goo blog サービス終了のお知らせ 

つれづれ 2

庭の花や身近な出来事などを退屈しのぎにあれこれ綴っています。

大人の遠足 とかさや散歩

2017-09-25 17:36:08 | 馬場先生の野外講座



大磯高来神社と平塚八幡宮

2017年4月期最後の野外講座に参加して来たのは
9月16日でした。
先ずJR横浜線八王子駅から橋本駅で乗り換え
JR相模線(茅ヶ崎行き)で茅ヶ崎駅着
JR東海道線乗り換え(湘南新宿ライン:快速)で大磯着。

大磯駅から歩き始めた。
化粧坂の松並木を歩いているとこんな句碑があった。
「雨の夜は静けかりけ里化粧坂松の雫の音ばかりして」
と刻む大磯八景の碑です。
大磯八景は明治40年頃に大磯町第五代町長の官代謙吉が
大磯町の中から名所八景を選んで
絵葉書を出した事に始まっている。



化粧井戸
曽我兄弟の兄、十朗祐成との悲恋物語で知られる虎御前が
この近くに住み朝夕この井戸の水で化粧していたと伝える。



化粧坂の松並木を過ぎると、山容の美しい高麗山が仰げた。



暫らく歩くと高来神社の鳥居が見えてきた。



参道に「さらぬらに物思はるゝ夕闇暮きくぞ悲しき山寺の鐘」
の碑があった。
明治初年の神仏分離によって高麗寺は廃寺となったが
それまでは鶏足山雲上院と号し天台宗の寺であった。



高来神社
古代三国時代の朝鮮半島では新羅が統一を実現し
滅亡した百済と高麗から多くの人が
日本に渡来した。埼玉県の日高市に移るまで
住んでいたのが大磯の高麗山一帯だった。
経緯は良く知りませんが…
この神社は地元の人達からは親しまれている様です。
私は静かなお堂の様な神社に感じました。



高来神社と並んで神輿殿がある。



この日の昼食はサンマルク大磯店でした。柔らかい焼きたてのパン、
サラダやゴボーのスープ、マカロニグラタンも美味しかったです~

午後は台風18号の影響で小雨の中を歩いた。
花水川(金目川)
丹沢山麓から流れだし泰野市・平塚市を貫流して相模湾に注いでいる川。
背景に高麗山がくっきりと見えて綺麗だったけど
生憎の雨で富士山は見えなかった。



馬場先生がプリントのコース図に貼付して下さった写真は
こんもりとした高麗山と白い富士山が綺麗に見えます。



平塚市立崇善公民館。旧平塚市議事堂だそうですが
木造二階建が温もりを感じる建物でした。



平塚宿江戸口見附跡。
江戸方面から平塚宿入り口に城門に似た構が設けられています。



平塚八幡宮の鳥居が見えてきました。



境内では丁度ぼんぼり祭りの開催中で、
ずらりと並んだ ぼんぼりが私達を迎えてくれました。
夜はさぞ幻想的な雰囲気になるのではないかと思いました。

10月は埼玉県日高市の高麗神社を訪ねる予定です。
どんな景色に出会えるか楽しみです。






大人の遠足 とかさや散歩

2017-07-16 09:10:45 | 馬場先生の野外講座


とかさや詩歌 東京・埼玉編

7月の大人の遠足 とかさや散歩は教室での講義です(7月15日)


4月から始まった大人の遠足の中から
東京と埼玉の地を歌った詩歌を学んだ講義でした。

沢山の方の言葉で風土や環境などが込められている
詩歌を読んで新たな風景を感じました。

中でも特に印象深く感じたのは 
埼玉の高麗川駅の近辺にあると云う次の様な詩でした。

関東平野西端の日高町
ローム地帯を川は流れる
秩父の山に源を発して
雪代の高麗川は流れる

西暦663年百済亡ぶ
半島の流民は集団をなして渡海
にほん列島に亡命した

ついで668年高麗亡ぶ
ときに天智天皇冶下の丙寅5年
超えて女帝元正天皇の霊亀2年
甲斐駿河の高麗人1799名を
武蔵野の原に移し
拓荒に従事せしめた
彼らは先進文化の所有者であった
牧畜、農耕、繊工、鍛工
おどろくべき新技術を開発した

それから1250余年
早春の高麗川は流れる

群れ遊ぶヤマベは亡国民の化身
うるさいほどのウグイスの声
         高麗川 緒方 昇


講義の最後に みちしるべの詩「峠みち」をみんなで声を合わせて朗読した。
講義中に机上で撮ったので見難いですが…その詩です。
クリックすると拡大します



とかさや散歩も9月に大磯の高来神社と平塚八幡宮。
10月には埼玉の日高市の高麗神社を訪ねる予定です。
凄く楽しみです。いい講義でした。


教室の講義の次は昼食会です。
アシスタントの森脇さんが予約して下さったSCENEで洋食。
飲み物を決めて先ず乾杯~ 私はワイン…

前菜です~
海の幸のサラダと鰯のテリーヌ。



みんな美味しそうに頂いています~
(シエッフが撮って下さいました)





ヴィジソワーズ スープ。



牛ロースのステーキ
お肉が柔らかくて美味しかったです~



彩りデザートの盛り合わせです。
程よい甘さと冷たさが美味しかった!
コーヒーを頂きながら…

野外講座で歩いた時の楽しい思い出話などが中心です。
その他、近況報告や雑談などで盛り上がったお食事会でした。
8月はお休みの月ですが
又9月から馬場ファミリーは歩きます。


大人の遠足 とかさや散歩

2017-06-18 12:22:35 | 馬場先生の野外講座



三富新田を歩くー開拓地割と多福寺周辺

とかさや散歩の埼玉編です。
三富新田は元禄時代に武蔵野台地に拓かれた広大な新田集落で
開拓地割の景観を今に伝えていました。(6月17日)

元禄7年(1694)長年争いを繰り返してきた北武蔵野の土地は
幕府評定所の判断で川越藩の領土であることが認められました
これにより当時の川越藩主柳沢吉保は新田開発を推進し
吉保の命を受けた筆頭家老、曽根権太夫らの家臣によって
開発が行われた。
開発が始まってから二年後の元禄9年(1696)5月に検地が行われ
上富、中富、下富の3ケ村に区切り新しい村々が出来上ったのが
三富新田です。
短冊状の細長い農地が地割の決め方でした。
厳しい自然条件を克服するための知恵が詰まっています。

馬場先生のプリントより抜粋しました。

私達は所沢駅より上福岡行きのバスに乗り上富で下車。
けやき並木を少し歩くと石灯篭と三富開拓地割遺跡碑があった。



けやき並木道
開拓当時の道幅そのままの六間道で両側には開拓当時からの
住民の子孫たちの住居が並び、農園、茶園なだを営んでいる。



旧島田家住宅
三富地区最古の民家住宅です。



三富開拓地割遺跡之碑が庭にあった。入口脇には井戸も復元されていた。




古民具や生活道具などが多数展示されていて
庭先にはさつまの苗床もあった。



短冊形に開拓された景観が道沿いからも見える。







かっては農民の生活に必要不可欠だった雑木林の道。



短冊状の景観が色濃く保つエリアを歩く…





午後は臨済宗多福寺を訪ねる。
柳沢吉保が三富新田開拓入植農民の菩提寺として
元禄9年(1696)建立した
広大な雑木林を境内にもつ多福寺惣門。



山門



山門より本堂。



三富開拓の由来を刻んだ鐘楼。



元禄時代に掘られた井戸
深さ70尺位(21~27メートル位)と云う深掘井戸。



武蔵野地蔵像
多福寺境内にある。木宮地蔵ともいい、三富開拓以前から
「富の地蔵様」として親しまれ広く地域の人々の信仰を集めてきた。



境内には新田特産のサツマイモの栽培を普及させた青木昆陽を称える
「甘藷先生頌徳碑」が建つ。

開拓農民の知恵と努力によって成し遂げられた
開発当時の屋敷地、耕地、雑木林の地割りが
今も残され歴史的な景観となっていた。 
道の傍らの鎮守様も往時の名残を見せていました。

来月は教室での講義になります。
恒例になっているお食事会も楽しみです。

大人の遠足 とかさや散歩

2017-05-21 12:37:52 | 馬場先生の野外講座


横須賀へ ヴェルニー公園と横須賀港クルーズ

新緑も一段と輝いてきた五月、三浦半島の初めての散策に
横須賀のヴェルニー公園へ行って来ました。(5月20日)

京浜急行線でヴェルニー公園に一番近い駅は汐入駅ですが
一つ手前の逸見駅で下車…そこが大人の遠足の他と違うところ…
田舎道の面影の残る道を楽しみながらヴェール公園まで歩いた~

逸見駅前で先生から今日の行程や見所などをお聞きする



横須賀駅前に着きました。
「汽笛一斉新橋を」の歌詞で知られる鉄道唱歌に
「汽車より逗子を眺めつつ、はや横須賀に着きにけり、
見よやドッグに集まりし、わが軍艦の壮大を…」

と云う一節があるそうですが、
昭和22年6月16日に大船~横須賀間に開通した横須賀線の終着駅でした。



眩しいほどに輝く大きな海と爽やかな海風…
並ぶ戦艦に思わずシャッターを切る。



ヴェルニー記念館
横須賀製鉄所建設に力を注いだヴェルニーの功績と製鉄所建設の意義を
後世に伝える為フランス・ブ ㇽターニュ地方の住宅を摸して建てられた記念館


中は沢山の資料や実物、模型が拝見出来る展示室になっている。
100年以上にわたって実際に使用されていたスチームハンマーです。
(蒸気の圧力でハンマーを動かして作業を行う工作機械)



ヴェルニー公園は薔薇が丁度満開。



逸見波止場衛門跡
旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰所として明治末期から大正の初期頃に
立てられた二つの建物、高さは4メートル位でコンクリート製
外壁にはタイルが張られている。



小栗上野介忠順の胸像
小栗上野介忠順(1827~1868)は横須賀製鉄所の選定や建設に
携わった功労者。



像の背後にある50センチ程の石は、小栗終焉の地群馬県倉渕村の
烏川水沼河原の石が倉渕村からの記念石として寄贈されている。



ヴェルニー公園の薔薇は満開で「バラ祭り」が開催されていた。


海と薔薇が美しい。



もう一つの広場には旧海軍慰霊碑と正岡子規の歌碑
「横須賀や 只汎檣の 冬木立」がある
横須賀港内に連なる帆柱の印象を詠んだ句です。



昼食はもちろん横須賀海軍カレーです。
丁度良い辛さで美味しかった…
そして午後はYOKOSUKA軍港めぐりです。



13:00出航 汐入桟橋より乗船する。



午前中楽しんだヴェルニー公園を船上から眺める。



海上自衛隊の潜水艦二艘が鍵の手に停泊していた。



海洋業務対潜支援群の
第一海洋観測隊の海洋観測船AGS5105にちなんで
付けられた5105艦だそうです。

海洋観測船は海底地形、底質や海流
水質(水温や塩分濃度)などを調査する戦艦です。 



海上自衛隊の護衛船です。



木製の船舶です。
磁気反応型機雷を避けるための木造だそうですが
もうそろそろ退役の様です。



護衛艦が二艘並んでいますが152「やまぎり」は
日本歴史上初めての女性の艦長だそうです。



日本海軍の護衛船です。

日本の海上自衛隊の艦艇やアメリカの艦艇もこんなに沢山
集結しているのですね~ほんの一部しか撮れませんでしたが…
その他横須賀港に入りきれない護衛船が横須賀沖に停泊していました。

そのあと、国道16号の一筋内側のどぶ板通りの説明を先生から伺い
エキゾチシズムを味わいながら商店街を歩いた
京浜急行線横須賀中央駅より帰途につく。

次回6月は三富新田を歩く 開拓地割と多福寺周辺です。
今からワクワクです。



 




大人の遠足 とかさや散歩

2017-04-16 14:27:55 | 馬場先生の野外講座


第一回 日本橋界隈と浜離宮庭園
とかさや散歩の初回、神田駅近くの今川橋交差点から歩き始めて
浜離宮恩賜庭園まで探訪してきました。(4月15日)

八王子の集合場所で事故による電車の遅延を知る、
アシスタントの森脇さんの手際の良い采配で
いくつかの班に分かれて出発場所の神田駅に向かった。
ほぼ予定通りに神田駅にみんな到着できた~
第一回に相応しい良いスタートになった。

神田駅から歩き始める。
馬場先生から煕代勝覧(日本橋繁盛絵巻)の本を拝見した。
コピーしたものを二枚特別資料として頂いた。

現物は今川橋から日本橋までを描いた全長約12メートルの
絵巻で、ベルリン東洋美術館に所蔵されています。

煕代勝覧とは「光り輝く代の優れた風景」の意味だそうです。
今日の午前中は丁度この区間の散策になります。

先生から頂いた二枚のコピーも素晴らしいのですが
全部は載せられないので
神田 今川橋辺りをトリミングしてみました。
昔はこんな感じだったんですね~



現在の神田今川橋交差点です。


この後、日本橋のビル群の佇む街を散策した。
コレド室町、これは2号ビルですが
三井不動産が三井グループ拠点の日本橋地区の中心部を
再開発しています。
日本橋・室町エリア内に五つのビルがあり
中はショップやレストランが沢山入っていて凄いです~



日本橋三越本店内の天女(まごころ)像。
名匠・佐藤玄々が10年の歳月をかけて完成させた大作です。



日本橋魚市場発祥の地碑。
江戸から大正時代までこの辺りから三越の東側にかけて
大きな魚市場が広がっていた。
東京湾で捕れた魚を売りさばく為の市場だった。



日本橋の擬宝珠。



日本橋一丁目一番地一号(ニホンバシイチノイチノイチ )で昼食。
ここのテラスから日本橋のルネッサンス式アーチ型の
石橋が良く見えた。
ここでの食事は以前、野外講座でも利用した事がある。



午後は銀座線で新橋へ向かう。
旧新橋停車場を訪ねる。
発掘された遺構などが保存されていた。



旧浜離宮庭園より入る。



歴史を感じる内堀が美しい…



中の御門。
承応3年(1654)4代将軍徳川家綱の弟で
甲府藩主だった綱重が下屋敷としてこの地を拝領した事に
始まっている 徳川将軍家の庭園でした。
昭和20年(1945)11月3日東京都に下賜され整備の後に、
昭和21年(1946)4月から浜離宮恩賜庭園として公開されている。



先ず鴨場へ
これは幾筋かの引き掘(細い堀)を設け小覗から鴨の様子を
伺いながらヒエやアワなどの餌とおとりのアヒルで
引き掘りにおびき寄せて鷹や網で捕ると云う猟を行っていた。



海辺にある為海水が出入りする潮入池を中心に構成されている。
中島橋を渡って…


中島の茶屋です。


宝永4年(1707)に造られて以来、将軍を始め奥方や公家たちが
ここで庭園の眺望を堪能した休憩所。
この建物は昭和58年(1983)に再建したものです。



富士見山の頂上からの眺めです。





下山して一休み…
東京湾からの海水を調整している水門。



懐かしい芳梅亭。
現在も予約をすれば利用できるそうです。



お花畑では菜の花がまだ綺麗に咲いていた。



二つ目の水門。後ろの川は築地川です。



三百年の松。
六代将軍家宣が植えたと云われている。 堂々たる姿をしています。

夜、テレビで放送していましたがこの日の東京は25度の
夏日になり6月上旬の暑さだった様です。
おまけに風の強い日でしたがみんな元気に歩いて来ました。
日本橋界隈もビルの上にクレーンが並んでいて
工事中の景観が、そこかしこに沢山見えました
「東京オリンピックの関係も影響しているんでしょうね…」
と友達と話しながら歩いた。
浜離宮の恩賜庭園は特別名勝・特別史跡に相応しい庭園でした。
次回5月は横須賀のヴェルニー公園と横須賀港クルーズ船です。
どんな景色に出会えるか楽しみです。