「成し遂げられた」 ヨハネによる福音書 19章28~30節
イエスさんは、弟子たちに裏切られ、人々から嘲笑され、侮辱を受けられ鞭打たれ、十字架刑の宣告を受けました。刑場まで十字架を担がされ、疲労困憊し、手と足を釘で打たれ、激痛を覚えました。今にも気を失いそうになる程の痛みは、私たちの罪の贖いのために受けられた痛みでした。そうして、全てのことが成し遂げられたのを知り、十字架の上で「渇く」と言いました。「渇く」とは、十字架にはりつけられ、苦しみ悶えた末の自然な言葉なのです。
十字架の近くには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてありました。人々は、この酸いぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの枝に付け、イエスの口元に近づけました。この酸いぶどう酒は、アルコールによって少しでも痛みを和らげようとするものではありません。その強烈な酸味によって、激痛のあまり気を失ってしまわないように無理やり目を覚まさせ、できるだけ長く痛みを感じさせるためのものでした。イエスさんは、その酸いぶどう酒を口にされました。それは、十字架での痛みや苦しみを余すことなく受け切るためでした。それが、「成し遂げられた」という意味なのです。