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新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「キリストの風」集会からのアンケート 返答続きQ4~終わりまで

2018年09月15日 | 信仰あれこれ

Q4 「T」(トランスジェンダー)は性自認(本人が認識する性)に関する用語だと知っていますか?

知っている  今知った  よくわからない

返答 どう知っているのか、何を知っているのかと問われたら、返答が難しい部分もあるのですが、ここは「知っている」に〇です。

 

Q5 日本中どこにでもLGBTのクリスチャンがいることを知っていますか?(カムアウト“告白”する/しないに関わらず)

知っている  今知った  そんな人はいないと思う  よくわからない

返答 出会いの中で知っていますので、ここは「知っている」に〇です。

 

Q6 LGBTの人には救いを求めて教会に行ったことがある人が多いことを知っていますか?

知っている  今知った  よくわからない

返答 嘆きや悲しみを抱えて教会の門を叩く人は多いと思います。その中に、LGBTの人もいるのだろうと思います。ただ、LGBTの人が、教会の門を叩いたことで、かえって傷つくことになったケースも多いことだろうと思います。「知っている」に〇です。

 

Q7 聖書を根拠としてLGBTを“良し”としている教会があることを知っていますか?

知っている  今知った  よくわからない

返答 教会がそこに集まるメンバーの入れ替わりがあっても“姿勢や方針”を保ち続けることができるかどうかについては分かりません。今、教会に遣われされている教師や教会員・メンバーが聖書を根拠としてLGBTを“良し”としているなら、その教会はそうなのだろうと思います。浜坂教会の場合は、「浜坂教会がそうである」とまでは言えませんが、アンケートの質問1のQ1でお答えしたように、イエスさんはLGBTの人と対等に接していると理解していますので、私自身はその教えに間違いなく影響を受けていると思います。「知っている」に〇です。

 

Q8 あなたの教会で、LGBTを理解するための学びは必要だと思いますか?

はい  いいえ  よくわからない

返答 「はい」に〇です。

 

Q9 あなたの教会で、同性同士で結婚式はできますか?

1.はい

2.法的に異性カップルであればできる(法的な性別変更が済んでいる)

3.法的な性別変更はしていないが、異性カップルとしてならばできる

4.いいえ

5.わからない

6.その他

返答 教会での結婚式は、神さまの前で二人が誓いを立てるということです。司式者を含めて、参列する人は、結婚しようとする人が誓いを立てようとすることのお手伝いをするようなものだと考えています。聖書には、同性愛を否定する箇所もありますが、あれは家父長制社会の古い話のことであって、イエスさんはユダヤ教の枠を越えて愛を教えられたと受け止めていますし、これまでの質問に返答する中で触れたように医学的な部分での説明もされています。結婚式の司式者は、結婚の許可をする訳ではありません。何ら問題はありません。「1.はい」に〇です。

 

質問2 以下の質問で、はい・いいえ・わからない・その他のいずれかに〇をつけてください。

A)礼拝に参列することができますか?

同性が恋愛対象の人 はい

トランスジェンダー はい

*礼拝は、どなたでも参加できますと言っています。

B)洗礼/バプテスマを受けることができますか?

同性が恋愛対象の人 はい

トランスジェンダー はい

*洗礼/バプテスマは、本人の性的嗜好や性自認以前の問題であると思います。

C)御聖体/聖餐/主の晩餐に与ることができますか?

同性が恋愛対象の人 はい

トランスジェンダー はい

D)自分のセクシャリティを教会で明らかにすることをよしとしますか?

同性が恋愛対象の人 はい

トランスジェンダー はい

*「よしとする」が、積極的にそうしないという意味ではないと思います。魂の叫びであるならば、それを聴くしかないし、その結果も含めて受け止めるしかないものだと思います。

E)牧師/神父に心の内を相談することができますか?

同性が恋愛対象の人 はい

トランスジェンダー はい

*牧師/神父のセクハラ・パワハラ事件は数多くあります。牧師/神父だからといって、聖人でもありませんし、信頼に値するかどうかも分かりません。過度の期待はせず、声をかけてはどうかと思います。

F)礼拝奉仕(聖歌隊・司会・通訳など)の役割を制限されずにできますか?

同性が恋愛対象の人 はい

トランスジェンダー はい

*人それぞれのタラントを用いて奉仕に参加することは、本人の性的嗜好や性自認以前の問題と思います。

 

質問3 以下の質問で、当てはまるものいずれかに〇をつけてください。

G)兄・姉・兄弟・姉妹という呼び方をされたくない人がいます。本人の希望する呼び方に配慮することはできますか?

はい

*兄・姉・兄弟・姉妹という呼び方は、外見で判断するということですから、外見で判断してしまう日常を問い直さないといけないと思います。だいぶ「さん」が定着しつつありますが、たまに兄・姉・兄弟・姉妹の敬称が口に出されることもあります。

H)周りの人が意識している性別とは違う性の服装で礼拝に参加できますか?

はい

*当初は驚かれるかと思いますが、それが出会いでもあると思います。

I)礼拝時に出席者が名簿に記入する教会にお尋ねします。名簿には男性・女性の区別がありますか?

いいえ

*礼拝時に出席者が記入する名簿には男性・女性の区別はありませんが、週報の出席記録には統計のために男性・女性の区別があります。原則として、本人の望む性別で記録しますが、望む性別が分からないというのなら、男女の区別そのものも考え直します。

J)あなたの教会でLGBTの牧師/司祭が聖職者として働くことはできますか?

はい

*教会は、人の集まりですし、地域性もあります。都市の教会もあれば地方の教会もあり、教派や伝統も違います。その上で、浜坂教会は招聘制によって教師を招いています。招聘には様々(働きの内容・謝儀・任期など)な約束があります。そこで、教会と教師が招聘の条件を納得した上で赴任と相成ります。招聘もまた出会いですから、可能性はあると思います。LGBTの教師を指名するという状況ではありません。

 

質問4 お答えくださった回答と、あなたの教会の教会名を「キリストの風」集会のホームページに載せてもよろしいですか?

乗せても良い  乗せないでほしい

*「乗せても良い」に〇です。つか、よく考えたら「キリストの風」さんに断りもなくブログに書いています。「キリストの風」さんもホームページに載せるようですし、自分の書いた部分を自分のブログに書くことの断りは入れなくてもいいでしょう。

 

 これでアンケートは終わりです。真面目に答えたつもりですが、重たい部分もありますので、コメントを省いたりもしています。

 今回、ブログにも書いて残してありますので、また振り返って忘れることのないようにしたいと思います。

 世の中は、聖書の時代から随分と変わりましたが、変わったところもあれば変わっていないところもあります。私自身、昔から変わったところもあれば、変わっていないところもあります。

 その中で、よりハッキリと思うようになったことは、人は支えられながら、受け入れ合いながら生きることが幸せであるということです。それが、イエスさんが教えていることだと受け止めています。だた、私自身が聖書の教えのように生きているかというと・・・、私も弱い人間です。

 色々な出会いの中での失敗を思い起こしながら書きました。

 


「キリストの風」集会からのアンケート 質問1への返答(続き)

2018年08月30日 | 信仰あれこれ

Q3 「LGB」は1994年WHO(世界保健機構)において、「いかなる意味でも治療の対象とはならない」とされたのを知っていますか?

 知っている  今知った  よくわからない

 

返答 WHOが1994年に決めたことの内容については知りませんでした。「知らない」に〇を浸けようと思ったら、「知らない」という項目がありません。「知らない」人が、「知らない」からと答えて終わらないように、「今知った」という項目を設けて学習してもらおうという暖かい思いやりを感じました。

 私は、30年ほど前まで、レズビアンやゲイ、バイセクシュアルの人はわざとやっているのだと思っていました。趣味で、そのようにしたいのだと思っていました。その後、様々な出会いがあり、失敗を重ねながら、学習する機会を得て、「治療の対象ではない」という事実を理解できるようになりました。

 そこで得た理解は、人には遺伝子的な性差(女性ならXX、男性ならXYの染色体を持つ)があるけれども、不思議なことにお母さんのお腹の中の初期段階では、言ってしまえば誰もが女の子だというものでした。そこから、ホルモンの影響によって体も頭も女性に形作られたり、男性に形作られたりするということです。

 詳しいことは、それぞれが学習することが大切かと思いますので、このサイトなどが分かりやすいかと思いますので、リンクを貼っておきます。(←クリックすると、リンク先をご紹介できます。)

 まとめますと、「LGB」は、わざとでもなく、趣味でもなく、人の遺伝私的な誕生から始まって人間へと形作られる過程において形成されるものですので、異性愛(ヘテロ)を基準にして「気持ち悪い」とか云々(うんぬん、「でんでん」ではありません)言ってしまうのは無知から来るのであり、すべて神さまのお考えによって作られた存在と考えて間違いはないと思っています。

 ですから、「いかなる意味でも治療の対象とはならない」のは当然のことで、WHOが言うのも間違いではないと思います。

 よって、WHOが1994年に言ったかどうかという質問なら、「今知った」に〇です。

 


「キリストの風」集会からのアンケート 質問1への返答

2018年08月29日 | 信仰あれこれ

 「キリストの風」集会からのアンケートが届きましたので、返答したいと思います。この集会に属しておられる方で、知り合いがいます。

 話しがそれますが、だいぶ前、知的障がいのある方の「洗礼」についてのアンケートを受けたことがありました。アンケートを送ってこられた方は、知り合いでした。顔の見える関係でもあり、アンケートを通して問われたり、再考させられたり、緊張して返答を書いたことを思い出します。

 ということで、可能な限り丁寧にアンケートに返答したいと思います。

 

質問1 あなたがもっとも近いと思うものに〇をつけてください。

Q1 いつの時代にも、LGBTがいることを知っていますか?

 知っている  知らなかった  そんな人はいないと思う

 

返答 「いつの時代にも」と言うほど知ってはいません。ただ、福音書に「シカルの井戸の女」という物語が記されていて、そこに登場する女性がレズビアンだと気がつき、礼拝でも語らせていただきました。もう、20年以上も前のことです。その頃は、「気持ち悪いからやめて」とオバチャンから言われたりしましたが、今に至るまで語っているのですが、あまり芳しい反応はないような気もします。最近、トランスジェンダーの知人にこの箇所の解釈を問うてみたところ、「そうとしか思えない」との返事をいただきました。(話しがだいぶそれましたが)

 ですから、返答は、「知っている」を〇とさせていただきます。

 

Q2 「LGB」は性指向に関する用語であることを知っていますか?

 知っている  今知った  よくわからない

 

返答 Lは女性同性愛、Gは男性同性愛、Bは両性愛、それらは性指向に関する用語なので、「知っている」を〇とさせていただきます。

 


アンケート

2018年07月17日 | 信仰あれこれ

 手元に、キリストの風集会からのアンケート用紙があります。このアンケートの返信内容については、カテゴリー「信仰あれこれ」に所収することにします。

 アンケートを見ていると、もう10年以上も前のことですが、別件のアンケートのことを思い出します。それは、ある方が大学での研究を進めるために、全国の教会の教師宛に送られたものでした。内容は、「洗礼」に関することで、知的障がいを持つ方の「言葉による信仰告白」についての問いでした。

 一般的に、信仰告白は言葉によるものとされている状況の中、言葉にならない言葉をどう受け止めるのかという事柄であったと思います。記憶が少し薄れていますが、実存がかかった鋭い問いに、汗をかきながら必死に答えたことを思い出します。実存と汗とは、答えた以上、全て自分に跳ね返って来るだろうし、責任をもって答えなければならないと思ったからです。

 あのアンケートから、自分はどのように歩んだのかと振り返ると、アンケートで問われていたような場面に立つことはなかったように思います。偶然そうだったのか、問われていた事柄から逃げていたのか、どうだったのかと思います。

 今回の、キリストの風集会からのアンケートもまた、前回と同じような問いであるように思います。前回は、ブログもやっていませんでしたので、記録に残りませんでしたが、今回は問いと答えについてブログに載せるようにしたいと思います。

 

 

 


「イエスさん」で行こう!

2016年05月23日 | 信仰あれこれ

 私は、気がついたときには教会にいました。クリスチャンホームで生まれ、名前も牧師に頼んで名付けてもらったものです。

 それで、自分がイエス・キリストのことをどう呼んでいたのかを振り返ると、まず「イエスさま」だったと思います。回りの環境がそうでした。それから、「イエス・キリスト」だったでしょうか。そして、「主イエス」で、再び「イエスさま」になったような気がします。

 それぞれの時期に、よく考えて呼び方を決めたのですが、どうも「イエス」とは言えませんでした。何だか、呼び捨てにして、偉そうな気がしたからです。表現は、意思の伝達でもありますので、自分はそんなにご立派な人間ではないので、これからも「イエス」とは言えないでしょう。

 でも、「イエスさま」という呼び名に弊害があると思い始めてきました。それは、相手を(イエスさまのこと)偉い存在のように表現しているので、それを聞いている人(私の言葉を聞いている人)に「イエスさまは偉いんだ」と、無前提に意思を伝えていることになるのではないかと考えるからです。

 自分が尊敬しているから「さま」と言っているのですが、それが決まり言葉になってしまうと、人にも押しつけて伝えてしまうことにならないだろうか、そんなことを考えてしまいます。私が良いと思うことが、他の人にも良いとは限らないものです。

 それで、何を伝えたいのかと考えたとき、誰でも分け隔てなくイエス(あえて「さま」抜き)と人格的(変な表現かもしれませんが)な繋がりを持つことが大切なのではないか、ということです。

 それには、「~さま」と言うと、あまりにも上意下達的な関係になるのではないか、そうではなく対等な関係が良いのではないか、それには「~さん」というのがぴったりだと思うようになりました。信仰者というと、何でも従属してひれ伏していれば良いのではなくて、49%分の自分の責任を負い、51%分をイエスさんに委ねていれば、それで信仰者と呼べるのではないかと思っています。

 私は、イエスさまが私に、「お前は私の子分になれ、命令は絶対だ」とは言わないと考えます。そもそも、教えも全部は守れないし、そうではなく「自分で考えて、自分で責任を取って生きなさい」と言われるのではないかと思います。その気持ちを伝えたいのなら、「イエスさま」ではなく、「イエスさん」が良いのではないかと思いました。

 実は、浜坂教会の牧師をしていました大川先生が、「イエスさん」と言われていたことを思い出し、私もこれから「イエスさま」を改めて、「イエスさん」と言うようにしようと思います。でも、お祈りの最後の言葉は、「イエス・キリストの・・・」と言うことにしたいと思います。

 当分の間は、言葉がごちゃ混ぜになってしまうかもしれませんが、単に呼び名を変えただけというのではなく、伝えたい信仰の部分を伝えられるようでありたいと願っています。