融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2024年01月27日 | 礼拝のご案内

 明日1月28日(日)は、主日礼拝です。午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは「自由とは愛」、賛美歌は「新しい年を迎えて」、「馬槽のなかに」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 今週、寒波来襲によって日本海側を中心として広範囲に大雪が降りました。考えてみれば、元日に能登半島地震が起こり、浜坂でも津波を警戒して一時避難指示が出されました。そのときは雪もなく、高齢者も多くて人工密度も低い地域ですので多くが自動車を使って避難が行われましたが、今回の大雪の最中に避難指示が出されたとしたら、とても動きようがないと思わされました。最低限の荷物を背負って歩くにしても、除雪がされていない道を歩くのには相当な時間と体力が必要で、高齢者は避難どころではありません。災害対策というは、最悪の条件下も想定したものでなければ絵に描いた餅であることを考えさせられました。

 能登半島地震から一ヶ月も経とうとしていますが、自助や共助に頼るばかりで、国の公助は後手後手の印象です。小学生みたいに、被災地に行ったら迷惑になるから行かないでおこうと早々に打ち合わせをしているような議員は、何か役に立っているのでしょうか。YouTubeやSNS発信で忙しいんでしょうね。国が早々に救援のロードマップを描いて、それを自ら速やかに実行してもらいたいです。万博に回すリソースを能登に回すくらいでなければ、この寒い中で被災されている方々に申し訳ありません。

 件の議員はパー券犯罪行為の隠蔽工作のため、PC壊したり、隠したりの証拠隠滅に忙しくて、被災地どころじゃないというのは分かります。そのような今だけカネだけ自分だけの自民党を選んだのは国民だという理由も分かります。自民党だけ悪く言うのはよしなさいというのも分かります。しかし、あまりにも酷い。被災地の情報を伝える時間を削って、何だか派閥解散とかニュースで時間を割いて、時間が経ったら派閥を政策集団と呼び名を変えるだけということで、もしそれで国民も了解するというのなら、まるで蛙の面にションベンです。誰が蛙で誰がションベンかけている人かはご想像にお任せします。というか、政策集団というより、犯罪集団じゃないでしょうか?

 そんなことをあれこれと思う今日この頃です。政権与党で権力を行使できる立場にあるのですから、正しく使って欲しいものです。

 


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「愛は地方から」

2024年01月27日 | 聖書のお話

「愛は地方から」 マタイによる福音書 4章12~17節

 マタイによる福音書によれば、イエスさんはベツレヘムで生まれ、そこに住んでいましたが、ヘロデ王による幼子の大殺戮から逃れてエジプトに移り住みました。やがてヘロデ王が死んだ後、ベツレヘムに帰ろうとしたところ、ヘロデの息子が王になっていたのでガリラヤのナザレに移り住むことにしました。それから随分と経ってバプテスマのヨハネがユダヤに近いヨルダン川で活動を始め、イエスさんもヨハネから洗礼を受けました。しかし、ヨハネが捕らえられたことがきっかけで、イエスさんはガリラヤに「退かれ」、そのときから福音を宣べ伝え始められました。マタイによる福音書には、これらの出来事が旧約聖書に記されている預言者の言葉の通りであったと伝えています。

 イエスさんは、中央ではなく地方から福音を宣べ伝えました。それは、中央において権力者の腐敗と悪政が酷いために、もはや権力の手の及ばない地方から愛を宣べ伝えざるを得なかったことを意味しています。中央は、人もお金も知識も集まって利便である反面、誘惑も多くあります。反対に地方は、貧しく不便ですが、誘惑も少ないです。そんな地方から中央を見れば、中央から周辺へと追いやられた「暗闇に住む民」や「死の影の地に住む者」の存在が、まるで「光」に照らし出されるように浮かび上がって見えるのです。「光」とは、イエスさんの教える愛です。地方の視点を持つ愛があれば、周辺へと追いやられた人たちを照らし出すことができるのです。

 


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明日は礼拝です

2024年01月20日 | 礼拝のご案内

 明日1月21日(日)は、但馬デイです。但馬地区の諸教会・伝道所の礼拝において、「但馬デイ共同の祈り」を祈ります。浜坂教会では、午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは「愛は地方から」、賛美歌は「新しい年を迎えて」、「馬槽のなかに」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 新聞を見ると、自民党の裏金作りについて、何だか責任とって派閥の解散で手打ちしようみたいになっています。しかも、検討段階であるとか、解散を示唆する派閥の親分をおもんぱかった地方議員のコメントを掲載する始末です。そんな人たちでも罪が問われず有耶無耶になっても仕方ないと思わせるのが、さすが新聞の力ですね。

 法を作る側の議員が法破りの犯罪を犯した場合、悪質なのだから倍返しの重い罪に問われても構わないと思います。一般の人ならば、たとえ仕事上で路駐しても、違反したら許してもらえることはありません。組織の責任にすり替えて済ませようとする姑息さに虫酸が走ります。

 当初から被災の対応が遅いと感じていましたが、裏金作りの証拠隠滅に忙しくて、それどころじゃなかったのなら合点がいきます。数年前、洪水で人が死んでいる時でさえ、赤坂自民亭と称する酒飲み会を優先するような政党ですから、今回の対応についても、然もありなんという感じがします。

 6与野党が能登半島地震の視察を自粛するよう取り決めたとか、小学生ですか。先生から、危ないからあの池に近づいてはいけませんって言われているから、池に落ちて溺れている子がいてもを放置しましたってか。近づかなくてもロープを投げるとか、色々と工夫もあるでしょうに。国会議員は、無能なんですか、存在意義は何なのですか?

 新聞も、もっと能登半島地震のニュースを伝えて欲しいと思います。能登半島地震で最も揺れた地域に志賀町があげられています。そこには、志賀原子力発電所が建てられています。能登半島には、志賀町から佐渡に向かって大きな活断層があり、今回の地震の原因は、この活断層が動いたためであると伝えられています。地震の際、志賀原子力発電所が運転停止状態であったのが助かりましたが、もし運転中であったならとか、今後大きな余震が再び志賀町で起こったらとか考えたら、恐怖でしかありません。

 そのようなことをあれこれと思う、今日この頃です

 

 


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「洗礼よりも愛」

2024年01月20日 | 聖書のお話

「洗礼よりも愛」 マタイによる福音書 3章13~17節

 イエスさんは、バプテスマのヨハネから洗礼を受けるまで、父親の仕事を継いで大工をしながら家族を養い、人の子として歩まれました。洗礼を受けられたとき、天が開き、神の霊が鳩のようにイエスさんに降り、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえました。キリスト教では、そのときからイエスさんが神の子となり、福音を宣べ伝え始められたと理解されています。

 しかし、天からの声は、「これはわたしの愛する子」であり、「これは私の子、神の子」と言うものではありませんでした。イエスさんは、神の子として崇められるためではなく、私たちが互いに愛し合って生きることができるように、十字架への道を歩む生き様を通して神の愛を示すために洗礼を受けられたのです。

 私たちもまた、洗礼によって「神の子」になったりとか、何か特別な権利を得たりすることはありません。私たちもまた、愛によって生きる人として生まれ変わるために洗礼を受けるのです。従って、大切なのは洗礼を受けたかどうかを問うのではなく、ありもしない特権を振りかざすのでもなく、愛によって生きているかどうかを自問自答すべきなのです。

 


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能登の被災状況の一部(ご紹介)

2024年01月16日 | 日記

長周新聞さんが能登の被災状況について、国会議員による現地レポが掲載されていましたので、ご紹介いたします。

2回の掲載になっています。それぞれ、文字の部分と画像をクリックすると、記事をご紹介できます。

最初の報告は、こちらからどうぞ

 


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