少しばかり先のことですが、9月13日はお隣の香住教会の牧師小林拓哉さんが天に召されて早8年になります。その日を迎える前には、振り返って拓哉さんのことを思い出し、何かを書こうと思っていますが、9月は慌ただしくて書けないことが予想され、また「ホドス」に拓哉さんのことを書こうと思っていましたが、「ホドス」発行も難しくなりましたので、思い立った今のうちに少し書いておくことにします。
小林拓哉さんは、2013年4月に浜坂教会のお隣にある香住教会に赴任されました。私が浜坂教会に赴任したのは、前任の牧師の都合で2013年の8月になりました。4ヶ月早く拓哉さんが赴任されたので、但馬地区での拓哉さんは私の先輩という関係になりました。
そんな拓哉さんは、香住教会が初任地になりますので、私は単純に「色んな事を聞いてくれるんじゃないか」と思って、ワクワクしておりました。しかし、彼は豊岡教会の小林 聖さんにつきっきりで、私の存在など無きも同然で、何だか寂しかったことを思い出します。ただ、小林 聖さんに教えを請うことは、一番理想的なことだと考えていたことを思い出します。
それで、私が何を拓哉さんと話したかったのかと言うと、彼が教会のことで何か困ったことがあれば、私の失敗談とかを話したかったのだと思います。サラブレッドのような拓哉さんに私がしてあげられることと言えば、私の数々の失敗談が参考になればということくらいでした。ただ、それは彼から話しかけてくれなければ切り出せない話題です。結局、そのような会話もできずに彼は天に召されてしまいました。
お隣の教会の牧師が、しかも私よりも若い方が亡くなられたという経験は初めてでしたので、かなりショックを受けたことを思い出します。正直、一時かなり混乱していたのだと思います。時間の経過と共に、段々と周りの状況が理解できるようになり、「こんなことがあったのか」ということにも気がついて、改めてショックを受けたことを思い出します。なぜ、それ程までにショックを受けたのかを考えてみると、自分の経験と重なるところもあったからではないかと思うのです。
拓哉さんは牧師になって5年足らず、30代そこそこで天に召されました。あまりにも若過ぎます。私の失敗談を面白おかしくお伝えする機会もありませんでした。彼から求められてもいないのに、そんな風に考えるのは見当違い、余計なお世話なのでしょうが、自分の中では後悔とやり残したという思いがあります。
明日、6月23日は、「慰霊の日」です。この日は、第二次世界大戦で尊い命や財産が奪われた歴史を踏まえ、二度と再び戦争を繰り返さないように恒久平和を願い、戦没者の鎮魂を祈る日と定められた沖縄県の祝祭日です。この日は、沖縄県でいくつもの集会が開かれ、各地に建てられた慰霊のための塔に集まって花を手向けて祈りを捧げる人の姿が絶えません。
沖縄のことを思い出すと、今でも汗が出ることがあります。だいぶ昔、沖縄の「島差別」について、差別を批判する観点から話題に上げた際、会場から「ヤマトンチューが何を言うか!」と厳しいヤジを浴びたことがありました。差別はいけないという思いを共有したいという願いだったのですが、ヤマトンチューがウチナンチューに説教するとは何事かという声でした。
それで、シュンとして集会を終えたとき、沖縄の若い人たちが数名近づいて来たので、もっと怒られるのかなと思っていたら、「あんまり気にしないで、さっき発言していた人は、ヤマトンチュ-だから」と言われて、私を気遣ってくれたのは嬉しかった反面、さらに複雑な心境になりました。もう、複雑に絡み合って、ごちゃごちゃし過ぎて、虚心坦懐という言葉が宇宙の彼方に行ってしまったような気持ちになったことを思い出します。
あれから30年近くなりますが、沖縄で色々とお世話になった人たちも、今は天に召された方も多くなりましたが、あの複雑でごちゃごちゃに絡み合ったものがほどけているのかと考えると、少なくとも私が目にする範囲では何も変わってなく、言葉の空中戦が昔と変わらず今でも繰り広げられているような気がします。
そんなことを思い出し、また汗をかきながら、結局のところヤマトとウチナーどころか、ヤマトンチュー同士やそもそも隣の人とさえ理解し合えているのかと自問自答しなければならないような現在の状況ではないのかと思わされています。この行き着く先が、どんな未来になるのかを一人ひとりが想像してみてはどうでしょうか。きっと、あまりにも良くないものしか見えないのではないかと思う今日この頃です。
明日6月15日(日)の礼拝は、お休みします。次回の礼拝は、6月22日(日)になります。
イスラエルがイランを攻撃し、反撃の応酬が続いています。気に入らなければ、法も関係ない、ただ殺すだけというのは、もはや文明人のすることではありません。戦争が急に起こることはありません。急に起こったかのように感じるとしたら、知識や認識が足らないからでしょう。なぜ自分はそう考えてしまうのかを振り返り、改善策を講じないと、いつまで経っても霧の中を歩いているようなものです。
スポーツ競技でも、準備もせずにいきなり試合に臨むことなどあり得ません。まず体力作りをし、技を磨き、練習試合によって実戦経験を重ね、それから試合に臨むものです。試験に臨むにしても、日頃の勉強の積み重ねがあってこそ、良い成績を収めることができるというものです。戦争もまた同じで、一つの作戦を実行するためには、訓練を重ね、武器の準備と配置、戦闘継続のための兵站も整え、それらが円滑に機能するための作戦が必要で、事前準備に何年もかかるそうです。何事も、急に行うことなどできません。
考えてみれば、日本もまた西南諸島にミサイルを配備して来ました。兵員を輸送するオスプレイも配備されました。中国包囲網のための同盟関係にも加入しました。時間を掛けて、着実に準備を進め、さてこれから何が起こるのか想像できないのだとしたら、知識不足や認識不足といった言葉意外にどう言えば良いのでしょうか。この知識不足や認識不足は、単なる怠慢というより、気づかれないように目を背けさせられ、騙されて来た結果です。人のことをとやかく言うのではなく、まずは自分自身に当てはまることについて考えている今日この頃です。