TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

視点・論点「“ふつうのおんなの子”の大切さ」

2018年10月17日 | ひとりごと
先日の早朝NHKで放送されていた、JT生命誌研究館館長の中村桂子さんが論説されていた、視点・論点「“ふつうのおんなの子”の大切さ」の番組を見ました。生命科学者で生命科学関係の本をたくさん出版されている作者が今年出版されたエッセイ「『ふつうのおんなの子』のちから 子どもの本から学んだこと」という本の中で、「21世紀がどんな時代であってほしいか。考えてみると、最近の社会は私が望むものとはずいぶん違います。もちろん、いつの世も社会が問題点を抱えているのはしかたのないことですが、なんだかふつうの人がふつうに生きることができにくい方向に動いている気がしてなりません。私自身は20世紀を生きてきた人間であり、この世紀をそれほど長く生きることはないでしょうが、子どもや孫、さらにはその先の人々が暮らしやすい世の中であってほしいと強く願っています。
そこで私の思いを語ります。深遠な学問や数値からではなく、そんな気がする、そうであったらいいなという願いなのですが。長い間、生きものの研究を基本に「人間は生きものであり、自然の一部である」という事実を大切にする社会であってほしいと願ってきた立場から思うことです。 私は「日常の中で接するものやことをよく見て、自分の言葉で考え、納得しながらふつうに暮らす」という生きかたをしてきました。本を読んだり、考えたりするのは大好きですが、難しい抽象は苦手で、身近で小さなところに楽しみを探してきました。それを「女の子」、それも「ふつうの女の子の生きかた」と括り、「女の子が活躍する社会」になったら生きやすいのではないか、そうしたいという気持ちになっています。」と述べられていて、同じような事柄をこの番組内でも話されていましたので出版社の内容紹介の文章を引用させていただきました。この番組では、あしながおじさんの主人公が取り上げられていて、主人公があしながおじさんに宛てて書いた手紙が好きだと紹介されていました。普通に生きることが難しくなってきている世の中で、身近な小さなところに楽しみを見つけ普通に暮らしていく生き方とそのような生き方を承認してくれるような社会であることをこれからも願わずにはおれないなあと思いました。
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正しさをゴリ押しする人

2018年10月17日 | 読書日記
正しさをゴリ押しする人 榎本博明 著 角川新書
落度がある人を見つけてはネット攻撃する人たちや職場などでおかしいと思うことがあるとムキになって人を責める人や自分のやり方をゴリ押しする人などの実情が語られていて、立場に寄ってものごとの見え方や感じ方が違うのに、自分の考え方だけが正しいかのように自信満々に自己主張し、人の意見に耳を傾けない人が、なぜそんなに自分の正しさをゴり押しできるのかには一定の心理的特徴が見受けられるということについて説明されている本でした。その理由は、「他の視点から理屈を想像できない」、「共感性が乏しい」、「思い込みが激しい」、「熟慮しないから自信満々になれる」、「認知的複雑性が乏しい」、「価値観の違いを容認できない」、「感情コントロールがうまくできない」という理由が挙げられていて読むとなるほどと思い当たる事柄がたくさん記載されていました。この正しさをゴリ押しする行動の背後にある心理は、「生理的・社会的欲求不満」が根底にあるからとも説明されていました。読み進めて行くうちにさらに納得できる説明が付加されていました。この本の中で、正義感というものの正体はどういうものかという考え方が投げかけられていて、現代の世の中に蔓延る、「『勝ち組・負け組』の図式」、「『正しくやる』より『うまくやる』に価値観を置く社会」、「グローバル化によって壊れる倫理観」などの時代の空気が影響を及ぼしているということ、「正義の人」が正しさをゴリ押しする「危ない人」に変わる境目がどういうところにあるということを最後に説明されていて、だれもが「危ない人」に変わるような歪んだ正義感を持ってしまうことがあるという実情も教えてくれている本でした。現代の世の中に蔓延しているこのような正しさをゴリ押しする人々の発言や行いにどう対策して行ったらいいのかということには触れられておらず、自分で考えるしかないと投げかかけているような終わり方になっていました。新聞の書評を読んで読んでみようと思った本でした。
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報われない世代

2018年10月17日 | 読書日記
『正しさをゴリ押しする人』の本の中で第3章、「総活躍社会」「個人が輝く社会」というのに輝けない自分という見出しがある箇所を読むと、若い世代のもつ不公平感、中高年がもつ不公平感が記載されていました。若い世代の不公平感を読むとなるほどなあと思います。要約すると、高度成長期に生まれ育った親を持つ世代は、親の世代に比べると、自分たちの世代は、経済的にも親の世代と違って将来を悲観し、高齢化社会の福祉部分を税金で負担せざるを得ないことに納得いかないといった不公平感を上の世代と比べたら報われない世代だといった不公平感を抱いていると記載されていました。また、私の世代が該当するだろうと思われる中高年世代の不公平感を読んでも当たっていることもありました。「自分たちが若い頃は、上の人に気を遣い、年長者を尊重し、けっして自分勝手な自己主張はしないのはもちろんのこと、多少理不尽なことがあっても上の指示には従ったものだった。ところが、今の若い世代には年長者を尊重する姿勢はまったく感じられない。というより、ITに関しては自分たちのほうが強いと思うからか、学校時代にお客様扱いされてきたせいか、ディベートとか自己主張の教育を受けているせいか、やたら自分勝手な自己主張をする。しかも、自分たちが若い頃は、上司や先輩から厳しいことを言われ、何クソと発憤することで鍛えられたものだが、今の若い世代は、ちょっときついことを言うだけで、すぐに、「傷ついた」とか、「パワハラだ」とか。大騒ぎしたり、落ち込んで翌日から休んだりするため、ものの言い方に非常に気を遣う。自分たちの若い頃は上の世代に気を遣ったのに、今度は下の世代に気を遣わなければいけない。このような時代の流れも不公平感を刺激する。このようなさまざまな側面において、自分たちは報われない世代だといった不満を抱えている。」と記載されていました。報われない世代というのはどの世代にもある感情なのかもしれません。でも、戦争中はもっと報われないことをたくさんの世代の方々がそれぞれ感じておられたという事実を想像したら、今の現代に生きる人々の報われない感はまだくらべものにならないほどのことなのかもしれないなあと思いながら読んだ箇所でした。
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