融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

キャンプ写真

2019年07月31日 | 日記

 7月30日(火)から31日(水)にかけて、但馬合同CSキャンプが養父市の古代村を会場にして行われました。キャンプは、事故やケガもなく、楽しい一時を終え、無事に帰り着くことができました。感謝です。

 フタッフの一員として、カメラ係もさせてもらったのですが、ファイルをパソコンにコピーして、写り具合を確かめてみました。すると、川遊びで使用したオリンパスのTG-2というカメラの保存設定が、VGAモードになっていたことに気がつきました。VGAは、Eメールなどに使用するサイズの小さなファイルで、一枚が140KBしかありません。モニターで鑑賞するには不可能ではありませんが、プリントするにはファイルが小さすぎではないかと思います。ショックです。撮影の前に、設定をよく確認しておけば良かったのですが、以前、何かを添付しようとして一時的に設定をしていたのを元に戻すことを忘れていたようです。残念。

 他のカメラも、オートホワイトバランスがホワイト優先になっていて、それでは晴天の屋外では白っぽくなり過ぎてしまうこともあります。かなりの枚数が、白っぽくて残念な結果になっていました。マクロ撮影などで明るくなるのは良いのですが、集合写真で白っぽくなり過ぎると、残念な結果になってしまいます。

 ところで、下の子どもがFZ1000というカメラを使っているのですが、それで撮ったのが綺麗です。晴天の屋外という条件では、FZ1000も、負けていません。むしろ、勝っているシーンも多いです。なかなか侮れないカメラです。今回は、下の子どもが撮ったのを一部使用させてもらおうと考えています。

 とにかく、ショックが大きいです。こうなった原因を確かめて、次回から同じ過ちを繰り返さないようにしたいと思います。恥をかき、汗をかいた回数が多ければ多いほど、何事も上達するというものです。挫けずに頑張りたいと思います。

 

 


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明日は礼拝です

2019年07月27日 | 礼拝のご案内

 明日7月28日(日)は、主日礼拝です。午前9時から教会学校、午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは、「信じているようで」です。讃美歌は、「十字架の血に」、「行けども行けども」、「備えて祈れ」です。礼拝後には、祈りの一時、会堂清掃、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。

 明日は、7月最後の日曜日です。何だか7月は、色々と行事があったように思えて、はや夏バテ気味です。それだけ、充実していたということで、有り難く思わないといけないです。ホドスも少しずつ印刷しているのですが、途中から訂正版を印刷できて良かったと思います。

 今回のホドスには、(仮称)新温泉風力発電事業の白紙撤回を求める署名を同封しようとしているのですが、そのお願い文を作っているところです。自分で文章を書きながら、改めて町の存続に関わるような問題だと思っています。だって、風車に最も近い家は500メートルのところにありますので、そこに住む人たちは健康被害を訴え、高齢化に伴い、離れていくのではないでしょうか。

 それは、地域の崩壊を意味しています。若い人だって、自然が豊かで安心して暮らせるから頑張って住み続けようとしているのですから、気持ち悪がって町を出て行ってしまうことでしょう。その動きは、風車に近いところばかりではないと思います。大問題だと思います。もっと若い人たちにも感心を持って欲しいと思います。とは言え、日々の暮らしで精一杯、疲れてビールを飲んで寝るだけというのも現実ですし・・・。

 町の所謂お年寄りたちは、人生の豊かな経験をもって、もう少し感心を持って欲しいと思っています。自分のふる里が変わろうとしているのですから。あるいは、超高齢化なので、もう考えることができないのかも知れませんね。そのタイミングで、企業にふる里を乗っ取られてしまうのも辛い話しです。

 せめて、新温泉町の住民全員が反対の署名をしてもらいたいものです。

 7月末にはキャンプがあります。キャンプが終わったら、お盆前の草刈りを予定しています。

 


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中学総体

2019年07月26日 | 日記

 浜坂の町外れの道路淵に外気温計があるのですが、今日は朝8時過ぎから34度と表示していました。

 今日は、朝から中学総体で加古川市運動公園陸上競技場に行ってきました。陸上リレーで出場したのですが、残念ながら予選敗退でした。

 ところで、下の子どもの隣のレーンを走っていたのが、洲本の中学の子なのですが、何と小学校からのお友だちでした。お互いに、たくましく成長した姿で再会できて良かったと思います。つながりは財産ですね。

 私は、半分熱中症で、ダウンキューです。

 


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ミサイルが2発発射された後に安倍首相は夏休みをとってゴルフです

2019年07月25日 | 日記

 はて、あれだけミサイル、ミサイルと叫んで、国民に頭を隠すような馬鹿げたことをさせておきながら、自分はゴルフ場に直行ですか。

 外国では、普通に分析をしているというのに、日本はのんきなものですね。外国とは対照的です。

 こりゃ駄目だ。気構えが足らない。たるんでいます。

 

 

 


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「若者よ、起きなさい」

2019年07月25日 | 聖書のお話

「若者よ、起きなさい」 ルカによる福音書 7章11~17節

 当時のユダヤ社会は、父権制社会でした。男性以外は数にカウントされない社会では、家長である男性が死んでしまった場合、そのパートナーには厳しい日常が待っているというものです。そんなやもめは、助け合いで生きるしかなく、貧しい生活を送るしかありませんでした。しかし、やもめに一人息子がいたら、その息子が自立した暁には、やもめを養う存在になるでしょう。やもめにとって一人息子は、希望の光でもありました。

 イエスさんがナインという町へやって来たとき、そこには亡くなった一人息子を見送るやもめの姿がありました。やもめは、希望の光である一人息子を失い、打ちひしがれていました。イエスさんは、このやもめを見て、哀れに思って近づき、棺に手を触れ、「若者よ、起きなさい」と言われました。すると、一人息子は蘇りました。イエスさんは、息子をやもめに返しました。ユダヤ社会で貧しく生きるしかなかったやもめを救うために、一番必要なことが死んだ若者を起き上がらせることでした。

 私たちの社会においても、希望の光であるはずの多くの若者が死んでしまっているような現実があります。そうであるからこそ、貧しくさせられている人たちが多いのかも知れません。若者が起き上がり、幸せに生活できる社会であるならば、貧しい人は一人もいない社会であるように思います。

 


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