融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日も礼拝はお休みです

2020年04月25日 | 日記

 明日、26日(日)の礼拝はお休みです。と言ってますが、新型コロナウイルス感染予防の一環として、教会員の方々に自宅での礼拝をお願いしているところです。礼拝堂では、私一人が礼拝を守り、それぞれのことを覚えてお祈りを捧げます。そのような事情ですので、厳しいかも知れませんがお訪ねされてもご一緒できないことをご了承ください。これで、どなたかと一緒に礼拝を行ったとしたら、何のために教会員の方々に休んでもらっているのか分からなくなりますので。

 世の中、補償なき自粛を迫られ、様々なストレスを抱えて暴発を起こしそうな気配もありますが、こういう時こそ胆力が問われるというものです。粘り強く、正当な補償を求め続けなければと思います。そうして、しばらく忍耐できる環境が整えられたら、コロナが広がらないように時を過ごすことができるのではないかと思います。その間、医療機関の環境を整え直し、より一層治療に専念してもらえるようになればと思います。それまでが、まず最初の忍耐のしどころだと思います。

 


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車を傷つけても何にもならないだろ

2020年04月25日 | 日記

 何だか嫌な世の中になりましたね。徳島では、県外ナンバーの車に嫌がらせが横行しているそうです。コロナで不安なことは分かるのですが、やっていることは犯罪だと思います。逆に、こういった形で注目されてしまうと、徳島ナンバーの車が県外に出たとき、それを見つけた人たちが、面白半分で徳島ナンバー狩りをし始めないか心配です。どうか、人を呪わば穴二つという言葉があることを思い出して冷静になって欲しいものです。

 東日本大震災の時、日本人は暴動を起こしたりしない忍耐強い人たちだと世界中が注目したそうですが、そういった部分はどこに行ってしまったのでしょうか。あれは、東北の人たちだったからなのでしょうか。なら、東北の人たちのことを思い出して、もう一度学ぶべきではないでしょうか。

 


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都合の悪いことをしている人ほど、詮索されることを嫌がる。

2020年04月25日 | 日記

 当たり前のことですが、都合の悪いことをしている人ほど、あれこれと詮索されることを嫌がるものです。何も悪いことをしていなければ、そんなことはありません。

 主権者たる国民が、「これはおかしい」と言っているのですから、それを言うなという方がおかしいと思います。下記の記事には、国民が批判したからこそ、これまでの状況が改善した例が示されています。確かに、国民が批判の声をあげなかったとしたら、今よりもっと酷い状況になっていただろうと思うと、恐ろしくなります。

 


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医療体制の改善について

2020年04月24日 | 日記

 新型コロナウイルスが世界的に流行している状況の中、「医療崩壊」という言葉を耳にしています。私たちの生活に身近な医療についてのことですので、自分でも整理してみたいと思います。

 「医療崩壊」とは、私なりに考えると、治療をするための場所が足りない(ベッドや病院が足りない)、医療従事者を守るための防御(医療服とかマスクとか)ができていない、医療機器が足りない、そのために劣悪な環境で医療に当たらなければならない医療従事者が、身の危険を感じて逃げ出してしまわざるを得ない状況になって、現場が混乱している、ということではないかと思います。

 そうであるならば、世界的な流行の状況にある訳ですので、まず医療施設の確保や拡充、医療従事者を守るための防御態勢の拡充、医療機器の拡充が急務であると思われます。それが出来て始めて、病気になっても安心して病院に行くことができ、安全に治療を受けることができるというものです。文明国なら当然出来ることであるはずです。何よりもまず、今の状況では政府はそれをしなければならないと思います。

 しかし、政府はアベノカビマスクとか、オリンピックとか、お肉券とか、観光とか、利権欲しさに頭がおかしいとしか思えないような政策を次々と打ち出しています。しかし、今は平常な状況ではなく、本当の意味で国民の生活が未曾有の危機的な状況にあるのですから、あまりにも政策が頓珍漢では許されないと思います。「補償なき自粛」もまったくおかしいと思います。

 新型コロナウイルスの流行については、長期戦が見込まれています。おそらく、いつまでもじっとし続けることにも限界がやって来て、そう遠くない日にはウイルスと共存しながら日常生活を送らなければならなくなるものと思われます。そのような日を迎えるためにも、今から速やかに「医療崩壊」の状況を改善し、充実した医療ができるような体制作りを始めてもらいたいものだと思います。

 政府が金権利権専門の集団であるならば即刻退陣してもらい、このような危機に対応できるような政策を実行できる人たちが政権を取って欲しいと思います。

 


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「平和があるように」

2020年04月23日 | 聖書のお話

「平和があるように」 ヨハネによる福音書 20章19~31節

 弟子たちは、ユダヤ人を恐れて自分たちのいる家の戸に鍵を掛けてじっとしていました。すると、そこへイエスさんが現れて真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言い、手とわき腹の傷を見せました。そして、再び「あなたがたに平和があるように」と繰り返し言い、恐れて家の中に閉じこもっている弟子たちに「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」と言って息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」と命じました。

 イエスさんは、恐怖に怯えて弱り果て、家の中に閉じこもっている弟子たちに対して、“罪を赦す”という到底できそうにないほどの大きな課題を示しました。弟子たちは、ユダヤ人を恐れて外出もできないでいました。それは、言い換えるとイエスさんを殺したユダヤ人の罪に対する恐れなのです。イエスさんは、弟子たちが恐れを捨て去り、家から出て宣教を続けて行くには、イエスさんを殺したユダヤ人の罪さえ赦すという思いが必要であると教えました。そのような思いを持たないならば、いつまでも恐怖に縛り付けられて、平和になることなどできないと教えられているように思います。

 


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