融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2024年06月29日 | 礼拝のご案内

 明日6月30日(日)は、主日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「命も愛」、賛美歌は「羊飼いの羊飼いよ」、「私たちを生かす」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 ユダヤ教には、「汝殺すなかれ」という戒めがあります。けれども、パレスチナで建国当時から周辺住民を殺しまくっています。「汝殺すなかれ」はユダヤ人だけの話で、外国人は殺しても構わないという考えなら、何の有難味もない話になってしまいます。キリスト教には、「自分を愛するように隣人を愛せよ」という教えがあります。けれども、米英の精密誘導ミサイルを使ってロシアを攻撃することをウクライナに許可し、ビーチで遊んでいた子どもを狙って殺しても構わないというのなら、何が愛だという話になってしまいます。米英の精密誘導ミサイルは、米英のオペレーターが操作しないと動かせないからです。

 「汝殺すなかれ」とか「自分を愛するように隣人を愛せよ」が絵空事なら、信仰って何だろうということになってしまいます。もちろん、教えは教えなので、それを受け止めた人がどう生きるかが全てなのですが、あまりにも教えと正反対な状況から、もはやユダヤ教やキリスト教に意味などあるのかと思ったりもします。このような状況であるからこそ、「愛」を捉え直し、「愛」によって生きるとはどういうことかを自問自答する今日この頃です。

 


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「塩や光は愛」

2024年06月29日 | 聖書のお話

          「塩や光は愛」 マタイによる福音書 5章13~16節

 イエスさんは、「あなたがたは地の塩、世の光である。」と言いました。「地」は地域で、「世」は世界のことです。「塩」とは、他に代用することができない生きるために必要不可欠なもののことです。「光」とは、誰からも注目され、お手本にされるということです。さしずめ、自分たちが住んでいる地域において、なくてはならない存在として認められ、それを見た世界中からも尊敬され、お手本にされるということです。イエスさんの教えは、倫理的にも非の打ち所がありません。

 一方で、「地の塩、世の光」という言葉は、受け止め方が様々あります。イエスさんの教えは、受け止め方も様々で、多様な方法によって実践する可能性を秘めています。しかし、教えの中心にあるのは「愛」です。「塩」も「光」も「愛」と言い換えて差し支えありません。何も特別なタラントを発揮して地域に貢献せねばならないというのではありません。イエスさんの「愛」を宣べ伝えながら、地域で存在し続けることが大切なのです。それが、世界にとっても良いお手本になるのです。

 


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今日は「慰霊の日」です

2024年06月23日 | 日記

 本日6月23日は「慰霊の日」、沖縄戦での組織的な戦闘が終結した日です。沖縄では、この日に各地にある戦没者の慰霊碑に足を運んで祈る人たちが朝から晩まで絶えません。あれから79年も経てば、本土で沖縄戦のことを忘れてしまう人も多いのではないでしょうか。これが、本土で行われていた戦闘なら、恐らく79年経っても忘れたりしないのではないでしょうか。

 「慰霊の日」には、戦没者慰霊碑の前で、肉親のことを覚えて祈ります。その一方で、世界の嫌われ者が命じるままに沖縄県にミサイルを配備し、中国包囲網を巡らせています。この状況は、慰霊碑の前で祈念する平和の祈りと相容れません。しかし、この状況を作り出しているのは、紛れもなく日本政府であり、再び沖縄を戦場とし、捨て石にしようとする企てです。

 遠いところでも平和のために祈ることが大切です。しかし、今の状況にあって「慰霊の日」に戦没者慰霊碑の前で平和が祈念されていることを覚えつつ、再び沖縄を戦場にし、捨て石にされようとしていることが分かっているのですから、その平和の祈りは綺麗事で偽善になります。6月23日は、自分がどこに身を置いているのかを問われる日でもあります。

 


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明日は礼拝です

2024年06月22日 | 礼拝のご案内

 明日6月23日(日)は、主日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「塩や光は愛」、賛美歌は「羊飼いの羊飼いよ」、「私たちを生かす」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 


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「神の言葉」

2024年06月22日 | 聖書のお話

「神の言葉」 ヨハネによる福音書 3章31~36節

 「神の愛」とは、イエスさんが十字架で命を賭して示された愛のことです。イエスさんは、「神の愛」によって私たちの罪を赦し、罪が赦された者として相応しく生きるようにと教えました。しかし、私たちの間には争いが絶えません。そのような私たちが互いに愛し合えるように、神の霊である聖霊が「神の言葉」を私たちに語らせて、私たちが互いに愛し合って生きることができるように私たちを導くのです。

 バプテスマのヨハネは、神の霊を侮る者たちの上に、「神の怒り」がとどまると言いました。私たちの罪を赦し、互いに愛し合えるようになるために示された神の愛を受け入れないのは、私たちが互いに愛し合って生きることを否定し、争い続けることを肯定することです。「神の愛」を否定し、「神の言葉」に耳を傾けず、絶えることなく争いを続けようとする者たちの上には、神の怒りがとどまるのです。

 


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