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つれづれ 2

庭の花や身近な出来事などを退屈しのぎにあれこれ綴っています。

大人の遠足 とかさや散歩

2018-10-21 11:58:15 | 馬場先生の野外講座

代々木の杜をくまなく歩く神宮内苑と代々木公園ー

今回、森脇さんから頂いた先生のプリントは4枚、いつもの倍の枚数でした。
それも文字と写真でびっしり埋まっているプリントです。
内容は神宮内苑が生まれるまで、代々木の杜の樹木、内苑の地形と景観、
などから始まっています。とても私の稚拙な文章では表現できないので、
貼付されていた写真を何枚か掲載してみます。








この日は山手線原宿駅下車。少し歩いて大鳥居の前に出ました。
神宮内苑は彦根藩 井伊家の下屋敷が置かれていたところで明治22年(1889)宮内省が
その地を買い上げて皇室の御料地に編入し、彦根藩時代に庭園だった区域は
新たな「御苑」として整備され、明治天皇・皇太后が散策する憩いの場となりました。
内苑の総面積は約70万㎡ 東京ドームの約15個分の広さだそうです。



鬱蒼とした森の中の様な参道を進み神橋を渡ると下の小川は
樹林に隠されて見えませんが、その先は山手線を越えて竹下通りの方向に向かい
渋谷川へ合しています。そのあたりは古くは水田で、地名は竹下。
今は人出で賑わう竹下通りです。かっては内苑から続いていた谷戸です。



参道を左折した所に立つ二番目の大鳥居。
わが国で最も大きい木造の「明神鳥居」です。高さは12メートルあります。



大鳥居を潜ってから表参道より左に入り南池の谷戸に向かいました。
自然の地形を生かし柵で留めた中の島が見えます。



南池の御釣台。
明治時代に天皇様の思召しにより設けられ皇后さまは時々
御釣を楽しまれたと伝えられています(掲示版より)





この釣り台は隔雲亭から なだらかな斜面になって続いています。



少し歩くと深い森に囲まれた菖蒲田が美しい谷戸を醸し出していました。



菖蒲田の中を散策…茅葺の四阿が添景となっていました。



清正井。
加藤清正が掘ったと伝えられる井戸で、都内有数の名清水だそうです。



深い山の中へ入った様な自然な森…ここが都心とは思えません。



先ほど遠くから眺めた閣雲亭の前を歩きます。
数寄屋造りの木造の家屋は昭憲皇太后のご休息所として明治天皇が
思召しになったものです。南池まで続くなだらかな傾斜は芝で覆われ
この前庭からの眺めは御苑の中心と云え、皇后さまは行啓の折に
いつも この亭でご休息になられました。残念ながら戦火により
焼失したので昭和33年に篤志家により建て替えられました。



再び正参道に入り本殿へ向いました。



重厚な感じのする楼門です。



拝殿の左右に立派な御神木があります。





赤色の銅版は改修したばかりの様です…



境内を後にして北池へ。
南池に引けをとらない位の美しい池でした。



宝仏殿の前の広場はなだらかに起状する芝生の丘になっています。
久し振りに野外での昼食です。美味しいおにぎりを頬張りました。

ちょっとした高台で視界が広がり、新宿の高層ビルが
間近にせまっています。一息付ける安らぎの場所でした。

歴史に触れ、自然に憩う神宮の杜でした。
西門から出て代々木公園へ向かう。

代々木公園の面積は約54万㎡、丘の上は平坦に均され
広場と公園の周回コースになっています。




閻兵式の松。
代々木練兵場だった頃、この松の下で天皇陛下をお迎えして
閻兵式をした松です。(掲示版より)



中央の芝生広場の南にある池は「大きな噴水のある池」と呼ばれています。

穏やかな自然を育み続け鎮守の杜となっている明治神宮内苑を
くまなく歩いてきました。(10月20日)
 次回11月は「北鎌倉から大船まで歩く」です。どんな歴史や自然に出会えるか
楽しみです。





大人の遠足 とかさや散歩

2018-09-16 12:33:54 | 馬場先生の野外講座


大宮;氷川神社とその周辺
ー武蔵国一の宮と見沼代用水ー

今まで大宮を訪ねる機会のなかった私は
八王子からむさし野号;直通大宮行に初めて乗った。
乗り換えなし、50分で大宮駅に着きました。(9月15日)

馬場先生のカリキュラムによれば
一の宮とは、古代諸国において第一位とされた神社で
各国の総鎮守ともされて今日まで言い伝えられてきました。
武蔵の国では大宮氷川神社がそれ。中山道に立つ一の鳥居から、
真っ直ぐに続く長い参道が始まり、二の鳥居、三の鳥居をへて
境内に入ります。
 
二の鳥居
旧中山道から分岐し、このニの鳥居をへて本殿まで直線が続いている。



参道の両側にはケヤキを中心としたてスダジイ、サクラなど
30種類以上の樹木が並び武蔵国一宮の参道としての佇まいを見せている。



参道の右側には勅使斎館がある。例祭の時勅使を迎える宿館です。



三の鳥居
ここから氷川神社の神域になります。



朱塗りの神橋の奥に楼門が見えています。



神橋の下にある神池です。
清掃の為、今日は丁度水抜きが行われ始めている状態でした。
鯉などは水のあるスペースに集まっている様です。
希少な生物を保護するための行事です。



赤と白のコントラストが美しい楼門です。



楼門から入ると直ぐ前に美しい曲線の銅版葺の舞殿がある。



拝殿です。
雨の為上手く撮れませんでしたが緑色の本殿の屋根が少し見えます。



境内は七五三の参拝客等で結構な混雑でした。
武蔵国 一の宮としての格式を感じ、心の和む雰囲気が漂っていた。

そのあと、裏参道にある神秘的な「蛇の池」に行く。
見沼の水源の一つで氷川神社発祥の池と云われています。
まさに清水の湧く聖地です。



この後、大宮公園へ向かった。
明治18年(1885)氷川神社の偕楽遊園として開かれ
雑木林につつまれた武蔵野の風情が横溢した公園でした。

園内の一角に青木昆陽の碑があった。甘藷先生と呼ばれ
サツマイモの栽培で、埼玉県民の生活が潤うよう努力した業績を
たたえ氷川公園に碑が立てられています。


水面が広々とした舟遊池(ボート池)が清々しく自然豊かな公園でした。


埼玉県立歴史と民俗の博物館で昼食。
大宮公園を後にしました。

見沼代用水西縁
埼玉県東部から南部にかけての広域を潤している関東平野最大の農業用水。
行田市須加地先の利根大堰から取水し、途中では星川の流路を一部用い、
元荒川を柴山の状越でくぐり、上尾市上瓦葺で綾瀬川を再び状越でくぐって
東縁用水と西縁用水に分かれて流れる。

西縁用水は現 さいたま市大宮区の南で台地を切って高沼跡の水田を灌漑し、
東縁用水は川口市から東京都下に及んでいる。



すっかり雨も上がり爽やかな道を歩いた…



遠くに寿能城跡が見えてきた。


永禄3年(1560)頃、岩槻太田氏の岩村城の支城として建設された。
大宮台地のほぼ中央、氷川神社を背後に位置する。
かっては北と南に見沼の入り江があり、水に囲まれた城だった。


氷川神社の例祭には勅使が下向されています。
境内は10万㎡と広く杉・欅等に覆われる風格を感じる神社でした。
由緒ある神社に参詣する事ができた 4月期最後に相応しい大人の遠足でした。

次回10月期第一回は「代々木の杜をくまなく歩く」です。
どんな風景や歴史に出会えるか楽しみです。




大人の遠足 とかさや散歩

2018-06-17 13:43:51 | 馬場先生の野外講座



湘南モノレールに乗って鎌倉山へーここも鎌倉です

梅雨まっ盛りの多湿の日でしたが、予報では梅雨寒の一日になると云うので
何時もより重ね着をして出掛けました。(6月16日)

大船駅から懸垂式のモノレールに乗りましたが、その速さに吃驚しました。
乗車時間9分で西鎌倉駅に着きました。
今日はここから歩き始めます。



樹木の枝が頭上を覆うトンネルの様な道もあります。



鎌倉山は鎌倉の分譲地の はしりとも云うべきところ。
当所は別荘地帯として開かれ、区画は大きく自然を痛めつけない配慮が
なされ落ち着いた雰囲気が醸成されていました。
現在は大規模な住宅地が次々に開かれて風情はかなり失われてしまって
いますが散策路としての魅力はまだ残っています。



途中、眺めの良い場所があったので一休み、
重ね着を一枚脱いだり、ここで衣服の調整をしました。
よく晴れていたら、さぞかし素晴らしい景観が楽しめたでしょうに…
生憎の曇り空でしたが遠くに相模湾も眺められました。





暫らく歩いていると”そば処”檑亭の山門が見えてきました。
山門に続く玄関までの道は丁度見頃の紫陽花が綺麗に咲いています。



檑亭は当初は「清香園」と云い鉄道事業家・土木技術者として著名な
菅原恒覧の別荘でした。
玄関の一部には安政3年(1856)創建時の部材が使用されています。



今や鎌倉のシンボル的な存在となっている檑亭。
流石は美味しいお蕎麦を頂きました。


食後に散歩を楽しみました。
約5万メートルにも及ぶ廻遊式日本庭園です。

八角堂
法隆寺夢殿を模写して建立されています。



甘味処 露庵
露庵の名は茶室「月庵」に呼応して月の光に濡れる露の美しさを想い
小島寅雄(元鎌倉市長)によって命名されています。



あじさいの小道



石造り十王像
閻魔大王を中心とした十人の地獄の王様。国東半島から移動安置しています。



百物崖
山門建立の際、崖地を埋め石垣石壁を築き各所より無縁仏を迎え安置しました。

その他、十三重の塔や二の宮金次郎像、仁王様が道の両脇に立っていたり…
どちらかと云うと野趣の溢れる雰囲気の庭園の中は見所が沢山ありました。


檑亭を後にして夫婦池までの途中で見つけた おうち「苔丸」です。
全く思いがけなかった! 思わず立ち止まりました。
以前テレビにも登場したので記憶に残っていましたが
「ここにあったのね~~」出合えて嬉しかった。

前の道路は車の往来が激しいので全景は上手く撮れませんでしたが
「苔丸」を訪ねるために遠方から見える方が多いそうです。
屋内は雑貨や可愛い鉢物の植物などを扱っている様です。
中はテレビでしか見た事がなかったのですが
外景は平屋木造建てのノスタルジックを感じる様なお店です。



夫婦池
上下一対の池が並んでいる事からこの名で呼ばれています。



三嶋神社
笛田地区の鎮守社、長い石段を昇ったところに社殿があります。



笛田山 佛行寺
開創は明応4年(1495)、開山は佛性院日秀聖人。日蓮宗の寺院。
江戸期には七間四面の本堂を有していた。山門は薬医門。


背後の墓地へ登る道脇には小さな やぐらがある。


馬場先生のプリントによれば
境内裏山の山頂には
鎌倉幕府草創期の武将梶原景時の嫡男で、源頼朝死後に幕府内での対立から
鎌倉を追われ、駿河国で父と共に討死にした梶原源太景季の片腕を葬ったという
直径3,5mほどの源太塚がある。

伝承では景季の死後後を追って当地で自害した妻の信夫の霊を済度するため
村人が日秀聖人を請じて結んだ庵が当寺の濫觴とされる。
現在、山の周辺は宅地造成によって切り払われ崖際にこの塚だけが残されている。


この日最後に訪ねた青蓮寺です。
飯盛山仁王院と号し高野山真言宗寺院。開山弘法大師。

バスで大船駅に向い解散しました。

この日は梅雨寒になると云う予報でしたので重ね着をして出掛けましたが
歩いていると汗ばむ様な梅雨独特の一日でした。

来月はお教室での講義ですが私は親戚の法事の為にお休みします。

8月の とかさや散歩はお休みの月なので次回は9月になります。
埼玉編の大宮氷川神社を訪ねます。
以前、NHKのプラタモリで放映されていたのを見た事があったので
是非行って見たい所でした。凄く楽しみです。















大人の遠足 とかさや散歩

2018-05-20 13:17:42 | 馬場先生の野外講座



大田黒公園とその周辺

時には近場を歩いてみましょう…という事で
大田黒公園とその周辺を歩いてきました(5月19日)
音楽評論家太田黒元雄氏の屋敷跡地を
杉並区が回遊式日本庭園として現地形と景観を保全し
公開しています。 

JR中央線荻窪駅下車徒歩で10分位の所に
杉並区立大田黒公園はあります。

正門です。
総檜 切妻造り、屋根は棧瓦履き、左右に築地掘をもつ構えです。



門を潜ると白い御影石を敷いた園路がまっすぐに延び
両側には大銀杏が植えられています。



芝生の庭園が一望できる休憩室の濡縁に腰を掛けての眺めです。



鬱蒼と茂る木立の中を細い流れが次第に幅を広げ
庭園の中心である池に注ぎます。



池の畔の四阿など素晴らしい眺めです。



池には新潟県小千谷市の錦鯉の里からの寄贈による
泳ぐ宝石と云われる綺麗な大きい鯉が泳いでいました。





緑息づく園内を歩いていると木立に包まれた記念館が見えてきます。
大田黒氏の仕事場だった建物です。
昭和8年(1933)に建てられた西洋風建築物です。
中に入り愛用のピアノや調度品まで拝見する事が出来ました。



味わいのある裏木戸門から園内を後にしました。



程なく歩き 次に訪ねたのは杉並区立角川庭園・幻戯山房です。
俳人で角川書店の創設者である故角川源義氏の旧邸宅跡。
四季折々の草花と俳句を楽しむ庭園、四季の花の写真が展示されていました



庭に面して配置された部屋からの眺めです。
庭は南に傾斜する地形で、既存の樹木をそのまま生かした日本庭園。
往時は庭の前面は畑や水田が広がる見晴らしだったが昭和35年(1960)頃に
団地が建てられたためシラカシを植えて目隠しとしている。



善福寺川沿いを歩く。
杉並区の中央部を東流する川です。



A cousphere Cafeで昼食。
涼しい風の吹き抜けるテラスの下でイタリアンを頂きました。



午後の最初は与謝野公園。
与謝野 寛(鉄寛)晶子夫妻が晩年を過ごした家がありました。
二人は明治から昭和初期にかけて短歌、評論、古典文学研究、詩、
などの分野で活躍しました。



不動堂
堂内には「南無妙法蓮華経 不動明王 上荻窪村別当中道寺」と
刻まれた宝暦6年(1756)銘の石碑が収まっている。



中道寺
日蓮宗、大光山千葉院と号し本尊は木造日蓮像。
本堂は昭和42年(1697)に再建されています。



鐘楼門(鐘楼と山門を兼ねた建物)は安永2年(1773)に建立しました。
大変珍しい建物です…と先生は仰っていました。



松林寺
文禄2年(1593)中野成願寺5世葉山宗朔が開創 、
開基正林寿慶庵主の名に因んで正林寺と称し、
正徳3年(1713)4世竜光の代に今の様に改めた。
周辺に松が多かったからだと云う。



横倉邸のケヤキ並木。
直径が50センチ前後の大木が人見街道沿いに並んでいる。
戦災により昔の面影は薄れたがケヤキの樹幹に包まれた落葉広葉樹の
並木として親しまれていた。

京王電鉄井の頭線浜田山駅で解散。
時には近場をという事でしたが私は初めて訪ねる所でした。
蒸し暑い日で、まだ暑さに馴れていない体は重く感じました。

それにしても午前中の大田黒公園は緑の木立が鬱蒼と茂り
実にいい公園だと思いました。友達を誘って紅葉の頃
来てみたいと思いました。次回は鎌倉山周辺です。
歩けるかどうか心配ですが好奇心だけは衰えなくて困ります~






大人の遠足 とかさや散歩

2018-04-22 12:00:29 | 馬場先生の野外講座



勝沼ぶどうの丘と柏尾山大善寺

ホリデー快速やまなし号に乗って
とかさや散歩は初めての山梨入りです(4月21日)
「二階席は見晴らしがいいので人気がある…」と
聞いてたので早速乗り込みました。
余り横揺れも感じなかったので新緑の車窓を楽しみました。

何枚か車窓からの景色を撮ってみました。



まさに「山笑う」の季節です…



勝沼ぶどう郷駅で下車。
駅の前に立つと残雪の南アルプスが
青空に映えている素晴らしい景観を見る事が出来ました。

気が付いたら みんなでで並んで写真を撮っていました。
素晴らしい山岳景観です。


南アルプスの高峰群が素晴らしいです。
(こんな時はもっと良いカメラが欲しくなります~)



暫らく眺めてから歩き始めた。
勝沼ぶどう郷駅は昭和5年(1930)に通過列車の為の直通線が完成し
昭和45年にスイッチバック方式は全国的に廃止され、現状の様になった。
同55年に駅舎を改築、後に駅名を改称しています。
旧路線後のレンガが残っているのが見えました。



昭和52年(1977)にぶどうの丘が完成しています。
勝沼ぶどう郷駅の西にある小高い丘からの眺めです。



頂きの展望レストラン「勝沼ぶどうの丘」に着きました。



このレストランからの眺めです。
甲府盆地と南アルプスの山岳景観が素晴らしい場所でした。



大自然に囲まれた甲府盆地の長閑な風景が広がっています。


展望レストランでの食事。
山梨産トマトのボロネーゼの美味しかった事~
流石は山梨産です。

午後は木漏れ日の中に入るとホッとする様な暑さになりました。



ブドウ畑の広がる中を近道をしながら只管歩きます。



やっとシャトー勝沼に着きました。
ワインの出来るまでの行程を見学したあとに
ワインやジュースの試飲と買い物を楽しみました。


この日最後に訪ねる柏尾山大善寺です。
大善寺の庭園。
典型的な江戸時代初期の手法の庭園です。



大善寺の山門。
最初の山門が焼失した後、寛政10年(1798)に再建されています。
三間一間の二重門で下山大工土橋文蔵茂祇等により建築されている。



大善寺本堂(薬師堂)
開山千三百記念で薬師三尊特別開帳が開かれていたので
参拝する事が出来ました。

関東で最古の木造建造物で
流麗な線を持つ檜皮葺きの屋根は落ち着きを見せ、
鎌倉時代の建築の力強さが良く現れています。





大善寺参拝のあと 市内循環バスに乗り勝沼ぶどう郷駅に向かった。
小型の可愛いバスは定刻ぴったりに来ました。
帰りの勝沼ぶどう郷駅のホームからの眺めです。

季節外れの暑さの中を歩いてきました~
残雪を頂きに残す南アルプスの山岳景観が
実に素晴らしかった。

最後の柏尾山大善寺はぶどう寺とも呼ぶそうですが
豊かな自然の中での佇まいが印象に残りました。
自宅からの歩数計は 17,528歩でした。

来月5月は太田黒公園とその周辺を歩きます。
又、どんな風景に出会えるか楽しみです。