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霞ヶ浦のほとりで

徒然なるままに

念仏奉仕団(9:京都観光)

2018-04-20 23:41:28 | 思い出すまま
二日間の奉仕作業も無事に終了し、団旗のペナントリボンが一つ加えられました。
さあ、みんな楽しみの京都観光です。清水寺をはじめ有名な神社を巡りましたが、中でも三十三間堂の1001体の千手観音はありがたがられていました。
疲れたのでしょう、せっかくの名所なのにバスを降りない人も出てきて勿体ないと思いました。
お土産品はあちこちで買ってましたが、いよいよ最後の京都タワーでは心残りのないよう、土産品を選んだり楽しんでいました。私も藤の花の簪を2つ新京極で買ったのを覚えているのですが、誰にあげたのかが思い出せません。
観光も終わり、疲れた皆を待っているのは夜行列車の長旅です。もう一踏ん張りです。

念仏奉仕団(8:抹茶接待)

2018-04-17 22:40:32 | 思い出すまま
奉仕作業が一段落すると、国宝の鴻ノ間(対面所)で抹茶の接待がありました。秀吉がここで大名と対面したとか聞きましたが、はっきりしません。前年は飛雲閣で接待されたそうです。
お茶のお菓子は「松風」という京都の銘菓です。これは織田信長と11年に及んだ石山合戦において、本願寺の兵糧になり戦い抜いたという謂れがあるもので、私もお土産に買いました。
このような由緒ある場所でお茶の接待を受けて、みな遥々本山に来た歓びを感じ信仰心が深まったようです。

念仏奉仕団(7:おかみそり)

2018-04-13 21:07:08 | 思い出すまま
「おかみそり(帰敬式)」は、本来髪を剃り出家することを意味しますが、真宗では普段の生活を大切にしながら仏弟子となる決意をする儀式として、御門主様に剃刀で頭にちょんちょんちょんと三回当ててもらうのです。
これでお釈迦様の弟子になったということで「法名」を授かります。法名は死んでからの名前ではなく、仏法のもとで生きていく名前とのことです。
母も20年後の念仏奉仕団に参加して法名をもらい、何か安心したようで嬉しそうでした。その後亡くなった時にはその法名を付けてもらいました。
その当時は父母の法名をしっかり覚えいたのですが、今は全く思い出せず何とも罰当たりです。今度墓参りに帰省した時にはちゃんとメモして来ようと思います。

念仏奉仕団(6:ご面接)

2018-04-10 22:28:03 | 思い出すまま
ご面接は、御門主が奉仕団に面会してお礼を述べられたあと記念写真を撮るものです。当時は大谷光照門主(現門主の祖父)でした。
場所はその時々で御堂や百華園になりますが、奉仕団は30分ほど前に集合し手順の説明を受けます。出迎え方や頭の下げ方だったと思いますが、随分と待たされたことを覚えています。
ゆっくりと歩んで来られて御言葉を述べられたのですが、話し方が天皇陛下そっくりでした。昭和天皇と従兄弟だそうです。
全国津々浦々まで末寺を持ち、かの織田信長と争ったという本願寺は巨大な組織です。もし親鸞上人がこの場にいたら、どんな御言葉を述べられたのかなと想像しました。

念仏奉仕団(5:朝のお勤め)

2018-04-07 22:35:58 | 思い出すまま
早朝の門をくぐり広い境内に入ると、阿弥陀堂と御影堂の大きさに圧倒されます。しかし威圧感は感じさせません。この空間と空気の清々しさは念仏奉仕団ならではの体験です。
阿弥陀堂の階段を上ると、広い板廊下、すごい畳の数、太い柱、欄間の彫刻、黄金色の天蓋や菱灯籠など、さすが本山の規模は桁が違います。大勢のお坊さんの読経も迫力が違います。
ここでの勤行を終えると、鶯張りの渡り廊下を渡って御影堂に移り、同じように勤行が始まります。正面の上には「見真」と書かれた大きな額が目に入りますが、親鸞上人の諡号とのことです。過去の上人の法要日は、勤行もかなり長い時間となり、ちょっと飽きてしまいます。
このように、これまで知らなかった世界を覗いて親鸞上人に関心を持つようになりました。