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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日の礼拝はお休みします

2025年02月22日 | 礼拝のご案内

 明日2月23日(日)の礼拝は、都合によりお休みします。

 トランプ大統領やその他の閣僚らによって、ウクライナ紛争が終結へと作業が進められています。大きく潮目が変わった様子が伝えられています。バイデン政権の路線に同調していた人たちは、右往左往しているようです。いずれにしても、人が互いに殺し合う状況は一日も早く終わりにしたいものです。NHKなどは、「フェイクニュースはいかん」と言いつつ、どういう訳か一方の当事者の意見しか伝えず、一方の意見に基づく論説委員と称する御用がポエムを述べたりと、「それがフェイクニュースじゃないか」と、思わず突っ込みたくなります。ウクライナには、反ロシア住民もいれば、親ロシア住民もいます。公平に両論併記の事実だけ伝えて欲しいものです。ニュースを見て聞いて、地に足の着いた人なら、答えは自分で判断するものです。

 しかし、かく言う私も騙され続けてウン十年、今頃になって少しは知識も増え、少しは客観的な見方もできるようになったのかも知れません。ちょっと、遅すぎたかな。私の内に愛がありさえすれば、たとえ騙されたとしても解釈の方向が融和的であったのかも知れませんが、振り返って必ずしもそうでなかったと反省しています。反省する点は、騙されて流されたということよりも、自分の内に愛が足りなかったという点です。どんなに気をつけていても、言葉巧みに騙されてしまうものです。けれども、騙されたとしても、自分に愛という根っこがあり、全てが愛によって考え出されたことであるなら、その責任も負えるのかも知れません。まだまだ知識不足、勉強不足を痛感していますが、いずれにしても人が互いに殺し合う状況が一日も早く終わるようにと祈りつつ、これからも見守りを続けて行きたいと考える今日この頃です。

 

 


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「愛を持つ」

2025年02月22日 | 聖書のお話

「愛を持つ」 マタイによる福音書 13章10~17節

 弟子たちは、イエスさんに「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか。」と言いました。イエスさんは、「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。」と答えました。

 人は、自分の心の内に持っているものによって、物事を理解します。そのため、一つの事柄を考えるにしても、人それぞれ持っているものが違うと、理解も違ったりするものです。「御利益」という言葉ひとつとっても、人によってお金であるとか、健康であるとか、あるいは安寧であるとか、心の内に持っているものによって違う理解になるものです。だから、たとえでないありのままの話しを聞いても、同じことが起こるのです。

 イエスさんは、ありのままを話して人それぞれの理解に委ねるより、たとえを話して考えさせるという方法を選びました。イエスさんのたとえ話しは、イエスさんの教える愛に基づいて解釈することが求められています。イエスさんの愛を心の内に持って解釈するなら、たとえの話しであっても本当の意味を悟ることができるのです。愛を心に持った人が愛の教えに聞き従うとき、「持っている人は更に与えられて豊かになる」のです。

 


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明日は礼拝です

2025年02月15日 | 礼拝のご案内

 明日2月16日(日)は、主日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「愛を持つ」、賛美歌は「この世はみな」、「この世のつとめ」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 昨年のラニーニャ現象により、昨夏は暑く、今冬は寒いという教科書通りの気候になっていることを体感できています。加えて、地球の歩みの中で地軸の傾きが増大方向にあるとのことで、それによって偏西風の蛇行幅が広がり、北極からの冷気と赤道からの熱気をより運んでくるようになるそうです。その影響で、寒くなるとより寒く、暑くなるとより暑くなる傾向になるそうです。一般人の私が理解し得る、気象科学です。ちなみに、地球温暖化説とやらは、気象科学で証明されている訳でもなく、私にしてみれば宗教みたいなものだと思います。

 確かに、最近の気候は極端に感じることが多いです。しかし、これも母なる地球の営みであるならば、そこに生きる者たちは甘んじて全てを受け入れるしかありません。人は、自然と共に生きることが一番良いのです。そういうことを考えていると、「地に足をつけて」という言葉を思い起こします。「地に足をつける」とは、落ち着いているとか、しっかしているという表現です。私は、そのようにできるのは自然に根ざしているからではないかと思います。反対に、「浮き足立ってる」という言葉を思い起こします。「浮き足立つ」とは、気もそぞろで、ふらふらしているという表現です。私は、そうなるのは自然に根ざしていないからではないかと思います。

 最近、フェイクニュースというものに振り回されてしまうといった状況があるようです。フェイクニュースに注意しましょうと言いながら、フェイクニュースを垂れ流したりしている状況があります。私は、フェイクニュースかそうでないのかを判断するとき、論説委員の解説などと言う他人の意見や判断を「答え」とするのは愚の骨頂だと思います。そんなことより、地に足がついてさえいれば分かるものではないかと考えます。「地に足がつく」とは、落ち着いて考える、しっかりと考える、そして自然の理に基づいて考えるということです。そうすると、分かることは分かるようになるものです。人の意見は「答え」ではなく、参考です。人の意見を正しいと思ったり、流されてしまうのは、地に足がついていないから、自然の理に反しているからに他ならないと思う今日この頃です。

 


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明日の礼拝は、お休みします

2025年02月08日 | 礼拝のご案内

 明日2月9日(日)の主日礼拝、お休みします。

 アメリカの政府機関であるUSAIDがイーロン・マスク氏らの政府効率化省の監査により、問題のある機関として整理縮小される方向にあるようです。その過程で明らかになったことは、USAIDが各国の非政府組織に少なからぬ資金を提供し、多国の政権転覆を働きかけていたというものです。その結果、いわゆるカラー革命とされる出来事が「民主化」というフレーズによって起こされ、暴力的に多国の政治に介入していたという問題が露呈しました。現在、ウクライナやロシアを舞台として繰り広げられている戦闘も、その発端は2004年のオレンジ革命を起点として続いている紛争で、突然ロシアがウクライナに侵攻したのではないことは、歴史を知れば誰でも理解できることです。

 それはそうとして、この度USAIDという機関の問題が取り上げられなければ、このような機関が存在していることすら知りませんでした。カラー革命を起こし、暴力的に政権を転覆させるという一連のスキームがあるということを知るうちに、ふと思い出したことがありました。それは、日本共産党の要綱に暴力によって革命を起こすことを肯定するような文章が書いてあるの問題だという議論です。この件について、日本共産党は、要綱は歴史的な遺産として手を付けずに掲げているだけで、実際に暴力で革命するようなことを意図しているのではないと発表しているそうです。日本共産党が暴力で革命を企てることは問題にし、アメリカの政府機関であるUSAIDが手下を使って暴力で革命を企てるのは問題にしないのか・・・。ふと、そんなことを考えさせられた今日この頃です。

 

 


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「祈りは愛」

2025年02月08日 | 聖書のお話

「祈りは愛」 マタイによる福音書 21章12~17節

 イエスさんは、神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返しました。そして、「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。」と言いました。イエスさんの周りに目の見えない人や足の不自由な人たちが集まって来ました。イエスさんは、彼らを癒やしました。祭司長たちや律法学者たちは、イエスさんがなさった不思議な業を見、境内で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と叫ぶのを聞いて腹を立てました。

 イエスさんの生き方は、その行動によって現れました。同時に、祭司長たちや律法学者たちの生き方も、その行動によって現れました。信仰がその人の生き方を現し、生き方がその人の信仰を現しているのです。信仰を造り上げるのは、「祈り」です。神さまを礼拝する場所は、信仰を造り上げる場所です。それ故に、礼拝する場所は「祈りの家」なのです。イエスさんは、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさいと教えました。祈りは、愛です。敵でさえ愛する祈りは、人格を造り上げ、信仰を造り上げます。その信仰が、その人の生き方として現れるのです。

 


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