つれづれ 2

庭の花や身近な出来事などを退屈しのぎにあれこれ綴っています。

流域紀行八王子-風景に歴史を訪ねて

2015-09-20 12:34:39 | 馬場先生の野外講座


南浅川支流 初沢川と水沢川ー高乗寺~金毘羅山~高楽寺

4月期(前期)、最後の野外講座は夏休みがあったので久しぶりです。
前日までの雨の日から一転して快晴に恵まれた一日でした。(9月19日)
まるでお天気までが私達に応援しているようです。
JR高尾駅改札口に集合、みんな元気復活で歩いてきました。


高尾線の下にある地蔵堂。
正面に「念仏供養塔」と刻まれ子育地蔵が祀られています。





大光寺の山門前です。
高尾山薬王院末、山門は薬王院から移築されています。



初沢川の流れ。



龍雲山高乗寺
高乗寺の本堂前の池の畔に、生まれ年干支守り本尊八尊仏が並んでいます。



禅宗曹洞派の名刹です。



先生のプリントのコース図に貼付されていた高乗寺境内地形図(上)と
高乗寺絵図(下)です。
馬場先生からの絵図を参考にし往時の景観を想像しながら
行ける所まで遡って歩きました。


初沢川に沿って遡る。



東(左)の尾根の向こうは湯殿川、
西(右)の尾根を越えれば案内川の谷になります。
ここ辺りで引き返した。


浅川地下壕跡
先生が「この辺りにあるから捜して見てごらんなさい…」という言葉に
田子さんが直ぐ見つけてくれた。
篠の様な木に覆われ、まるで隠れる様に見え難くなっていた。
掻き分けて近くで撮る。立ち入禁止の立札と鉄格子の濠入口が見えた。
中は暗くて何も見えない。凄い湿気の様なものを感じた。



その後、浅川金毘羅神社へ向かう
登山道ではなく表参道の入り口から入り住宅街の中をひたすら登る。
立ち止まって振り返った所です。


境内までの石段の下にある鳥居です。



浅川金毘羅神社
創立の年代は江戸時代後半と推定される。

(良い写真が撮れなかったので、この2枚は田子さんにメールで送って貰いました)


金毘羅神宮をお詣りしてから下る途中の景観です。



高尾駅の近くでゆっくり昼食を済ませ午後のコースに入った。

水沢川の暗渠の道を高楽寺へ向かって歩く。
樹齢250年、高さ15メートル、秋のしだれ桜の木を見上げる。



ここで住職さんからのお話を聞かせて頂きました。
植木師による新芽を沢山伸ばすような剪定や
固形肥料を幹に埋めこんだり何時までも美しさを保つ為の手入れは
想像以上のものがあるようです。

しだれ桜の近くにある細い桜の木(手前)は、実生の子供だそうです。
この先、大きな桜の木の下で日陰になったり肥料を取り合ったり…と
人間社会と同じで…近くに置くのは良くないと思うので
岡山県の方にお嫁入りが決まっているそうです。



そのあと、本堂裏の横穴石仏群を住職さんが私達の為に開けて
拝観させてくださいました。
馬場先生のプリントによれば「天命3年(1783)7月7日浅間山に大噴火が起こり、
降灰により農作物の被害は甚大で、
後に江戸時代の三大飢餓の一つとされる《天明の大飢餓》となった、
その救済の為に人々の寄進を募り、
その浄財を投じて短期間に完成されたもの。
配置は当初のまま、保存状態も極めてよく、
高楽寺横穴石仏群として市史跡に指定されている。」…


時々滴りが落ちてきて神秘的で神聖さに思わず手を合わせてしまう様でした。
横穴はコの字型に掘削されていて全長30メートルだそうです。



下の写真は洞窟の石仏37体全部載っている資料を馬場先生からお借りして
アシスタントの森脇さんが一つ一つ写真を撮ってA4に貼付した写真集です。
「縮小、縮小で大変だったけど楽しかった…」と仰っていました。

高楽寺の住職さんが何時までも見送って下さる穏やかなお姿に
手を振りながら高楽寺を後にしました。

手掘りの優しい表情の石仏を往時のままの状態で保存し、
守っているお寺が八王子にあった事を始めて知り、
この地に住んでいる誇りの様なものを感じ、心あたたまる思でした。

この後、歴史のロマンを感じる様な「合生の木」のある熊野神社をお詣りし
初沢川と水沢川が合流して暗渠になっている遊歩道を歩いて高尾駅で解散しました。
4月期最後に相応しい良い野外講座でした。
来月から10月期(後期)が始まります。又、どんな風景に出会えるか楽しみです。