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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2020年09月26日 | 礼拝のご案内

 明日9月27日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校については、引き続きお休みします。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「神と愛はひとつ」、賛美歌は「こすずめも、くじらも」、「私たちを生かす」です。礼拝後は、祈りの一時、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 私事ですが、92歳の父親が天に召されました。昨年11月に母親が天に召されましたが、父親はまだしばらく大丈夫だろうと思っていましたが、今となっては1年も経たず、後を追うように逝きました。一ヶ月前には、義父が天に召されましたので、私たちの家庭にとって、この間は濃密な時間を過ごすことになりました。 

 それぞれの葬儀は終わったものの、納骨等、今後の課題も山積しています。まずは、疲れを癒やすのと、今後の課題に向き合うことを、心にぽっかりと穴が空いた状態でこなさなければなりません。それが、生きている証明であることを頭で理解しつつも、何だか複雑な心境です。

 振り返ると、新型コロナウイルスの影響で大きな教会行事を中止せざるを得ない状況であったから、この状況で何とか健康が保てているのかも知れません。とても、行事と平行しながら親の介護や看取りができるものではないと実感しています。そう考えると、この時期ならではのマイナス面と、思わぬプラス面もあるのだなと思います。

 


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「イエスさんという門」

2020年09月26日 | 聖書のお話

「イエスさんという門」 ヨハネによる福音書 10章1~6節

 私たちにとって、何が最も大切なことなのでしょうか。地位や名誉、お金、健康を追求することなのでしょうか。やっぱり信仰でしょうか。聖書は、その答えを「愛である。」と教えています。考えてみれば、信仰といえどもそれが御利益追求であるならば、自己愛です。聖書が教えている「愛」とは、イエスさんが十字架で罪人のために命を捧げたような、あくまでも他者に対する愛のことではないかと思われます。

 一方で私たちは弱さを持っています。他者のために命を捧げるような愛を持っている強い人など、そうそういません。けれども、弱い私たちでもイエスさんと共にいるからこそ、他者を愛そうと突き動かされるのではないでしょうか。イエスさんと共にいるとは、教会という囲いの中にいるということです。そして、イエスさんという牧者に導かれ、囲いの門を出入りし、内でも外でも聖書が教えている「愛」を実践する者でありなさいと教えられているように思います。

 


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明日は礼拝です

2020年09月19日 | 礼拝のご案内

 明日9月20日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校については、引き続きお休みします。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「イエスさんという門」、賛美歌は「こすずめも、くじらも」、「私たちを生かす」です。礼拝後は、祈りの一時、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 今週は、義父の召天1ヶ月を迎えました。早いものですね。また、先週になりましたが、13日には香住教会の小林拓哉くんの召天3カ年を迎えました。蛇足ですが、私の父も月単位が週単位になって来たかという感じです。生まれた瞬間から死ぬ運命と頭では理解していても、複雑な思いです。

 地上に生きて、全力疾走を強いられているばかりだと、天国のことなど想像だにできません。そうこうして、突然に死を迎えるのと、だいたい予想がついて計画通りに死を迎えるのと、どちらがどうなのでしょう・・・。

 


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「罪の奴隷」

2020年09月19日 | 聖書のお話

「罪の奴隷」 ヨハネによる福音書 8章31~38節

 イエスさんは、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」と言いました。ユダヤの人々は、自分たちがアブラハムの子孫であり、自由な存在であると考えていました。そのために、イエスさんに「『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」と言いました。更にイエスさんは、「罪を犯す者は、誰でも罪の奴隷である。」とも言いました。

 真理とは、イエスさんを神と信じ、イエスさんの愛の教えに従って生きるということです。自由とは、何物にも囚われないということで、それはイエスさんの愛の教えに従って生きる道でしか成し遂げられません。愛の教えに背くということは、罪を犯すということです。イエスさんは、「あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。」と言いました。愛の教えに従って生きるという決断をしなければ、罪の奴隷から解放されて本当の自由を得ることができないと教えられているように思います。

 


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明日は礼拝です

2020年09月12日 | 礼拝のご案内

 明日9月13日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校については、引き続きお休みします。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「罪の奴隷」、賛美歌は「こすずめも、くじらも」、「私たちを生かす」です。礼拝後は、祈りの一時、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 少し、涼しくなってきましたが、まだまだ暑い日が続いています。油断して熱中症にならないように気をつけたいと思います。

 先月、義父が天に召され、来週になるともう一ヶ月になろうとしています。早いものです。そうこうしていると、父親も具合が良くなく、色々と心備えが必要になって来ました。神さまが一番良いようにしてくださるという信仰が問われているように思います。

 改めて人間は、生まれた瞬間から死ぬことが運命づけられていることを思わされます。そのことを真摯に受け止めるならば、人と人との付き合いもまた、真摯でなければならないのかも知れません。私たちは、実に無駄な生き方をしてはいないか、自問自答できるようでありたいと思います。

 

 


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