TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

わけあって絶滅しました

2018年10月19日 | 読書日記
わけあって絶滅しました 丸山貴史 著 今泉忠明 監修 ダイヤモンド社
ざんねんないきもの事典がベストセラーになった同じ作者の本です。絶滅したいきものたちの絶滅した理由をそれぞれ話言葉でマンガチックというかギャグ的におもしろおかしく説明・紹介している本でした。ざんねんないきものやこの本がなぜ子どもたちに人気があるのかという理由がこの本を読んでみたらよくわかりました。おもしろく書かれているだけでなく、絶滅したいきものたちのそれぞれに対する愛情と尊厳がちゃんと記載されているからでもあるのでしょうと想像しました。いきものが絶滅した理由は大きく分けて二つあり、ひとつは火山が爆発するとか隕石が落ちてくるとかものすごく暑くなったり寒くなったりという地球の理不尽な環境の変化、もうひとつはより速く動けたり、より頭がよかったり、より省エネなど、自分より環境に適応したライバルに、えさやすみかを奪われて絶滅が起きるということだそうです。また、人間ほどほかの生き物をほろぼしてきた生き物はいないということもこの本の中で語られていました。こういったいろいろな地球に課せられてきた理由で、生き残ることは大変ということ、地球に生まれた生き物はいつか絶滅する運命。むしろ、生き残ることのほうが例外なのですという真実、絶滅と進化は隣り合わせのことで絶滅があったから別の種類の生き物、人間も含めて、増えるチャンスがあったということ、人間が持っている知恵や方法を駆使して、いろいろな生き物が絶滅していった理由を知っておけば、これからの地球で生き残っていく方法が見つかるかもしれないと締めくくっていた本でした。ステゴザウルスは噛む力が弱かったらしく、花をつける硬い種子植物が増えていって絶滅していったらしいのをこの本で知りました。子供向けに書かれているような本ですが、大人が読んでもおもしろい本になっていました。
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ヒアリングを終えて

2018年10月19日 | ひとりごと
先日、最初予定されていた人事のヒアリングの予定が前倒しになり、30分ほど話をしてきました。本来の人事の話よりは、この仕事に付いたきっかけなどのとりとめのないことなどの内容の話が多かったような気がします。この仕事についたのは偶然であったということ、どうしてもなりたくてこの仕事についた訳ではなかったということ、当時、たまたま同じ日に、違った仕事の採用予定のお話を二ついただき、この日、二つの選択肢のうちのどちらかを選ばないといけないことになっていたことなどの話です。先にお声掛けいただいた先で、担当の方々のうちのおひとりが、その当時の自分に取ったら気に障るようなことを言われたことで今の仕事につこうと思うとその場で伝えてしまったことがそもそもの運命の別れ目だったのでした。今の私ならそんなことを言われたくらいでは気に障ることはありません。その当時はまだ若かったのでしょうと想像します。この気に障るご発言がもしなかったら、今の仕事にはたぶんついていなかったはずです。人生の分かれ目とはこういうときのことを言うのでしょう。今となっては今の仕事のほうが自分の性に合っていた仕事だったと思いますという話を先日のヒアリング時に話してきました。この前読んだ相田みつをさんの本に、教官のいじめがなければ戦争に行くことになり、人生が変わっていたということで、このいじめた教官に今となっては感謝しているという内容が書かれていて、私もこの気に障る発言がなければ、違う仕事についていただろうと思うと、感謝しなければいけないと思います。定年まじかになってくると、今までしてきた仕事のことを振り返る日々が今よりもっと増えて来るのだろうとも思います。ヒアリングを終えて、このヒアリングも後数えるほどしかないということを再認識した出来事でした。
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大阪のおばちゃん

2018年10月18日 | 読書日記
大阪のおばちゃん 森綾 著 ソフトバンククリエイティブ 
大阪に住んでいたら普通に聞こえていたり、少しも不思議に思わなかった大阪人が普段よく使うような言葉の数々が紹介されていた本でした。作者は、前書きで大阪のおばちゃんが、市井にあって、悟りを開いている人で、時代の変化とともに、その大阪のおばちゃんが絶滅危惧種になっていると書かれていてそうかもしれないなあと思って図書館でたまたま手にして読んでみた本でした。この本の中で紹介されていた言葉の中で、昔、母親から言われたことがあった言葉は、「よそはよそ。うちはうち。」「食べてすぐ寝たら牛になるで」「よう寝るなあ。目え腐るで」「ええかげんにしいや」は言われたことがあってよく覚えています。今でも大阪では普通に使われている言葉では、「 はい。お釣り。〇〇万円。」はいろいろなお店で買い物をするとまだよく聞く言葉ですが、大阪以外でもよく言われますけど大阪の人なのかな?「行けたらいくわ」「知らんけど」はよく使っていますね。道を尋ねられたときに、「この道バーッと行ってガッと曲がったとこ」というニュアンスの説明のしかたはたまにしていたなあと笑ってしまいました。「あかん」「さっぱりわやや」とかもいまだに大阪に健在中。「今日はこのくらいにしといたるわ」は吉本新喜劇の中でよく使われていた言葉でしたね。この本を大阪で生まれたり住んだことがない方が読むとおかしく感じるのかなあ変なのかなあと思いながら読みました。ずっと大阪で生まれて大阪に住んでいたら大阪でしか通じなかったことが結構多かったのかもしれないですね。
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帰れマンデー見っけ隊!!

2018年10月18日 | ひとりごと
月曜日の晩に放送されていた『帰れマンデー見っけ隊!!』を見ました。この番組で、反町隆史さん、山西惇さん、はいだしょうこさん、タカアンドトシさんが出演されていました。京都丹後鉄道の無人駅をサイコロを振って出た目に寄ってその無人駅で下車して散策しながら最終的に天の橋立を目指していくといった番組でした。下車したそれぞれの無人駅で歩いて飲食店を探し出し飲食し、駅まで戻るというのが条件でした。反町さん以外のほかの方々が渋滞で決まっていた丹後鉄道の出発時間までに到着できなかったようで最初は反町さんが一人だけでトライされていました。次の列車に乗るためにスタッフのカメラマンさんたちが追いつけないほど目的の飲食店の場所まで走っておられたのが映っていて、普段から鍛えておられるからあんなに早い走りができるんだろうなあと思いながら見ていました。この番組はいろいろなローカル鉄道で無人駅で下りながら飲食店を捜し歩く企画をされているのを時々見かけますが、こんなに出演されている方々が走っておられるのを見たことがありませんでした。この番組で反町隆史さんがもっと気取っている方なのかなあと思っていましたが、とても気さくな方なんだなあというのがよく伝わる番組でした。雨の日はガスで見えないこともあるかと思いましたが、この日は雨でも視界がいいほうで天の橋立を見ることができてよかったですね。
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仕事で歩く

2018年10月18日 | ひとりごと
昨日は、いつもと違う仕事で、職場から約3キロくらいのところを1時間ほどかけて歩いたので、疲れ果ててしまいました。普段、花を眺めたり景色を眺めるために3キロくらいを歩くことはよくあって、そのときはマイペースですし、ゆっくりと歩くので、そんなに疲れないのですが、昨日は若くて溌剌とされていて、お元気な方々ばかりで、早いペースで歩いておられて、後を付いて行くのがしんどかったです。マイペースで歩けなかったことと、仕事ということで、3キロでも疲れてしまった次第です。万歩計を見たら、一万歩超えていました。20代の頃は、今より遠いところに職場があって、毎日、だいたい1万5000歩くらいは歩いていたので、それに比べたら、たいしたことない歩数です。やはり、年を重ねた証拠だなあと思いました。
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視点・論点「“ふつうのおんなの子”の大切さ」

2018年10月17日 | ひとりごと
先日の早朝NHKで放送されていた、JT生命誌研究館館長の中村桂子さんが論説されていた、視点・論点「“ふつうのおんなの子”の大切さ」の番組を見ました。生命科学者で生命科学関係の本をたくさん出版されている作者が今年出版されたエッセイ「『ふつうのおんなの子』のちから 子どもの本から学んだこと」という本の中で、「21世紀がどんな時代であってほしいか。考えてみると、最近の社会は私が望むものとはずいぶん違います。もちろん、いつの世も社会が問題点を抱えているのはしかたのないことですが、なんだかふつうの人がふつうに生きることができにくい方向に動いている気がしてなりません。私自身は20世紀を生きてきた人間であり、この世紀をそれほど長く生きることはないでしょうが、子どもや孫、さらにはその先の人々が暮らしやすい世の中であってほしいと強く願っています。
そこで私の思いを語ります。深遠な学問や数値からではなく、そんな気がする、そうであったらいいなという願いなのですが。長い間、生きものの研究を基本に「人間は生きものであり、自然の一部である」という事実を大切にする社会であってほしいと願ってきた立場から思うことです。 私は「日常の中で接するものやことをよく見て、自分の言葉で考え、納得しながらふつうに暮らす」という生きかたをしてきました。本を読んだり、考えたりするのは大好きですが、難しい抽象は苦手で、身近で小さなところに楽しみを探してきました。それを「女の子」、それも「ふつうの女の子の生きかた」と括り、「女の子が活躍する社会」になったら生きやすいのではないか、そうしたいという気持ちになっています。」と述べられていて、同じような事柄をこの番組内でも話されていましたので出版社の内容紹介の文章を引用させていただきました。この番組では、あしながおじさんの主人公が取り上げられていて、主人公があしながおじさんに宛てて書いた手紙が好きだと紹介されていました。普通に生きることが難しくなってきている世の中で、身近な小さなところに楽しみを見つけ普通に暮らしていく生き方とそのような生き方を承認してくれるような社会であることをこれからも願わずにはおれないなあと思いました。
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正しさをゴリ押しする人

2018年10月17日 | 読書日記
正しさをゴリ押しする人 榎本博明 著 角川新書
落度がある人を見つけてはネット攻撃する人たちや職場などでおかしいと思うことがあるとムキになって人を責める人や自分のやり方をゴリ押しする人などの実情が語られていて、立場に寄ってものごとの見え方や感じ方が違うのに、自分の考え方だけが正しいかのように自信満々に自己主張し、人の意見に耳を傾けない人が、なぜそんなに自分の正しさをゴり押しできるのかには一定の心理的特徴が見受けられるということについて説明されている本でした。その理由は、「他の視点から理屈を想像できない」、「共感性が乏しい」、「思い込みが激しい」、「熟慮しないから自信満々になれる」、「認知的複雑性が乏しい」、「価値観の違いを容認できない」、「感情コントロールがうまくできない」という理由が挙げられていて読むとなるほどと思い当たる事柄がたくさん記載されていました。この正しさをゴリ押しする行動の背後にある心理は、「生理的・社会的欲求不満」が根底にあるからとも説明されていました。読み進めて行くうちにさらに納得できる説明が付加されていました。この本の中で、正義感というものの正体はどういうものかという考え方が投げかけられていて、現代の世の中に蔓延る、「『勝ち組・負け組』の図式」、「『正しくやる』より『うまくやる』に価値観を置く社会」、「グローバル化によって壊れる倫理観」などの時代の空気が影響を及ぼしているということ、「正義の人」が正しさをゴリ押しする「危ない人」に変わる境目がどういうところにあるということを最後に説明されていて、だれもが「危ない人」に変わるような歪んだ正義感を持ってしまうことがあるという実情も教えてくれている本でした。現代の世の中に蔓延しているこのような正しさをゴリ押しする人々の発言や行いにどう対策して行ったらいいのかということには触れられておらず、自分で考えるしかないと投げかかけているような終わり方になっていました。新聞の書評を読んで読んでみようと思った本でした。
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報われない世代

2018年10月17日 | 読書日記
『正しさをゴリ押しする人』の本の中で第3章、「総活躍社会」「個人が輝く社会」というのに輝けない自分という見出しがある箇所を読むと、若い世代のもつ不公平感、中高年がもつ不公平感が記載されていました。若い世代の不公平感を読むとなるほどなあと思います。要約すると、高度成長期に生まれ育った親を持つ世代は、親の世代に比べると、自分たちの世代は、経済的にも親の世代と違って将来を悲観し、高齢化社会の福祉部分を税金で負担せざるを得ないことに納得いかないといった不公平感を上の世代と比べたら報われない世代だといった不公平感を抱いていると記載されていました。また、私の世代が該当するだろうと思われる中高年世代の不公平感を読んでも当たっていることもありました。「自分たちが若い頃は、上の人に気を遣い、年長者を尊重し、けっして自分勝手な自己主張はしないのはもちろんのこと、多少理不尽なことがあっても上の指示には従ったものだった。ところが、今の若い世代には年長者を尊重する姿勢はまったく感じられない。というより、ITに関しては自分たちのほうが強いと思うからか、学校時代にお客様扱いされてきたせいか、ディベートとか自己主張の教育を受けているせいか、やたら自分勝手な自己主張をする。しかも、自分たちが若い頃は、上司や先輩から厳しいことを言われ、何クソと発憤することで鍛えられたものだが、今の若い世代は、ちょっときついことを言うだけで、すぐに、「傷ついた」とか、「パワハラだ」とか。大騒ぎしたり、落ち込んで翌日から休んだりするため、ものの言い方に非常に気を遣う。自分たちの若い頃は上の世代に気を遣ったのに、今度は下の世代に気を遣わなければいけない。このような時代の流れも不公平感を刺激する。このようなさまざまな側面において、自分たちは報われない世代だといった不満を抱えている。」と記載されていました。報われない世代というのはどの世代にもある感情なのかもしれません。でも、戦争中はもっと報われないことをたくさんの世代の方々がそれぞれ感じておられたという事実を想像したら、今の現代に生きる人々の報われない感はまだくらべものにならないほどのことなのかもしれないなあと思いながら読んだ箇所でした。
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ダーウィンが来た!

2018年10月16日 | ひとりごと
NHKでいつも早朝に再放送されている『ダーウィンが来た!』をたまに見ています。前回はツミが取り上げられていて、今日の早朝の再放送は、托卵の特集でした。ツミは日本最小のタカだそうで、本来、豊かな自然が広がる深い山の中で暮らしていて、滅多に姿が見られないことから“幻のタカ”と呼ばれてきたらしいのですが、昨今は、東京などの都会に住むようになってきた理由や子育ての様子が紹介されていました。親鳥たちの子育ての苦労がよく伝わってきました。先程見た番組では、他の鳥の巣を見つけ、その巣に卵を産み付け、その巣の他の親鳥を騙してヒナを育てさせるという托卵の最前線が紹介されていました。托卵という方法でしかヒナを育てない代表がカッコウだったとは全く知らなかったです。托卵をされる側の親鳥たちも最近は自分のヒナと別のヒナを見分ける方法を考え出しているというのも進化していくということなんだろうなあと思いました。鳥たちの世界もいろいろ大変だなあと思いながら見ている番組です。
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いちずに一本道、いちずに一ツ事

2018年10月16日 | 読書日記
いちずに一本道、いちずに一ツ事 相田みつを 著 角川文庫
相田みつをさんの自伝的な本を図書館でたまたま見つけて読んでみました。本書は期せずして67歳で亡くなられた作者の自伝的遺稿集になった本です。『人間だもの』などの代表的な作者の本は昔何冊か読んだことがありました。それらの本には作者の生い立ちなどは記載されていなかったように思いますので、この本で初めて、ご家族の話や学生時代のお話が掲載されていたのを読み、作者がたくさんこの世に残された多くの書の言葉の数々の奥底に詰まっていた思いがよく伝わってきた本になりました。学業成績が優秀だった作者のお二人のお兄さんが家族のために上の学校に進級することを断念して、働きながら家族を支えなければいけなかった無念さや戦争で戦死したお兄さんたちの最期の言葉と遺志をしっかり受け止めて成長した作者の優しさ、旧制中学時代に教官から理不尽ないじめにも耐え抜いてそれをプラス思考に変えていく心の強さ、勝つことを念頭に置いてただひたすら自己主張するのではなく、一歩下がって自分の思いを引っ込めて相手に勝を譲る、いわば、負けることの尊さを知っている心の豊かさを持たれていた方だということがよくわかりました。このような方だったからこそ、嘘偽りのない心からほとばしる言葉の数々を書かれていた書は、時を越え、同じ目線で、誰にでも当てはまるような内容の言葉で人を勇気づけるような気分にさせてくれるのでしょうと思いました。私も、幼少のころ、かけっこなどで一番早く走っていても誰も来ないから待っていていつも追い抜かされていたような子供でしたし、昔からどちらかというと勝つことよりも負けるほうに回ることが多かったので、負けておくほうが心が安まると記載されていた作者の考え方やものの捉え方には共感が持てました。この本の中に掲載されていた『曼珠沙華』の書は、作者のお兄さんが原っぱにいっぱい咲いていた曼珠沙華の花を全部折ってしまわなければ心の平静が保てなかったどうしようもない辛さが身に沁みる書でした。この言葉に潜んでいるたくさんの意味がお兄さんのことが書かれていたこの本を読んでよく伝わってきました。ドラマで使われていた『ただいるだけで』の書もこの本の中に載っていました。この本に載っていた一つの書『みかんにはみかんの味があり、りんごにはりんごの美しさがある』昭和36年秋に書かれている作品は奥深い言葉だなあと思います。個人的にはこの書が一番いいなあと思いながら読んだ本になりました。
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