り、体ごとそのセラミックボールの海にハマってしまったのだ。

よく映画かなんかで床のパチンコ玉で滑って転ぶシーンがあるが、まさしくあれと同じだ。

全身を入れてどーすんだよ、ここは足浴だよ、と心の中でひとり突っ込みを入れるも、カッコ悪いったらありゃしない。

すかさず、「お怪我ないですか?」、「どこか、ぶつけられてないですか?」という係員の声が恥ずかしさに追い討ちをかける。

セラミックボールの海の中で、もがいてる状況では恥ずかしさの方が先に立ち、早く立ち上がることが先決で、そんな質問に応える余裕はない。

客商売としては当然の行動・配慮なのだろうが、こんな時は、ほんの少しだけ状況を見守ってから声を掛けて欲しかった。

ひっくり返って直ぐは何が起きたか分らず、カッコ悪い状態から一刻も早く脱したいと、もがいている最中に掛ける言葉じゃない気がする。

「大丈夫ですか?」ぐらいにとどめておいて、落ち着いてから問いかければ充分でなかろうか。

しょっぱなから、狭い部屋でこんな失態をしでかしたまま、他の客と顔を突き合わせながらの15分の足浴は辛かった。

連れがいなかったので愚痴や言い訳を言う相手もおらず、恥ずかしさと手持ち無沙汰で一人悶々としていた。

足浴の効果というより、大恥のせいで嫌な汗をかいた足浴だが、やっと終了して岩盤浴の部屋へ案内された。

Ganban照明を弱めにした薄暗い部屋には16人分の石盤が設置してあり、それぞれ低いパティションで仕切られている。(右の写真では取り払われている。)

室内はムッとするほど温められていて、まさしく低温サウナだ。

石盤のベッドにバスタオルを敷いていよいよ岩盤浴の始まりだ。

岩盤浴の簡単な仕組みや効能などのナレーションが聞こえてきて、なんだか遊園地のパビリオンのアトラクションのようだった。

一通り解説や注意が終わると、更に照明が落ち、静かな音楽が流れる。

徹底的にヒーリング効果を狙っている感じがした。

遠赤外線が石盤より出ているらしく低温なのに体の芯からゆっくり汗が染み出して、拭いても拭いても大量の汗が出てくる。

25分間の入浴中は、気持ちよく眠れるかなと期待していたが、ちょっと蒸し暑く感じられてさすがにそれは無理だった。

高温サウナに12分くらい平気で入ってられるくせに、この岩盤浴は低温サウナに関わらず後半5分は暑くて結構辛かった。

ぐっしょりと岩盤浴専用着を濡らしながらの入浴がやっと終了し、出口での冷房の効いたひんやりした空気がなんとおいしかったことか。

そして出口の待合室で出されるおしぼりが心地よく、一杯の冷水を一気に飲み干した。

体中の悪い成分が汗として全て搾り出された気がして、とっても爽快な気分だった。

確かに高温サウナとは違う汗のかき方だし、体への影響力も違っていると思う。

しかしながら、高温サウナと冷水風呂の交互入浴の方が自分の性には合ってる気がした。

私が単純に”じっくり”より勝負が早くて変化のある方法を好むに過ぎないという理由なのだが・・・。

ともあれ、1日ゆっくり滞在して普段の疲れを癒すにはもってこいで、他のお風呂や高温サウナと組み合わせることで体の芯まで温まり、心身ともにリラックスできるのだ。

この施設では食事を摂ることやマッサージも受ける事ができ、ランチと岩盤浴を含む入浴がパックになって僅か1300円だ。

入浴だけなら700円なので、それを考えると、かなりお得だといえるし、時間の制限もないので、安上がりな休日を楽しむ事が出来る。

和風、洋風のスタイルでまとめられたお風呂がそれぞれ数種類あって、日替わりで男女別に入れ替わる。

露天風呂もそれぞれ数種類あって、ウッドデッキ付きやらテレビ付きがある。

今の時期なら温まって、ウッドデッキで昼寝も実に気持ちいい。

これはオジサンの安上がりな休日の過ごし方の決定版という気がしてならない。

10月以降は土日休みから平日休みになるので、病みつきになってしまうのは間違いないだろう。

せいぜい足浴で転ばないように注意することにしよう。


台風の思わぬ影響

2007-09-07 22:04:23 | 日常生活

昨晩、物凄い雨と風をもたらした台風9号。

久しぶりに首都圏を直撃したやや大型の台風だったが、夜中から明け方にかけて上陸・通過するというのは私にとっては非常にラッキーだった。

日中だとモロに飛行機の発着に影響を与えてしまい、フライトスケジュールは乱れに乱れてしまう。

普段だと残業など殆ど無いのに、フライトが乱れれば1~2時間の残業は当たり前の世界になってしまう。

ヘタをすると残業が深夜にまで及ぶこともあり、シャレにならない。

航空会社に勤める人間としては雪と台風だけは絶対に避けたいと思っているのは、ごく普通の事なのだ。

台風や雪の来訪をどこか他人事のように静観する人もいるだろうが、この仕事をしている限りそんな気には絶対にならない。

そういう意味でホントにホッとして起きた朝だったが、別なトラブルが発生していた。

朝7時、起きるなり、カミさんに”弁当が必要になったから、よろしくね!”と言われた。

何のことかサッパリ分らず、呆然として意味を考えあぐねていると、娘の小学校が休校になって、学童保育をしてもらっている保育園が預かってくれる際、弁当が必要になるということのようだった。

それだけの事を早口にまくし立てると、カミさんはとっとと仕事に出かけて行ってしまった。

どうやら、丁度出かける時に、学校の連絡網で休校の知らせを受けたらしく、時間的に作っているヒマはもちろん無いので、9時半に家を出る私にお鉢が回ってきたわけだ。

2007_0907_084324aa急な話でどうしようか迷ったが、冷蔵庫の中の余りもので適当に作ってみる事にした。

しかし、先ずご飯が無い。

炊飯器で少量を早炊きするのもバカらしく、冷凍庫に余りもののご飯があったので、チャーハンにしてみた。

冷凍のご飯で作ると素人でもパサパサしたチャーハンが出来るから嬉しい。

メインは冷凍の牛肉とピーマンと人参を角切りにしたものを焼肉のタレで炒めた。

簡単に出来てこれは結構イケル。

ちなみに、ウチの子供達はピーマンも人参も嫌いではない。

後は、冷蔵庫に眠る食材を適当に調理して間に合わせた。

我ながらまずまずの出来である。

帰宅して娘の感想を聞くと、嬉しそうに美味しかったって笑顔で応えてくれた。

ささやかだが、こんな反応が作る人間への嬉しいご褒美になるものだ。

さらに娘が他の友達の弁当がどんなものだったかまで解説してくれた。

急な話だったので、まともな弁当を持ってきていたのは娘くらいだったらしい。

コンビニの弁当そのままという人やらコンビニ弁当の中身だけ詰めてきたとか、頑張っても”おにぎり”くらいがせいぜいで、娘としてはとても自慢に思ったそうだ。

それを聞くと一層嬉しくなって思わずニヤニヤしてしまった。

たまに作るから頑張れたけど、毎日作るとなるとこうも力は入らないだろう。

よっぽどコンビニ弁当持たせようと思ったくらいで他の子達の親の心理がよく分った。

普段、給食でいかにお世話になってるか改めて思い知らされた気がした。