こだわりの生活

ヒゲオヤジの何でもやってみよう、見てみよう挑戦日記

ネット百科事典

2006-10-28 13:24:38 | デジタル・インターネット

ウィキペディア・フリー百科事典をご存知だろうか?

ネット上に存在する百科事典のことである。

日本語版というくらいだから、オリジナルは米国か何処かにあるのだろうが大変に充実していて、面白い。

調べたい事がある時、ヤフーか何かの検索でヒットしてくる事があるのでそれとは知らずに利用していた方も多いだろう。

ありとあらゆる分野を網羅し、最近のニュース等の記事まで掲載しているとてもユニークな存在の百科事典だ。

世界と日本の歴史と地理、社会・経済、学問から芸術・芸能に至るまで守備範囲が広い。

先だってブログバトンの記事を書く際、千葉の有名人を調べたのもこの百科事典からだ。

まあ、それだけのことだったら、ここで敢えて取り上げる事はしない。

もっと興味深い点があり、未だご存じない方にどうしても紹介したかったのだ。

それは、この事典の掲載されている28万本弱の記事を支えているのが読者自身という点にあるからだ。

つまり、このウィキペディアに登録申請さえすれば、誰でも自由に自分のオリジナルの記事を投稿できるだけでなく、他人の記事も加筆訂正が可能ということなのだ。

無論記事だけでなくそれに関する写真や絵の投稿も可能である。

早速、私もヒゲオヤジで申請して、メールアドレスを入力すると簡単に登録出来てしまった。

すぐにログインして、自分の会社の記事を開いてみた。

誰が投稿したか知らないが、キチンと自分の会社の記事が正確に書かれていた。しかし、実際の社員の自分からするともっと補足出来るのも確かだった。

そこで、試しに加筆訂正したい記事の所で編集ボタンをクリックすると編集画面が開き、編集が可能になった。

必要事項を加えて恐る恐る記事更新のボタンをクリックすると、私の補足した部分がキチンと反映されているのが確認できた。

こんなに簡単に出来てしまっていいのかと思うほどだった。

登録時のIPアドレスで管理されるとはいえ、膨大な記事の管理も簡単ではないはずで、人々の善意で成り立っている事典なのだ。

人の記事を勝手に書き換えたり、公的には受け入れられない唯我独尊の記事を載せたりもできるので、健全な事典運営には参加する人の良心にすがる他ないのだ。

迷惑者は後でIPアドレスで追跡され、その登録を取り消されれるだろうが少なくとも参加する時は自由だ。そのオープンな姿勢が好ましい。

読者による、読者のためのネット百科事典。

こんなユニークな事典、他で見たことがないと思う。

ご覧になった事の無い方は、是非覗いてみてはどうだろうか。

ちなみに閲覧、参加するのに費用は一切掛からないのでお気軽にどうぞ!


世界標準時を持つ男

2006-10-25 08:36:15 | 日常生活

それは、最近電波時計を買った私のことだ。

といっても、今どき電波時計など珍しくもなく、そこらじゅうで持っているから、標準時なんて大したものじゃなく、ありふれたものになってしまったみたいだが・・・。

8月にロサンゼルスに行く際、10年は使ったと思われる旧G-SHOCKが電池切れを起こしたのをきっかけに新しいG-SHOCKを買い求めた。

Denpawchこの時計は地球を24に分割した子午線上の時間閲覧がボタン一つで可能な為、世界標準時であるイギリスの標準時を含む世界中何処の時間でもすぐ分るようになっているし、それを簡単に標準時に設定も出来るようになっている。

もともと、分、秒の単位は日本と同じで全て共通なので、電波を受信できる限り、秒単位で正確な世界標準時を常に持っていることになる。

エネルギー供給はソーラーパワーで補充しているので、この世に太陽がある限り電池切れの心配がない。

私のは普及機で3万円しないタイプのものだが、こんな凄い時計をそんな価格で製品化してしまうエレクトロニクス技術に脱帽だ。

とにかくアイデアが良い。

電波を受信さえ出来れば時間を補正して、常に正確な時を刻むというシステム。

正確に時を刻む事に熱心になって血道をあげて精巧な時計を作るより、簡単で合理的だ。

どんなに狂わない時計でも、地球の公転、自転とのズレが生じ、閏秒や閏年が発生して調整が必要になるくらいだから、正確すぎるのも考えものだ。

今までの時計と言えば、30秒くらい狂っているのが当たり前で、時間なんて、その程度で十分だったし、今でもそうだろう。

分単位で合ってれば充分で、秒単位で合ってる必要性が無く、生活に支障もない。

テレビ局のディレクターとは違うのだ。

とにかく、生活に標準時は必要ない。

しかし、時報と同じ時を刻む時計を持つのは実に気持ちが良い。

時計の時間通りにTV番組が始まり画面が切り替わる瞬間に気持ちよさを感じるのは私だけであろうか。

うまく説明が出来ないが、自分だけが正確無比な時間を持ってる事に妙な優越感みたいなものを感じるのだ。

時間には縛られていないが、標準時を手の中に入れて、キッチリ行動が出来そうな気もするのだ。

また、キッチリした時間が分った上で余裕を持って行動できる事は気持ちの上でゆとりが出るといったら大げさだろうか。

寝る時以外は時計を外した事は無く、いつでも何時か気にしている方である。

正確に2分進んでる時計が好きだった私だが、持ってみると標準時の方が更にしっくり来る感じだ。

遅刻も嫌いで滅多にした事などなく、人の集まりの悪いパーティに意図的に5分遅刻して行くことはあっても、うっかり遅れる事はない。

元々、時間にルーズでは無かったが、益々時間を意識して行動するのが好きになった。

まさに I LOVE 電波時計なのだ。


男だって・・・

2006-10-22 10:18:28 | 日常生活

私には、もうかなり前から実施している習慣があるが、何となく人前で言うのがはばかられた。

それは通常の男がやらないことなので、あえて自分がやる事を公言するとヘンな誤解を招くのかなと懸念していたからである。

ところが、新聞やテレビで私と同じことをやる男が増えているとの報道を見てホッとすると同時に自分が正しい事をやっていたと意を強くした。

Toileそれは洋式便所で座って小便をするということだ。

初めて聞く人はえっ!っと驚くだろう。

私も最初は抵抗があった。

どうも女みたいだという意識が働くので、できないというのが一般的だろう。

息子にも奨励しているが、まるで相手にされない。

どうして座ってするというかというと、おしっこが飛び跳ねて便器を汚すのを防止する為だ。

高い位置から放尿すれば相当な勢いで跳ねるので飛沫が上がり、周りを汚す。出だしで的を外せばもっと悲惨な事になる。

狭いところに押し込まれている放尿器がたまに妙にねじれている事があって、出口の形がイビツになっていると、とんでもない方向に飛んで行くことがあったり、2つの方向に分かれて飛び出すこともある。

落ち着いて形を整えるヒマも無く我慢が出来ず作業開始となるので、制御不能となってしまうのだ。

掃除が面倒なら、なるべく汚さないようにするのが賢明であるという理屈が成り立つ。

他に方法がなければ、仕方がないが、ちょいとズボンを下ろして座って小用を済ますのに大した手間は掛からない。

娘がウンチかおしっこかの見分けがつかないので、一々チェックに来るのが可笑しい。

男が座っておしっこと言うのがどうにも理解しがたいらしく、説明してもピンと来ないようだ。

遠くから『どっちなの?』って声を掛けながら慎重に近づいて『わぁーウンチだ!』と言って逃げるのはニオイで分る時である。

何故だか分らないが確認したがるのだ。

ちなみに私はトイレの扉はいつも開けっ放しである。

小2の娘とこんな他愛もないことが楽しげに出来るのも今くらいで、『扉くらいちゃんと閉めてしてよ!』と怒られるのも時間の問題だろう。

さて、私のこの習慣は、自宅用のトイレだけが対象で外では勿論、絶対にやらない。

要するに、他人のお掃除の心配はしない。

但し、大人のマナーとしてなるべく汚さないように努力はしているつもりだ。

しかし、飛び散りは防ぎようがないのも事実。

的はずしも深刻な時がある。

よく居酒屋で氷を男性用小便器に入れてあることがあるが、どうやら、あれは放尿で氷を溶かそうとする、人の心理を応用した的はずし防止策であるらしい。

酔っているだけに的はずしも相当深刻なようだ。


送迎禁止?

2006-10-18 09:04:16 | 日常生活

昨日、私が帰宅すると、娘が学校から持ち帰ったチラシで大騒ぎをしていた。

何だろうと覗き込んでみたら、学校よりのお願いと題して車での送迎、特に朝の車での送りはご遠慮下さいという内容のチラシだった。

文面は丁寧だったが断固とした口調で書かれており、有無を言わさない感じのものだった。

娘はそのまま受け取り、明日から早起きして歩かなくてはと、騒いでいたのだ。

カミさんも渋々同意して明日から大変だねなんて言っている。

何故なのか理由がよく分らないので子供からチラシをひったくって急いで一読してみた。

なるほど、学校の言い分も分る。

5クラスもある生徒の3割近い児童が朝、車で送ってもらっていて、雨の日はそれが5割近くまで達して学校前の道路が混雑して渋滞を引き起こしているという事実が書かれていた。

歩いて通学するのが本来の姿であって、車は好ましくないとされ、やめて欲しい旨が書かれてあった。

恐らく、学校付近の住民の苦情に堪りかねてのお知らせチラシに至った事は容易に想像できたが、その事は一切触れられてなかった。

どうせなら、その事も書いて、迷惑している方もいらっしゃるのでやめて下さいと切々に訴えた方が効果があると思うのだが、そうは書いてなかった。

それでは学校の自主判断でのお願いにならないので自分達の沽券に関わるとでも思ったのかもしれない。

さて、我が家ではどう対応するのか?

そもそも、学校までが遠すぎるのだ。

子供の足で40分は掛かる。

近年の物騒な沢山の子供が被害に遭っている事件の事を考えると、朝は大丈夫だと思いつつも、送って行きたくなるのが人情だ。

両親共働きで帰りは歩かせて保育所まで、学童保育をお願いしているだけにせめて、朝だけはと思ってしまうのだ。

女の子だし、気になって仕方がない。

殺人事件が頻発しなかった昔なら歩いて当然でよかったわけだが、現代は油断も隙もないし、自分達の事は自分達で守るしかないと思っているので尚更だ。

どうしようかとしばし迷ったが、すぐに解決案が閃いた。

小学校は成田山参道近くにあり、道が狭く朝は交通量も多い。

学校のまん前まで行こうとするから、大変な事態が生じるのだ。

ポイントを外せば良い。

渋滞の起こりえない学校まで2分というポイントを思いついたので、そこまで送っていくことにした。

さっそく今朝そこまで送っていったが、何の問題も無さそうである。

そのポイントまで行けば、沢山の児童が歩いているし、交通安全で旗振りしているオバさんもいるし、多分安全だろう。

渋滞の原因に関与しない事には協力をするが、娘を送っていく事は断固続けていく事にしたヒゲオヤジだった。

これって親の我が儘・エゴになるのかな?


私の裏ブログ

2006-10-15 15:23:29 | ブログ

Higeoyajiブログというものにハマって1年以上が過ぎ、いろんな方との出会いがあった。

実に多くの生き方や考え方を知って、励まされ勇気付けられた。

共感していただける思いが沢山あればあるほど、自分自身がブログを続けてきて良かったと心から思えたのだった。

しかし、全部が全部、共感を得るものではないし、反発や反感も当然あるだろう。

長年ブログを通じて培ってきた友人関係にある方達と自分の主張や考えが異なる場合その表現に苦労してしまう。

自分の考えをズバリ書くことはそれはそれでスッキリするわけだが、読む人間の神経を知らずに逆撫ですることにもなってしまうことがある。

下手をすると誹謗中傷なんて事にもなり兼ねず、その表現に本当に苦労する。

昨年の秋から今年の初めにかけて、そんなことが実際に何件かあった。

そうなってくると、私の方もテーマの選び方から表現方法に至るまで何か制限がかかってきたと窮屈に感じる事もしばしばだった。

どこかにその捌け口を求めて実験としての裏ブログを開設したのはその頃だった。

とにかく、全くの白紙の状態から本当に自分の言いたいことを綴る実験ブログをやってみたかったのだ。

アフィリエイトもやってみたかったし、しがらみのない状態で自由にすき放題に書くことが物凄く魅力的なものに見えたからだ。

書いてみてすぐ分った事だが、自由に書くといっても、それほど好き勝手に書けないものだ。誰が見に来るか分らないので、逆に怖い面もあるし、閉じ込められていた鳥篭を脱け出せたと思ったものの、目に見えない檻からは所詮出れない気がした。

アフィリエイトもすぐ挫折した。何となくでスタートしても全然ダメだったし、何をテーマにやっていくか結局絞り込めず、難しいものだと痛感した。

自分のフラストレーションの発散としての位置づけがブログなのに、仕事して取り組むようなアフィリエイトブログはストレスが溜まるだけのものにしかなり得ず、敷居が高すぎると感じた。

とうとう八方塞状態になってしまい、にっちもさっちも身動きが取れなくなってしまった。

現金なもので、そうなると急に何もかも面倒になって、このブログもやめたくなってしまったのだ。

今年の春先に一時休止宣言したのはそのせいだったのだ。

何日か休む事で自分の心の整理がつき、とりあえず2本立てで行くことに決めたものの2つのブログの違いが見えず自分1人でイライラしていた。

かといって、せっかく書き溜めたものを捨てるのも癪だったので、閉鎖する事は考えず、既に裏ブログとしての存在意義はないので、リンクで繋げて公開することにした。

一応、ネタに社会性が強く、かなり自分の考えを前面に押し出したいものはその別ブログにて書き、生活色が強いもので日々の出来事を通じて感じた事や思った事を綴るのはこのブログということにしてみた。

あくまで大まかな区別であって、厳密なものではない。

テキトーにやっていく事にした。

その裏ブログ、もとい、もはや裏ではなく別館ブログだが、多少の違和感を感じる方もおられるかもしれない。

全然ないと言われるより、あった方が存続させた本人としては嬉しいのだが、自分で決める事でもないので、来ていただける方に委ねたい。

この方法であればお好みの方へ来ていただくことで、不快な思いも多少は防げる?かもしれない。

ブログ名は『ヒゲオヤジの放談館』。

私のニックネームの方で出ています。

今後とも、『こだわりの生活』、『こだわり倶楽部』共々よろしくお願いします!