先日の早朝NHKで放送されていた、JT生命誌研究館館長の中村桂子さんが論説されていた、視点・論点「“ふつうのおんなの子”の大切さ」の番組を見ました。生命科学者で生命科学関係の本をたくさん出版されている作者が今年出版されたエッセイ「『ふつうのおんなの子』のちから 子どもの本から学んだこと」という本の中で、「21世紀がどんな時代であってほしいか。考えてみると、最近の社会は私が望むものとはずいぶん違います。もちろん、いつの世も社会が問題点を抱えているのはしかたのないことですが、なんだかふつうの人がふつうに生きることができにくい方向に動いている気がしてなりません。私自身は20世紀を生きてきた人間であり、この世紀をそれほど長く生きることはないでしょうが、子どもや孫、さらにはその先の人々が暮らしやすい世の中であってほしいと強く願っています。
そこで私の思いを語ります。深遠な学問や数値からではなく、そんな気がする、そうであったらいいなという願いなのですが。長い間、生きものの研究を基本に「人間は生きものであり、自然の一部である」という事実を大切にする社会であってほしいと願ってきた立場から思うことです。 私は「日常の中で接するものやことをよく見て、自分の言葉で考え、納得しながらふつうに暮らす」という生きかたをしてきました。本を読んだり、考えたりするのは大好きですが、難しい抽象は苦手で、身近で小さなところに楽しみを探してきました。それを「女の子」、それも「ふつうの女の子の生きかた」と括り、「女の子が活躍する社会」になったら生きやすいのではないか、そうしたいという気持ちになっています。」と述べられていて、同じような事柄をこの番組内でも話されていましたので出版社の内容紹介の文章を引用させていただきました。この番組では、あしながおじさんの主人公が取り上げられていて、主人公があしながおじさんに宛てて書いた手紙が好きだと紹介されていました。普通に生きることが難しくなってきている世の中で、身近な小さなところに楽しみを見つけ普通に暮らしていく生き方とそのような生き方を承認してくれるような社会であることをこれからも願わずにはおれないなあと思いました。
そこで私の思いを語ります。深遠な学問や数値からではなく、そんな気がする、そうであったらいいなという願いなのですが。長い間、生きものの研究を基本に「人間は生きものであり、自然の一部である」という事実を大切にする社会であってほしいと願ってきた立場から思うことです。 私は「日常の中で接するものやことをよく見て、自分の言葉で考え、納得しながらふつうに暮らす」という生きかたをしてきました。本を読んだり、考えたりするのは大好きですが、難しい抽象は苦手で、身近で小さなところに楽しみを探してきました。それを「女の子」、それも「ふつうの女の子の生きかた」と括り、「女の子が活躍する社会」になったら生きやすいのではないか、そうしたいという気持ちになっています。」と述べられていて、同じような事柄をこの番組内でも話されていましたので出版社の内容紹介の文章を引用させていただきました。この番組では、あしながおじさんの主人公が取り上げられていて、主人公があしながおじさんに宛てて書いた手紙が好きだと紹介されていました。普通に生きることが難しくなってきている世の中で、身近な小さなところに楽しみを見つけ普通に暮らしていく生き方とそのような生き方を承認してくれるような社会であることをこれからも願わずにはおれないなあと思いました。