飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

デーヴィッド・アイク ニューズレター、2009年5月3日号

2009-05-17 20:19:42 | デーヴィット・アイク

デーヴィット・アイクのこの文章は、
ある意味で、一つの悟りである!!
良く読んでほしい。
良く読んで、得心いけば、怖れなんか無くなる!!


 このレターを読んで、溜飲が下がる人は投稿者だけであろうか? そんなことはないはずだ。そうでないことを祈りたい。


 豚(いつの間にか新型に変更されたが...笑)インフルエンザに、乱痴気騒ぎをしている多数の人もこれを読めば、きっと、落ち着くはずだ。我々は、アイクの言うように踊らされている。
 踊る人にも、理由がある。自分の本性を忘れて、奴隷化しているからに他ならない。


 アイク程でなくても、自分に誇りと自信を持とう。生命の偉大さに、永遠性に自信を持とう。誰にも支配されない本質に気づこう。人間は、大いなる意識に直接繋がった存在なのである。誰かに繋げて貰ったのでもない。始めから繋がった存在なのであり、その関係は誰にも邪魔をされることはない。但し、邪魔をされたい人は別なのだ!!


【転載開始】

デーヴィッド・アイク ニューズレター、200953日号

「なぜ僕たちはこんな風に生きているの?」…

… 「毎日がその繰り返し」

みなさん、こんにちは

今週は私の誕生日で35歳になった。私はいつも35歳で、35歳が好きだ。他にもっといい何かが出てこない限り35歳のままでよいと思う。[訳注:アイクの誕生日は1952年4月29日]

誰 もが私を57歳だと言っていた。新聞の「今日の誕生日」欄にそう書いてあったし、いくつかのラジオ番組でも「陰謀論者デーヴィッド・アイクが57歳で す。」とか「元BBCの司会者で、その後おかしくなってしまったデーヴィッド・アイクが今日57歳になりました。」などと言っていた。

私は57歳じゃない。仮に年齢などという数字が必要だとすれば私は35だ。もちろんそんなものは必要ない。でもひとつ数を教えるとしたら、それはプログラムされた慣習ではなく、自分が選んだものだろう。だから私は35歳だ。

「まさか、35歳のわけない。髪は白いし、シワだらけ、それに、昔ビートルズの最初のヒット曲を買ったって言ってたでしょう。少なくとも50に違いない。」

悪 いが、私は永遠に35歳で、それでなじんでいる。あなたが自分のことを”80歳”だと思っているなら、私はあなたの為に抗議するだろう、違いますか。人生 はがっかりするものでもある。年をとることを誇らしく思う人もいれば、不名誉だと思う人もいる。少し年をとることを別にすれば、私の気持ちは後者の人々と 同じだ。年をとるのはうんざりで、ただ不名誉なことと思うだろう。ああすっきりした。

35にしては悪くないでしょ

人々がこれほど年齢に取り憑かれているのは面白い。多くの人が最初の21年間は歳より上に見えるように努め、その後は若く見えるように努力する。それからクイズ番組に高齢者のご婦人が登場することがある。

「おいつくですか?」司会者が言う。

「今度の誕生日で88になります。」という答えが返ってくる。

私はいつもそれに続く反応が実に奇妙で困惑するものだと思う。観客は自然と割れるように喝采する。なぜ?彼女が死なないでその歳になったから?それはどういう種類の達成なのだろう?そうなっただけだ。自殺するとか何か犯すことなく何かやったのだろうか?

「生命が奪われることなく88歳にもなったことは素晴らしいことじゃないか、ブラボー…」

彼 女がもし人生でかなりいいことをしたとか、88歳はこうあるべきという決まりに従って生きたり、行動することを拒否しているというなら、手をたたいて「よ くやった」という価値もある。ところが88でただ生きているだけだって?ウ~ありえない?そんなことを言うのは多分私だけだ。私は好きな時に変人になれ る。そして常にそうありたい。

他にも例がある。「その歳じゃそれは出来ない」だ。えっ本当?私を見て欲しい。両親が自分の子供に、あれやこれをするのにはまだ幼すぎると言い、後に子供が両親にあれやこれをするには年を取りすぎだと言っているのを耳にする。

年齢は多くの基準にされているプログラムの1つに過ぎない。そしてこのプログラムの異なる地点のソフトウェアを持つ人々は、そのプログラム上のステージではどのように生き、ふるまうべきか言われることで別のプログラム上にとどまるのだ。そのように回っている。

もう60だ。人生はおしまい。マニュアルにそう書いてある。

冷 静になり、一歩下がって我々が「人生」呼ぶものを観察すればするほど、我々はコンピュータプログラムと同等のものの中で生きていることがより明白になる。 我々は自分の独自性を諦めてそれに譲り渡す必要はない。しかし悲しいことに、ほとんどの人がそうしている。今週私のウェブサイトにひとつの歌が投稿されて いたが、そのことを切実に言い尽くしている。聞いてみて欲しい。(Brett Dennen-Ain’t No Reason)

我々はどうしてこんな風に生きているのだろう?毎日そうしているのだろう?我々が囚われる必要のないプログラムに囚われていているからだ。歌は次のように始まる。

物事がこんな風なのに理由なんかない。
物事はそうやってずっと変わらない。そしてこの先もそのままだろう。
なぜ僕たちがこんな風に生きているか、僕には説明できない。毎日がその繰り返しだ。

実 は説明できるのだ。本当の、永遠の”自分”である我々の「大いなる意識」は、我々が「マインド」と呼ぶ、あるいは私が「知的マインド」と呼ぶ経路や橋渡し 役(インターフェイス)を通してこの現実を経験する。なぜなら我々はみな同じ1つのものに繋がっているからだ。我々はその異なる表現にすぎない。それは同 じインターネットに接続された複数のコンピュータが、別のウェブサイトを開いているようなものだ。

このことを次のように考えて 欲しい。インターネットに接続したいのにできないとしたら、ワールド・ワイド・ウェブ(www)を体験することが可能なルートやインターフェイスが必要に なる。このインターフェイスをコンピュータと呼んでいる。そして「知的マインド」は同じことを限りなくより高度な規模で行っている。

身 体と「知的マインド」は本質的に1つのユニットであり、これらがこのわずかな周波数の範囲であるこの「世界」を経験するための乗り物を提供することで「大 いなる意識」に仕えるなら、すべては良好だ。しかし我々が自分を「知的マインド」だと考えるようになると奴隷状態が始まる。

そしてもちろん、ほとんどの人々がそう”考えて”いる。「考える」の一語に尽きる。なぜなら我々は自分自身を自分の思考と同一化し、思考が自己を支配することを許すからだ。フランスの哲学者ルネ・デカルトは自己をこう定義している。「我思う、ゆえに我あり」。

し かしデカルトは我々がマインド、あるいは「知的マインド」であるという幻想をもたらした。そうではない。我々は「大いなる意識」だ。それは思考しない。そ れは知っている。そして我々に直感を通して話しかける(我々は独り言をいう)。「我知る、ゆえに我あり」がより正確な言い方であり、「我あり、ゆえに我あ り」だと尚いい。

頭の中で際限なくおしゃべりをして考えるのが「知的マインド」だ。そして自分が「知的マインド」だと考えてい るなら、我々にそう言っているのは「知的マインド」だ。あまりに多くの知覚レベルでこの現実が操作されたおかげで、「知的マインド」は、その中で独り言を いう閉じた回路になってしまった。それは自分の尾を飲み込んでいる蛇のようにグルグル回り続ける。

一 旦この状態に陥ると、我々のすべての観点、注意力は「知的マインド」の世界だけを知覚するようになる。そして我々は「大いなる意識」の欠落したマインドで できた世界に住む、マインドでできた人間になる。世界規模の陰謀の中核と基盤はすべて、人々を「知的マインド」に留め、よってより広い意味での無意識状態 に留めるように設計されている。

「知的マインド」の知覚はコンピュータのようなもので、規則や規定、行動の反復を好む。行動を 見るだけで「知的マインド」に著しく支配されている人を特定できるのはそのためだ。絶え間なく繰り返しているか?決められた行動から安心感を得ていて変化 がない?ヒエラルキーに服従する?「知的マインド」はヒエラルキーやシステムが大好きだ。

あの歌で問うていたように、なぜ我々はこんな風に生きているのだろう?それは人々が「知的マインド」の操り人形だからだ。

イ ンターネットに接続すると、突然コンピュータが乗っ取り、どのサイトに行き、それをどう考えるか決めるとしたらどうだろうか?これと酷似したことが起きて いる。そして注意力と焦点が「知的マインド」の中にあるため、我々は自分を「知的マインド」だと考え「知的マインド」が支配する。

ほ とんどの人があまりに予測可能なのはこのためだ。「大いなる意識」はすべての可能性であり、一方「知的マインド」はそのプログラムに書き込まれた可能性の 限定的な意味を認識するだけだ。従ってマインドでできた人々は必ず、「知的マインド」の基本状態である怖れによって支えられた自我と「生」の限界について 考える。大衆を操る人々は、このことをすべて理解している、そしてこの知識を容赦なく用いて世界中の人々を、私には出来ない、ちっぽけな私、怖れといった 限界に陥れるのだ。

先日私の息子ジェイミーが学校から帰ってくるとこう言った。「パパ、豚インフルエンザって一体何のこと?」

「なんできくの?」と私

「だって学校じゃ、みんなそのことでビクビクしているんだよ。誰かがクシャミをするたびに、みんな顔を見合わせるの。」

最 後に調べた時、発生源らしいメキシコは、その子供たちが住んでいる英国南部のワイト島から5,000マイル以上離れていた。執筆中、メディアがメキシコで は人口1億1千万のうち160人が死亡したと言っていた。しかし水曜日に世界保健機構(WHO)の患者安全向上プログラム担当のヴィヴィアン・アランは、 メディアがその時152人と伝えていた一方で、死亡者は世界中でたった7人だと言っていた。

神経外科医で作家、講師、ワクチン 専門家のラッセル・ブレイロック博士は今週、メキシコで死者が出た理由を「人口の過密さ、栄養不足、全般的に弱い免疫力」に求めることができ、「メキシコ にはこれらの条件がすべて揃っている…そして[これらは]…ほとんどあらゆる感染症から死にいたらしめる確信的処方である」と述べた。

豚がインフルエンザで頓(トン)死した。

世界の人口は70億に近づいているが、WHOによれば、私が執筆中の段階ではまだ、「メキシコの豚インフルエンザ」だと公式に確認された患者数は世界中で257人、8人が死亡、メキシコで7人、アメリカで23ヶ月の乳児が一人だ。

当然この数は増えるだろう。しかし毎年多数の人々がいずれにせよインフルエンザにかかる。違いはその知名度の大きさだ。

週後半の世界の状況は次のようになっていた。

WHOは木曜日に、世界標準時17:00まで豚インフルエンザの感染者数は世界中で257人まで増加したと述べた。

確認されたH1N1の感染者数が最も多い国はアメリカで109人、うち1人が死亡、ついでメキシコの97人でうち7人が死亡。

カナダは第3位で19件、スペインは13件、英国は8件の感染がある。

ドイツとニュージーランドはそれぞれ、3件の豚インフルエンザの感染があり、イスラエルは2件、オーストリア、オランダ、スイスは1件のこの病気の感染がある。

英国の人口は6千万以上だ。そして今週の木曜までの豚インフルエンザの感染は8件で、当局は全員回復しつつあると言っていた。問題ない。

それなのに、ここではジェイミーの学校の子供たちが、誰かが鼻をすすりそうなになるたびに、それを見つめておびえている。「知的マインド」は恐怖で震えるだけでなく、都合のよいドラマが好きなのだ。

私が「知的マインド」という視点から退くにつれ、私の人生ではドラマがより少なくなっている。最初はそれが少し退屈だった。しかし人間の「事件」依存症の「禁断症状」を一度乗り越えると、ずっと快適になった。すると、なんとまあストレスがなくなったことか。

ス トレスは「知的マインド」がドラマを求めることからくる。それが頭の中にしかなくても、実際それがすべてドラマになる。ストレスを感じるものについて考え てみよう。するとそれは体を刺激しストレスという化学変化を伴う反応を起こす。そのドラマを実際に経験する必要はなく、想像するか、恐れるだけでいい。

ス トレスから開放された時の化学物質はそれ自体中毒になりうるもので、定期的に「麻薬の注射」を打つために、「知的マインド」は麻薬を生むドラマをつくり続 けなければならない。私の母がそんな感じだった。常にグラスに酒を注ぎ足すように、ドラマがすべてだった。父も同じだ。彼は怒り中毒で、母は憂鬱と心配の 中毒だった。頻繁だったり極端だったりするが、ほとんどの人がある程度似たようなものだ。

ジェイミーの学校の子供たちは今週、 プログラムに反応して化学的に麻薬注射を打ったようなものだ。世界中のメディアが「死に至る」インフルエンザのパンデミック(世界的流行)についての、終 わりがないヘッドラインによって火をつけた豚インフルエンザのヒステリーは、精神に及ぼすハリウッドのパニック映画のようだった。そして「知的マインド」 はこれを最大限活用していた。

多くの映画やドラマの中では、現代の街灯が1706年の映画のセットにあるといったことについ て、疑わず鵜呑みにして記憶を閉じる必要があることに気がついたことはないだろうか?もしそうしなければ、ドラマはそのインパクトと信憑性を失う。まあマ インドのドラマはそういうものでもある。

ここに新聞の見出しがある。

英国でインフルエンザによる死者5万人の可能性も

そんな馬鹿な!!!みんな死んじゃうんだ・・・、怖いよー

ちょっと待って、落ち着いて。大丈夫。間違えて一語抜かした。

英国で鳥インフルエンザによる死者5万人の可能性も

これが正しい。それと年を言わなかったが…2005年だ。

この見出しは英国主席医務官リアム・ドナルドソン卿の発表に関連している。この輩はあまりに無能なので、私は自分のうがい薬の処方もさせない。彼は三年後の今、豚インフルエンザの反応を率先して左右する立場だ。デジャヴ(déjà vu既視感)、あるいはデジャフル(déjà flu既に起きたことがあるインフルエンザのような感じ)とはこのことだ。

ド ナルドソンとその仲間は英国のすべての家庭に小冊子を配布しインフルエンザの拡大をとめる方法を助言している。そして政府はドナルドソン自身がほとんど役 立たないと言っているにもかかわらず、「緊急に」マスクの備蓄を増やそうとしている。これもすべてドラマに加えられる。

「まだ冊子をもらってないの?」

「もらったわ、怖いわね。心配でたまらないの。」

「すいません、何ておっしゃいました?マスクのせいでよく聞こえません。」

ダメ、笑わないオオー、よく似合いますよ

鳥 インフルエンザとSARSが出現した時、我々が今日目撃している同じパニックが起きた。テレビニュースはちょうど今しているのと同じように世界のどこで起 きたケースも細かく数え、記録した。パンデミックが起きることになっていた。「死体はないか(bring out your dead)」。SARSウィルスはどうなっただろう?

豚インフルエンザそのものは1976年にもあった。今日と全く同じように世界の脅威だと思い込まされた。このビデオを見れば、いかに大衆の恐怖が組織的に煽られたか、そして一時的な流行が終わると二度と起きなかったことがわかる。ここをクリック

アメリカ人の健康問題活動家、ラッセル・ブレイロック博士は1976年の「恐怖」を個人的な体験から記憶している。

「1976年の最初の豚インフルエンザ恐怖の時、私は軍にいました。当時兵士全員が豚インフルエンザの予防接種を受けることが義務化されました。軍医として私はそれを拒否し、あやうく軍法会議にかけられるところでしたが、軍は評判が悪くなることを好みませんでした。ウィルス学の専門家が断言したにもかかわらず流行は起きなかったのです
 
実際に起きたのは500件のギランバレー症候群で、うち25名が死亡しました。これは豚インフルエンザに自体よるものではなく、ワクチンの直接の結果でした。当時ジェラルド・フォード大統領は疾病対策センターの進言に基づきアメリカ国民全員への予防接種を求めました。
 
それから33年にもなりますが、今日我々は同じような顔ぶれのウィルス学の専門家から発せられる警鐘を耳にしています。製薬会社は、ワクチンが関係する別の疾病が自分たちの稼ぎ時を台無しにしうる前に、この政権が予防接種を義務化することを期待して豚インフルエンザワクチンの開発に忙しいのです。」

そう、すべてが以前、全く同じように起きたことがあるのだ。

しかし、「知的マインド」がデジャヴ(既視感)を働かせずドラマの効果を薄めて予測されたオチにならなかったならば、以前のドラマは門に守衛が張っている記憶のない領域に身を引くのだ。

人生はあまりに退屈だ、だからドラマをつくろう。何でも危機にしてしまおう。おい、こんなことはやめようよ。

だが人々はそうする。家庭や仕事での、あるいはニュースに登場するどうでもいい小さなことがすべて大げさに拡大され、「知的マインド」のドラマ依存症に寄与するのだ。世界中が舞台で、我々はプレーヤーだ。そう、もし我々が許せば、「知的マインド」が脚本を書くことになる。

世 界の出来事の背後にいるイルミナティの血族は、事あるごとにこの依存症を利用する。経済的なレベルにおいてすら、彼らの操作者がつくり出した需要に応えて タミフルのような薬を売ることでさらに新たな富を得る。9/11とイラク侵攻当時「国防」長官だったドナルド・ラムズフェルドと地球温暖化詐欺の指導者ア ル・ゴアはともに、インフルエンザ薬に行なった彼らの巨額投資により、豚インフルエンザから棚ぼた式に大金を得るのだ。

全然そうならなかった鳥インフルエンザの「大流行」対策として、前回政府がタミフルを備蓄したのは3年前だった。興味深いことに、タミフルの使用期限は3年だ。

し かし鳥インフルエンザ騒ぎの時、タミフルを投与された日本の子供たちに、深刻な心理的問題が生じた。窓から飛び降りて死のうとした子もいた。そしてアメリ カ食品医薬品局はタミフルによって精神障害、幻覚、心肺疾患が起きること、そしてこの薬を飲んだ子供たちのうち12人が死亡したとレポートに書いている。

 

それでもこれらのつくられた「知的マインド」のドラマは、子連れで並んでいる人々にこのクズを飲ませるだろう。私がここで概略を述べたことは、ひとりの生徒が豚インフルエンザと診断されたある学校についての英国報道ニュースの中で、ひとまとめにやってくる。

「自分たちのクラスメートが致死力のあるウィルスを持っていたと聞かされると、生徒たちはシクシク泣いた。怒った親たちは危険について知らされないままにされたと主張した。

『先生がひとり入って来て、何が起きている話したの、そして私たちがこれからお家に帰るように言ったわ。みんな泣き始めて、鼻をつまみ始めたの。私はその女の子をよく知っているわ。いい子よ。その子が心配なの』ある女児童は泣きながら、もらったばかりのタミフルの錠剤を握りしめて去った。」

豚インフルエンザにかかったその少女は、メキシコから帰国したばかりだったが、現在元気だ。ばか騒ぎと「豚インフルエンザ」という銘柄がなければ、インフルエンザにかかった生徒がひとり学校を休んだという症例にすぎないだろう。誰も別の考え方をしようとしない。

しかし人々が馬鹿げたメディアの言うことを信じ、恐れとドラマに中毒になっているために、手品ショーの舞台で引きたて役を演じることになる。はい好きなカードを1枚引いて、豚インフルエンザ、9/11、地球温暖化、どれでもいいよ。

こ れによって我々にあらゆる形の強制がもたらされる。その中には集団予防接種の義務化計画が含まれる。今週マサチューセッツ州議会は「パンデミック」法案 (戒厳令)を通過させた。これは知事が物資の分配に軍を使用することを可能にし、地元当局が許可なく個人宅に入ることを許すものだ。

オバマを直接支配する大統領補佐官ラーム・エマニュエルが述べたように、「決して誰も深刻な危機が無駄になることを望まない」というわけだ。とりわけ、彼が生まれつきの嘘つきでなかったら、「もしその危機が目的のためにつくられているなら」と付け加えたことだろう。

我々が操られ、抑圧され、支配されるのは「知的マインド」を通してだ。そして我々が自分自身を操り、抑圧し、支配するのは「知的マインド」を通してだ。だが我々は「大いなる意識」であり、それはこのようなものである必要はない。

物事がこんな風になっているのに理由なんかない。

ところが理由がある。それは我々という「無限の存在」を「マインド」に明け渡すことだ。

物事はそうやってずっと変わらない。そしてこの先もそのままだろう。

その通り、物事はそのように変わらない。しかし物事がこの先も同じままかどうかを決めるのは我々だ。

?????????????????????

【翻訳委員会◇D】

【転載終了】


不思議な少年!! その38

2009-05-17 19:36:26 | 物語

イエス駱駝(らくだ)を提供される。巡遊歌人の教訓!!


 巡遊歌人の教訓は、意味深である。読みようもあるが、1万年間誰が生きながらえよう。つまり、イエスは人を肉体として見ていないことに起因する。魂の永遠性を洞察したイエスならばこそ言える言葉である。


 彼ら巡遊歌人は、永い転生の歴史の中で、繰り返し音楽に携わった魂であることを見抜いたのである。そうでなければ、こうした表現は出来ないし、こうして特段の扱いをする必要もない文章である。

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ふるいち まゆみさんの写真はいつも素敵だ、つい拝借記事には無関係>


 そして、イエスの富みに関する言葉は、この世的に言うなら逆の発想である。与えよ、さらば与えられん、を彷彿させる言葉であるが、物質偏重の思いからは、決して相容れられない。イエスは物質として人間を見てはいないからである。又、この世界も物質中心には見ていない。物質は無限の愛の変化したものであるから、愛を獲得するものは富む。愛を獲得することは、即ち、与えることによって可能だと説いている。


 しかし、これが最も難しい悟りでもある。 


 

イエス駱駝(らくだ)を提供される。ラホールに行きアジャイニンの家に留まって教える。巡遊歌人の教訓。旅行を続ける。


 

 イエスがカシミヤの谷を行く時、たまたま一団の隊商がそこを通りかかつた。一行は五叉(いつまた)川の地、手(ハンド)の町なるラホールに向っていった。商人たちはこの予言者の言葉を聞いていたし、レイでの力ある業を見ていたから、この再会を喜んだ。


 彼らは、イエスがこれからラホールに行き、それからシンド河を渡り、ペルシャから更に遠く西方に行こうとするのに、乗物にする動物もないことを知ったから、鞍(くら)そのほかの装具の整った一頭の逞しい双峰駱駝(ふたこぶらくだ)を無料で彼に提供した。かくてイエスは隊商と共に旅することになった。


 イエスがラホールに着くと、アジャイニンを初めほかのブラマ憎たちが、喜んで彼を迎えた。アジャイニンは数ヶ月前、ベナーレスで、夜間イエスに逢いに来て、その真理の言葉に接した僧侶であった。イエスはアジャイニンの家の客となり、アジャイニンに多くのことを教え、また治療術の秘法も伝えた。イエスは空気、火、水の霊を支配する方法を教え、赦免の秘義、罪悪の消滅を説明した。


 或る日、アジャイニンはイエスと共に寺院の門口に居ると、一団の巡遊歌人と楽人がしばし庭先に留まって、歌ったり踊ったした。その楽の音(ね)は朗々として玉をころがすようであったので、イエスは嘆賞して言った、


 「この土地の教養ある人々の間でも、ついぞこの荒野の無骨な子らに見られるような妙(たえ)なる音楽は聞いたことがなかった。この才能、この力はどこから来るか。彼ら一代の間だけでは、到底こんな音声美や、こんな韻律の法則にかなった知識を会得する筈がない。

 人々はこれを奇才と呼ぶだろう。奇才など言うものはない。万事が自然の法則の結果である。この人々は若くない。かかる神聖な表現に富み、こんな純真な音声感触を演出するためには、千年の歳月でも足りはしないだろう。

 一万年のむかしこれらの人々は和声法に精通していた。そのむかし彼らは忙しい人生の巷を踏みながら、鳥の妙なるメロディに耳を傾け、これを完全な形とし竪琴で奏でた。彼らは再び来て表現の多種多様な発表から更にほかの音調を学んだ。

 これら放浪者は天のオーケストラの一部を構成し、完全円満な国土にあっては、天使すら喜んでその演奏を聴くだろう。」


 イエスはラホールの一般民衆を教え、病人をいやし、そして人を助けることによって生活の向上に進む方法を示した。彼は言った、


 「われわれは自分が手に入れて置くもので富むのではなく、唯一の所有物とは人にほどこすものだけである。もし完全な生活を送ろうとするなら、同胞のため、また下等な生活様式と思われている人々のために、自分の生命を捧ぐべきだ。」


 しかしイエスはこれ以上長くラホールに滞留すること出来ないので、僧侶やほかの友人に告別の言葉を残し、駱駝に乗ってシンド河を指して旅立った。


 


【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】

             

        第七部 チベットと西インドでのイエスの生活と行動


第三十七章 イエス駱駝(らくだ)を提供される。ラホールに行きアジャイニンの家に留まって教える。巡遊歌人の教訓。旅行を続ける。


1)イエスがカシミヤの谷を行く時、たまたま一団の隊商がそこを通りかかつた。一行は五叉(いつまた)川の地、手(ハンド)の町なるラホールに向っていった。

2)商人たちはこの予言者の言葉を聞いていたし、レイでの力ある業を見ていたから、この再会を喜んだ。

3)彼らは、イエスがこれからラホールに行き、それからシンド河を渡り、ペルシャから更に遠く西方に行こうとするのに、乗物にする動物もないことを知ったから、

4)鞍(くら)そのほかの装具の整った一頭の逞しい双峰駱駝(ふたこぶらくだ)を無料で彼に提供した。かくてイエスは隊商と共に旅することになった。

5)イエスがラホールに着くと、アジャイニンを初めほかのブラマ憎たちが、喜んで彼を迎えた。

6)アジャイニンは数ヶ月前、ベナーレスで、夜間イエスに逢いに来て、その真理の言葉に接した僧侶であった。

7)イエスはアジャイニンの家の客となり、アジャイニンに多くのことを教え、また治療術の秘法も伝えた。

8)イエスは空気、火、水の霊を支配する方法を教え、赦免の秘義、罪悪の消滅を説明した。

9)或る日、アジャイニンはイエスと共に寺院の門口に居ると、一団の巡遊歌人と楽人がしばし庭先に留まって、歌ったり踊ったした。

10)その楽の音(ね)は朗々として玉をころがすようであったので、イエスは嘆賞して言った、「この土地の教養ある人々の間でも、ついぞこの荒野の無骨な子らに見られるような妙(たえ)なる音楽は聞いたことがなかった。

11)この才能、この力はどこから来るか。彼ら一代の間だけでは、到底こんな音声美や、こんな韻律の法則にかなった知識を会得する筈がない。

12)人々はこれを奇才と呼ぶだろう。奇才など言うものはない。万事が自然の法則の結果である。

13)この人々は若くない。かかる神聖な表現に富み、こんな純真な音声感触を演出するためには、千年の歳月でも足りはしないだろう。

14)一万年のむかしこれらの人々は和声法に精通していた。そのむかし彼らは忙しい人生の巷を踏みながら、鳥の妙なるメロディに耳を傾け、これを完全な形とし竪琴で奏でた。

15)彼らは再び来て表現の多種多様な発表から更にほかの音調を学んだ。

16)これら放浪者は天のオーケストラの一部を構成し、完全円満な国土にあっては、天使すら喜んでその演奏を聴くだろう。」

17)イエスはラホールの一般民衆を教え、病人をいやし、そして人を助けることによって生活の向上に進む方法を示した。

18)彼は言った、「われわれは自分が手に入れて置くもので富むのではなく、唯一の所有物とは人にほどこすものだけである。

19)もし完全な生活を送ろうとするなら、同胞のため、また下等な生活様式と思われている人々のために、自分の生命を捧ぐべきだ。」

20)しかしイエスはこれ以上長くラホールに滞留すること出来ないので、僧侶やほかの友人に告別の言葉を残し、駱駝に乗ってシンド河を指して旅立った。


 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  

SECTION VII<o:p></o:p>

ZAIN<o:p></o:p>

Life and Works of Jesus in Tibet and Western India<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

CHAPTER 37<o:p></o:p>

Jesus is presented with a camel. He goes to Lahore where he abides with Ajainin,
whom he teaches. Lesson of the wandering musicians. Jesus resumes his journey.
<o:p></o:p>

A CARAVAN of merchantmen were journeying through the Kashmir vale as Jesus passed that way, and they were going to Lahore, a city of the Hand, the five-stream land.
2) The merchantmen had heard the prophet speak, had seen his mighty works in Leh, and they were glad to see him once again.
3) And when they knew that he was going to Lahore and then across the Sind, through Persia and the farther West, and that he had no beast on which to ride,
4) They freely gave to him a noble bactrian beast, well saddled and equipped, and Jesus journeyed with the caravan.
5) And when he reached Lahore, Ajainin and some other Brahmic priests, received him with delight.
6) Ajainin was the priest who came to Jesus in the night time in Benares many months before, and heard his words of truth.
7) And Jesus was Ajainin's guest; he taught Ajainin many things; revealed to him the secrets of the healing art.
8) He taught him how he could control the spirits of the air, the fire, the water and the earth; and he explained to him the secret doctrine of forgiveness, and the blotting out of sins.
9) One day Ajainin sat with Jesus in the temple porch; a band of wandering singers and musicians paused before the court to sing and play.
10) Their music was most rich and delicate, and Jesus said,
Among the high-bred people of the land we hear no sweeter music than that these uncouth children of the wilderness bring here to us.
11) From whence this talent and this power? In one short life they surely could not gain such grace of voice, such knowledge of the laws of harmony and tone.
12) Men call them prodigies. There are no prodigies. All things result from natural law.
13) These people are not young. A thousand years would not suffice to give them such divine expressiveness, and such purity of voice and touch.
14) Ten thousand years ago these people mastered harmony. In days of old they trod the busy thoroughfares of life, and caught the melody of birds, and played on harps of perfect form.
15) And they have come again to learn still other lessons from the varied notes of manifests.
16) These wandering people form a part of heaven's orchestra, and in the land of perfect things the very angels will delight to hear them play and sing.
17) And Jesus taught the common people of Lahore; he healed their sick, and showed to them the way to rise to better things by helpfulness.
18) He said,
We are not rich by what we get and hold; the only things we keep are those we give away.
19) If you would live the perfect life, give forth your life in service for your kind, and for the forms of life that men esteem the lower forms of life.
20) But Jesus could not tarry longer in Lahore; he bade the priests and other friends farewell; and then he took his camel and he went his way toward the Sind.

<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>【続く】


新型インフルエンザとケムトレイル!!

2009-05-17 13:09:51 | パンデミック・フルー

とうとう日本でも、人・人感染が始まった新型インフルエンザ!!
巨費と人材を大量投入して水際作戦が、
茶番劇であることが証明された!!
人工散布であれば、水際作戦など所詮、
何の効果も有り得ようはずがない!!


 信じようと信じまいと、既に国内感染が始まっていると言うことは、国内にウィルスが多量に『散布』されていることは証明された。感染者は氷山の一角である。潜伏期間は7日間と言われているから、潜在感染者はその何十倍にも及ぶ。これは論理的帰結である。


 感染経路はと言うと、特定されていない。渡航ルートではないことははっきりしている。ならば、空中散布しか考えられないではないか。豚が空を飛ぶはずがない。その他考えられるのは、人為以外にない。ワクチンに混入したことも考えられるが(これは実際にあったことである)、感染当事者がワクチンを7日間以内に投与したとは報じられていないから、可能性は空中散布が最も考えられる。

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<大阪市内から神戸方面の空>

 これが、素直な推理というものである。明智小五郎だって、そう推理する。

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<大阪守口市の写真>

 そこに、ケムトレイルが存在する。物証を求めようとすれば、可能だが、その意向は全くない。関係当局には、全くない。だから、素人が推測するのである。

 直近でのケムトレイルは頻繁だ。空を見上げればケムトレイル。あきれてものが言えない。


 犯罪捜査は、疑って掛かるのを常套とする。ならば、疑うべきだ。花粉を採取する技術があるのだから、感染地域の空中のゴミ・花粉・異物を徹底採集して、培養検査を丹念に行えば、端緒を得ることが出来るであろう。

 


 ケムトレイルが、妄想・陰謀として排除する前に、すればいいのだ。

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<奈良県:いずれの写真もhttp://hidemaro36.bbs.fc2.com/ より引用>

 ケムトレイルは実在する。ドイツ政府が認め、米国政府も気象目的には認めた。様々な機関がその追及をしている。そして、散布物質についても、物証が挙げられている。内部告発もある。その中には、明確にバクテリア・ウィルス散布が言及されている。つまり、自白があり、状況証拠があるのだ。普通はそれらが有れば、捜査を開始するのが、犯罪捜査ではないのか。


 近時の大阪周辺のケムトレイル写真と、動画を掲載する。動画は再掲となるが、良く纏まっているので、スペイン語かポルトガル語か分からないが、その分を選んだ。雰囲気は了解出来ると思う。

 そして、ケムトレイルを散布する作業に干渉するUFO動画を合わせて、掲載する。この事はマシュー君のメッセージを彷彿させる動画である。


 いずれにしても、懲りない面々が、しびれを切らして、やりたい放題ではあるが、大した問題ではない。新型インフルエンザは、これまでのインフルエンザに比べて大したものではない。もし罹っても、丁度の休養ぐらいに安静にしていれば済む問題である。まだ、世間が乱痴気騒ぎをしているわけだから、そうもいくまいが、それは騒がすことが目的であるのだから、あきらめて従うしか有るまい。しかし、心配は無用である。


CHEMTRAILS - EL INFORME EXCLUSIVO
http://www.youtube.com/watch?v=t3HzyXJE9oc
</object>。 

UFO interference against tankers that destroy a cloudy system (ケムトレイル散布に干渉するUFO)
http://www.youtube.com/watch?v=VYQuTMdQONI    
</object>。

 


【参考資料転載開始】

2006年06月29日

米国政府・空軍により推進される「ケムトレイル計画」の深層

 戦闘機により1、2時間ごとに絶える事なく薬物が散布され、散布された地域に住んでいる全ての市民が、強制的に薬物を吸い込み病気にさせられるケムトレイル計画。
 散布されるのは濃度の薄い毒物、またはブルセラ菌(風邪に似た咳、喉の痛み、熱を引き起こす)などの病原菌であり、軍隊は、どの菌を、どの程度の量、どの高度から散布する事が一番有効か、散布した地域の病院からの患者発生率を採取し統計を取っている。市民全員への強制的な人体実験。

 ケムトレイルは現在の実験段階を越えると、やがて濃度を濃くした本格的な毒物が散布される段階に入る。その最終目的は2つに分かれる。

A. 反戦デモ等の起きている地域、反戦デモ会場等に、マスタード・ガス、サリン・ガス等を散布し、戦争に反対する人間達を全員殺害し、反戦運動を撲滅する。

B. 地球上で生産出来る食料、石油等のエネルギーには限界がある。それに対して人口は爆発的に増加しつつある。この矛盾を最も適格に把握しているのが石油開発に従事している業者、ロックフェラー一族等である。
 富裕層が豊かな生活を維持して行くためには、爆発する人口を「減らす」必要がある。富裕層が「人種的に劣る」と判断した人種、または貧困層の住む地域に病原菌、毒物を散布する事で「不要な」人間達を全員殺害すれば、資源の「効率的な」使用が可能になる。
 日本人にだけ、あるいは黒人にだけ発病するように、遺伝子操作を加えたペスト菌、コレラ菌を製造する事は簡単である。

 ケムトレイル計画の目的は、反戦運動の撲滅、と「劣等人種」と貧困層の皆殺し、大量虐殺、つまり地球全体のアウシュヴィッツ化である。

1. 第二次大戦中、日本は中国に侵略を行い、黒竜江省のハルビンに生物化学兵器(以下BC兵器)研究所を作った。悪名高い石井四郎、内藤良一を中心とした陸軍731部隊は、中国人3000名に対しコレラ菌等による過酷な人体実験を行った。
 しかし、軍人にバイオテクノロジーの知識があるばずもなく、実際には日本国内から派遣された科学者が人体実験を行った。その科学者の大部分は日本の代表的薬品メーカー武田製薬の研究者であり、731部隊の実態は武田製薬満州支部だった。

2. 過酷な人体実験のデータは戦後、武田製薬の事業提携先の米国モンサント社に手渡された。モンサント社の親会社は、ブッシュ大統領一族の経営する銀行ブラウン・ハリマンであり、モンサントの子会社はラムズフェルド国防長官の経営するGDサール社である。

3. モンサントは731部隊の研究成果を生かし、ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤等を開発した。農産物を全滅させる目的で使用された枯れ葉剤の中身は、強烈な発癌物質ダイオキシンである。
 ベトナムでは現在も、枯れ葉剤の影響でたくさんの奇形児が生まれている。
  モンサントは現在、枯れ葉剤を「除草剤」として販売しているが、除草剤は雑草だけでなく農産物も枯らしてしまう。そのためダイオキシンでも枯れない農産物 の種を開発するため、遺伝子組替え技術が開発され、遺伝子組替え食品が開発された(つまり遺伝子組替え食品はダイオキシンに汚染されている?)。
モンサントは現在、世界最大の遺伝子組替え技術の特許を持つ独占企業である。

4. 米国は現在、人類を数千回、全滅出来る核兵器を持っているが、その核兵器の起爆装置の70%は、モンサントが製造している。モンサントは核兵器のメーカーでもある。繰り返しになるが、モンサントの親会社は、ブッシュ一族のハリマン銀行である。

5. 731部隊の指導者、内藤良一は過酷な人体実験の「成果」を使用し、戦後、製薬企業ミドリ十字を創立する。ミドリ十字は、汚染された血液製剤を平然と販売し、薬害エイズ事件、C型肝炎事件を起こした。ミドリ十字の実態が731部隊であれば、事件は当然とも言える。
 倒産したミドリ十字の「科学者」は全員、731部隊の武田製薬に再就職している。

6. 内藤良一は戦中1930年代、米国ニューヨーク・シティ64~68番地にあるロックフェラー研究所にBC兵器の情報収集に来ている。
 ロックフェラー研究所は米国のBC兵器開発の中心だった。石油王ロックフェラーは、その石油の運搬をブッシュ一族の鉄道王ハリマン銀行に行なわせていた。ブッシュ一族は、ロックフェラーから仕事をもらい事業家として成功した。
731部隊とモンサントの協力関係の背後には、ブッシュ一族とロックフェラーのバックアップが存在した。

7. 日本の中国侵略、満州建国の資金もブッシュのハリマンの子会社シティバンクから出ていた。
 北京でコレラ菌、チフス菌を使用したBC兵器を研究・開発していた日本陸軍
第1855部隊は、北京協和医学院という研究所を持っていたが、それはロックフェラーが運営していたものだった。

8. 日本軍の支配する満州には、ロックフェラーの一族が自由に出入りし事業を行っていた(1923年5月、満州鉄道を盗賊が襲い、乗っていたロックフェラーが人質になった臨城事件等は有名)。

9. BC兵器開発における、731部隊とブッシュ、ロックフェラーの関係は、ドイツのヒトラーに及ぶ。ロックフェラーは戦闘機、戦車用燃料をヒトラーに提供し続け、ブッシュはヒトラーの最大資金源である化学企業IGファルベンに資金を融資し続けた。
  ブッシュの資金で、ファルベンは化学兵器チクロンBガスという毒ガスを開発し、その毒ガスは、アウシュヴィッツ強制収容所でユダヤ人を大量虐殺するために 使われた。ファルベンはBASF、ヘキスト、バイエルンという3つの化学企業が合同したものだが、鎮痛剤アスピリンで有名なバイエルン社は、米国の製薬会 社メルクからアスピリンの製造許可を貰っている。
 アスピリンを開発したメルクは、ドイツではファルベン(バイエルン)を提携先にしアスピリンを売り、米国ではモンサントにアスピリンを売らせていた。
 1942年、米国政府がBC兵器の実戦使用のため作った、「戦争研究部局WBC」の委員長ジョージ・メルクはメルク社の社長だった。

10. こうして第2次大戦中、731部隊、武田製薬、モンサント、ブッシュ、ロックフェラー、ファルベン、ヒトラー、メルク・・・は、日米独のBC兵器ネットワークを形成していた。
 このネットワークの西側・ドイツではアウシュヴィッツで大量虐殺が行われ、東側・満州ハルビンでは731部隊の人体実験・虐殺が行われた。
 米国でも、ユタ州のグラニット山の山中の演習所で4000人の科学者を動員し、人体実験が繰り返された。

11. 米国でのBC兵器研究は、戦争が始まると大規模化し、ヘンリー・ スティムソン陸軍長官、ロバート・ラヴェット陸軍次官(=ブッシュのハリマン銀行の法律責任者)の手によって、ロックフェラー研究所から、メリーランド州 のフォート・デトリック陸軍伝染病医学研究所に移される。フォート・デトリックは元々、メリーランド州の州軍隊の第104飛行中隊の訓練所であり、滑走路 が整備されていた。
米国政府がそこを選んだのは、最初からBC兵器を戦闘機により空中散布(ケムトレイル)し、無差別大量虐殺を行う目的があったためである。
ガス室で使用したドイツ軍と、米国との発想の違いが、そこに出ている。
米国のBC兵器研究・開発は最初からケムトレイルだった。【転載終了】