徳ちゃん繁昌リポート

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【自適に実年】偶然出くわした「名護屋城跡」

2015年03月22日 | 休日通信
絶好のドライブ日和、呼子で烏賊でも食べようと車走らせたものの、ここまで来たのだからと先の「道の駅・桃山天下市」とその周辺を見て回ることにしたのでした。そこで偶然出くわしたのが大河ドラマ官兵衛でもあった「名護屋城跡」だったのです。

玄界灘に突き出た東松浦半島の波戸岬の丘陵上に位置する「名護屋城跡」、パンフレットによれば晩年の豊臣秀吉が朝鮮半島へと出兵した、いわゆる文禄の役、慶長の役の際に作られた陣城ということでした。陣城とは言え対大陸の出兵基地として作られたその城は石垣で築かれた非常に堅固かつ広大なもので、当時は大坂城に次ぐほどの規模を誇っていたそうです。こんな辺ぴな地で歴史に巡り合えるとはラッキー!?城山の頂上に立つと玄界灘の潮風が吹きつけ天下人になったような気分でしたね。また、「名護屋城」の周囲に散らばる大名陣屋跡は全部で百ヶ所以上あると言われ、徳川家康、前田利家始め蒼々たる大名が秀吉の命により集められたのでした。なぜ朝鮮出兵したのか諸説様々ですが、「名護屋城跡」とその周辺は太閤殿下の強大さと隆盛を感じる景観でした。

秀吉の死後、慶長の役が終わると「名護屋城」も解体され石垣など残存を残すほどですが、その広大な山城跡を歩くと心地よい汗が出てウォーキングにはもってこいでした。そうそう、呼子の烏賊は「桃山天下市」のお弁当に変わったのでした。


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