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桜・咲爛(さくら・さくらん)

2008-11-20 13:49:00 | 短編小説

都月満夫

 

 

 =デイルーム=

「早月さん、早月久嘉さん。また、ここで桜を見ているんですか?駐車場に桜の花が咲いてから、毎日見てますよね。朝から晩までズーッと、ここに座って、見てますよね。この席は、早月さんの指定席になっちゃいましたね。よっぽど桜が好きなんですね?」

…。桜を見ているから桜が好き。君はどうして、そう単純にしか物事を考えられないのだ。好き嫌いの問題ではない。私は見張っているのだ。あいつが出て来ないように…。見張っていないと、あいつが桜の根元から、鎌首をもたげる。あいつのビー玉のような両眼は、背徳と後悔で澱んでいる。あいつは、虫酸が走るほど鈍い視線を私に向ける。あいつのどんよりとした眼差が、私を脅迫する。

 あいつは、私の秘密を握っている。あいつは、いつか、私の秘密を暴露するだろう。あいつは蛇だ。青い大きな蛇だ。

私が本当に見張っていたいのは、この桜ではない。でも…、こうしていると落ち着く。気休めでもいい…。安定剤では治らない。

「…。早月さん。朝は定時に起きて、食事は食堂で食べて、午後は散歩して、夜は読書でもするように、言われているでしょう。一日中ここに座って居ちゃダメですよ。」

 …。解っています。それが出来ないから、ここに居るのですよ。三浦さんだって解っているでしょう。ナース歴は、二十年以上だと思いますが…。朝は、身体がだるくて起きられない。煩わしくて、他人と一緒に食事はできない。身体が動かないのだから、散歩になんか行ける訳がない。増してや、読書をする根気なんか、何処にあるのですか。

私の脳の中の何処を探したって、そんなものは見つかりっこない。テレビでさえ見ている根気が無いのですから…。

脳が動くな!考えるなって、命令を出したのだ。私の体の何処が、その命令に逆らえるというのだ。逆らえば、罰として、気怠さが全身を縛り上げ、思考の糸は切断される。

「…。デプレ(鬱病)のクランケ(患者)に対して、頑張れって言うのは禁忌だっていうけど、この人は頑張らな過ぎだよ…。」

 …。デプレなんて、小さな声で気を使ったつもりだろうが、私は知っているのだ。鬱病と、はっきり言えばいいのだ。確かに、頑張れって言われるのは辛いけれど…。いや、辛くはない、どうしようもないのだから…。言われたって頑張りようがないのだ。ただそれだけのことだ。頑張るってことが、どういうことなのかさえ、もう忘れてしまった。辛いというより、むしろ、哀しいくらいだ。

 

「…。早月さんって、三年ほど前に、写真集を出した早月さんですよね。思い出しました、珍しい苗字ですから。桜の写真だけを、何十年も撮っていたって、話題になりましたよね。仕様がないですね、桜が好きなんだから…。そうか…、あの、早月さんなんだ…。」

 …。そうだ。その早月だよ。だけど、桜は好きではない。何故、写真を撮っていたのだろう。あれは、三十数年前からだった。緑の丘公園に、エゾヤマザクラの木は七百五十本ほどある。その一本の桜だけを撮り続けた。花が咲き、全ての花びらが散り、葉桜になるのを見届けるまで、撮り続けた。桜がそこに咲いていることを、確認していたのかも知れない。桜を撮り続け、安心していたのだ…。

役所の有給休暇を全部使って、四月末から五月の末まで、桜を撮り続けた。それは、どの部門に配属されようと、変わることなく、休暇をとって続けられた。陰では、私のことを、さつきひさよし(早月久嘉)ではなく、さつききゅうか(五月休暇)と呼んでいた。何と呼ばれようと、私には関係なかった。仕事も出世しないように、ソコソコやっていれば良かった。下手に役職が付いて、責任が出来てくると、休みが取り難くなる。

「…。早月さん、写真集は自費出版ではなく、出版社から出版されたって聞いてますけど…。どうして発表出来たんですか?」

…。私はカメラになんか、全く興味がなかった。当時『ボーエンだよ、ボーエンだよ』のテレビコマーシャルを流していた、P社の一眼レフを買った。市内の関谷カメラ店だ。

当時、一眼レフはかなり高価で、初心者が買うカメラではなかった。店主は何を撮影するのかと聞いた。私は桜を撮ると答えた。店主は、あ…風景ですかと言った。私は、風景ではなく、桜だと強く言った。店主は、桜だけですか…、と聞き、面白い人だと笑った。

そして、全くの初心者であった私に、これだけ憶えて置くといいと、教えてくれた。開放絞りという撮影方法。これは、絞りを明ければ開けるほど、つまり数字を小さくするほど、ピントが浅くなり、背景をやわらかくぼかす効果がある、というテクニックである。

私は夢中で桜を撮影した。最初は遠慮がちに、何故か近寄りがたい気がしていた。年毎に桜との関係が親しくなり、撮影が難しくなっていった。桜は毎年、妖艶さを増し、私を誘惑する。私は必死に、冷静さを保ち、シャッターを切る。時には、狂気に満ちて襲ってくる。薄紅色だった桜が、血紅色となって襲ってくる。私は、正気と狂気の狭間でシャッターを切る。他の被写体には、全く興味がなかった。私にとって、桜を撮ることは趣味ではない。果たさねばならない任務であった。

毎年五月末に、関谷カメラ店にフィルムを持ち込んだ。任務を終了した証拠として…。

 

関谷カメラ店の店主、関谷哲司氏は、かなり名の知れた風景写真家であった。私はその方面には、疎い人間だったので、全く知らなかった。彼が面白い写真を撮る男がいると、出版社の人に話をしたらしい。

出版社の人が私を尋ねてきて、写真を見せて欲しいと言った。私は撮影した写真には関心がなかった。私を衝き動かしていたのは、写真を撮る行為そのものであった。私と桜が向きあった時、時間と空間は、レンズを通して、天地が逆転し、光と影が交錯する。エクスタシーにも似た、錯乱の瞬間である。その結果として、写真は残された物に過ぎない。現像したものは、そのままダンボールに入れてあった。別に断る理由もないので、三十年分ほどの写真とネガをそのまま彼に渡した。

それを見た編集者が、これは面白いということで、話が進んだらしい。私にも編集に関わるよう誘いがあった。しかし、私には既に興味も関心もないことなので、そちらの自由にしてくれと言って断った。そうして、写真集が出来上がった。写真集は『桜・咲爛』というタイトルで出版された。

一本の桜の木しか撮影しない、執念のアマチュアカメラマン。時間と空間を切り取り、狂気と妖気、更に怪奇さえも描き込むカメラマン、などと宣伝された。

その為、私だけのものであった、一本のエゾヤマザクラが、思わぬことで有名になってしまった。今では、桜の根元に『咲爛桜』の看板まで立っている。桜は周知のものとなった。私の心に、不可思議な不安が芽生えた。

 

「…。早月さん、こんなこと言っちゃ余計なお世話かもしれないけど、何故結婚しなかったんですか。いい男なのに…。」

…。本当に、余計なお世話だ…。私にだって、好きな女性がいなかった訳ではない。ただ…、私に勇気がなかっただけだ。

私は、高校生の時、好きな同級生がいた。彼女の名前は、朝倉佐希子。市内の内科病院の一人娘だ。私はどうしても、好きだとは言えなかった。私は俗に言う、団塊の世代。サラリーマンの三人兄弟の長男だ。当時の一般サラリーマンの家といえば、まだ高度経済成長の前で、中流意識さえない時代だ。医者の娘とは育った環境が違いすぎる。

ただ、一度だけ…。あれは、高校を出て五年目くらいの頃だった。初めてクラス会が行われた。八月のお盆の頃だった。季節はずれの、台風並みの低気圧が、北海道を襲った日だ。出席者は予定より少なく、あまり盛り上がらずに、すぐに散会になった。私は車で会場に行っていた。当時は飲酒運転も、今ほど厳しい取り締まりは行われていなかった。

私は、朝倉佐希子に声を掛けた。

「ひどい雨だから、送っていくよ。」

「助かったわ。…。」

と言って彼女は車に乗った。ワイパーが全開でも、間に合わないほどの雨と風の中を、二人は無言で、車の中にいた。滝のように雨水が流れるフロントガラスの向こうに、最近出来たモーテルのネオンが揺らいで見えた。

「早月君、あそこに寄って…。」

唐突な佐希子の言葉だった。私は何の躊躇もなく、モーテルの門をくぐってしまった。

部屋に入ってから、状況に気づき、私はとても興奮し、気まずい思いになっていた。

「早月君、私、好きだったのに、早月君のこと好きだったのに…。」

私は狼狽し、黙って俯いていた。

「早月君だって、私のこと好きだったんでしょ。私、待ってた。早月君が、私のこと好きだって言ってくれるの、ずっと待ってた…。」

「だって、君は札幌の医者の息子と結婚したんだろう。今は確か…、伊藤さんだよね。」

「今の話じゃないわよ。高校生の時…。」

「でも…、問題あるよね…。こういう状況は…。出ようよ…。出たほうがいいよ。」

「いいのよっ…。私、シャワー浴びてくる。」

彼女は、嫁ぎ先で子供が出来ないことで、姑にとやかく言われているらしい。跡取りを早く産めと、仕切りに言われて、相当いらいらしている様子だった。

私たちは、豪雨よりも激しく、身体を抱き合い、密着し、一体となった。佐希子の嬌声は、稲妻のように、暴風の音を切り裂いた。

「もう…、送ってもらえないわね。一人で帰って…。私もタクシー呼んで帰るわ…。」

 

私はひどく、興奮していた。私たちの行為は、酒の上の過ちだったのか?嵐に誘われた狂気だったのか?彼女の嫁ぎ先への不満だったのか?ただの哀情だったのか?あの目合いは、本当に情を交わしたと言えるのか?動揺と激しい雨で、前は殆んど見えなかった。

緑の丘公園近くに差し掛かった時だった。突然人が木陰からよろけ出た。私は、慌ててハンドルを切った。私は車を止め、車外へ出た。通り過ぎた路上に、人が倒れている。衝突した感触はなかった。私ではない…。向こうが勝手に飛び出して、転倒しただけだ。

私の火照っていた身体は、髪の毛から爪先まで、一瞬で凍りついた。私は豪雨と暴風の中で、呆然と立ち竦んでいた。

 

「…。早月さん、毎晩魘されていますよ。アケの…、ごめんなさい。夜勤明けのナースが、申し送りで毎朝言っていますよ。何の夢を見ているんでしょうかね。」

…。私が毎晩見る夢は、決まって毎晩あの桜。麗らかな、春の日差しを浴びながら、満開に咲く、あの桜。やがて、日差しは薄くなり、蝋燭の火が消えるように、何処かに隠れて消えちまう。碧空の空が濃紺へ、濃紺の空が漆黒へ…。色が闇へと消えていく。

闇の彼方に光る蛇。仄かに光る青い蛇。口から見える赤い舌。愛と憎悪に割れた舌。闇の向こうで笑ってる。

薄紅色の桜まで、下から色を変えていく。薄紅色から紅色へ、血紅色へと色を変え、暗闇の、天空高く駆け昇る。深紅に染まる花びらは、火の粉となって駆け昇り、闇の中に消えていく。全ての火の粉が消えたとき、漆黒の闇が訪れる。一瞬の闇の向こうから、薄紅色の花びらが、ヒラリヒラリと舞い落ちる。舞い落ちながら熱くなる。魔性を帯びて熱くなる。情火となって燃え上がる。情火が愛へと膨張し、憎悪となって破裂する。愛と憎悪の情炎が、艶火となって降り注ぐ。火の粉となって降り注ぐ。狂奇乱撫と降り注ぐ。灼熱の夢幻地獄で、泣き叫ぶ。私の叫びは届かない。誰の耳にも届かない。燃え盛る、業火の音に掻き消され、誰の耳にも届かない。

叫び疲れて失神し、やがて私は、目を覚ます。夢の中で目を覚ます。いつも決まって、目の前に、女性の裸体が横たわる。漆黒の闇に浮かぶように、女性の裸体が横たわる。背中を向けて横たわる。私を誘う訳でなし。私を拒む訳でなし。いつも静かに横たわる。薄紅色のその裸体…。左の腰に赤い痣。花びらに似た赤い痣。いつか見たよな赤い痣。

私はそっと偲び寄る。抱き締めようと偲び寄る。偲び寄って、手を伸ばす。静かに伸ばした指先が、痣に触れるか触れないか…。その瞬間に砕け散る。花びらとなり、舞い上がる。薄紅色の花びらが、妖気を帯びて、舞い上がる。妖艶な薄紅色の向こうから、般若の顔が浮き上がる。憤怒と嫉妬の角を立て、般若の顔が浮き上がる。金色に、大きく見開く鬼女の眼が、私に何かを訴える。耳まで裂けたその口が、私に何かを訴える。叡智溢れるその顔は、きっと何処かで会った人。真理を悟るその顔は、やっぱり何処かで会った人。

私は彼女の名を叫ぶ。声にならないその叫び。私の耳には聞こえない。

今夜も、悪夢に魘されて絶叫。あああ…。

 

=ナースステーション=

「ねえ、今度ウロ(泌尿器科)に来た伊藤ネーベン(研修医)、いい男よねぇ。」

「そう、私も思った。でも、あのネーベン、誰かに…、似ているのよね。」

「そうそう…。うちにいるデプレの早月さんに、そっくりなのよ。」

「そう言われれば…、似ているわね。」

「早月さん…、毎晩凄いわよね、寝言。」

「魘されているわよね。サクラ、サクラ、ああ、サクラって…。」

「私には、ああ…桜、咲く…って聞こえるわよ。多分、桜の夢を見てるんだと思う。」

「違う違う…。私はっきり聞いたもの。アサクラサキコって…。女性の名前だと思う…。」

「アサクラサキコ。誰だろう。それって…。」

「早月さんの昔の彼女かも…?」

「もしかして…、伊藤ネーベンの母親の名前…、サキコだったりして!」

「不倫なの…?リーダーはどう思います?」

「昔は浮気って言うの。確かに…、似てるけど…。伊藤ネーベンの母親、彼が産まれて数年で自殺したって…。何か事情があったみたい…。バカね…、早く、仕事しなさいよ。」

 

 =病室=

 「…。さあ、早月さん、本でも読んで、気持ちを落ち着けて下さい。本が読めないのなら、テレビでも見て…。あんまり考え事をしていると、又、眠れないわよ。どうしても、眠れないようだったら、医師(せんせい)に言って、鎮静剤を変えて貰いましょうか?」

 …。余計なことをしないでくれ。確かに、毎晩夢を見るのは辛い。しかし、辛いのは、あの鬼女が誰か判らないということだ。

彼女の名前を思い出すまで、夢を見続けなければならない。本当は思い出しているのかも知れない。でも、目覚めた時は、忘れている。私は見続けなければならない。彼女の悲痛な叫びを聞き届けるまで…。怨怨と…。

 

 =デイルーム=

 誰もいなくなった部屋。消し忘れられたテレビが、ニュースを伝えている。

「今日、午後二時過ぎ、緑の丘公園再整備工事現場、咲爛桜の根元から、白骨化した人骨が発見されました。死後、数十年は経過しており、警察で身元の確認を急いでいます…。尚、白骨には、二メートルを超える、青大将が、巻き付いていたということです…。」

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