融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2019年06月29日 | 礼拝のご案内

 明日6月30日(日)は、主日礼拝です。午前9時から教会学校、午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは、「急がば回れ」です。讃美歌は、「神の霊よ、今くだり」、「聖霊よ、降りて」、「来たれ聖霊よ」です。礼拝後には、祈りの一時、会堂清掃、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。

 今週は、ホドスの作成に取りかかりました。原稿がそろっていたら、一週間で何とか完成できるだろうと思いましたが、まだ原稿が全員そろっていませんので、完成することができませんでした。6月中はムリでも7月上旬には完成できると思います。約2年ぶりのホドス発行となります。前回の第14号から少し間が空いたかなと思っています。

 今日は、鳥取に少し厚めの紙を買いに行きました。これまで、B4に印刷して、二つ折りにしていましたが、折るのに手間がかかるし紙の厚さが倍になってしまいます。また、湿度の関係かコピー機が詰まったり、出来上がりにシワが入ってしまうことが多いので、B5の少し厚めの紙に両面印刷することにしました。これで、折るという作業が省略できて、省力化できると思います。表紙は、更に厚めのB4の用紙を二つ折りにして使います。これを機に、写真もカラー化します。

 ところで、最近、お米が惜しいので食べ過ぎたり、机に張り付くばかりでストレスが多いのか、茶菓子ばっかり食べていたら少しお腹が出て苦しくなっています。自分一人の身体ではありませんので、反省して健康に気をつけたいと思います。

 


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令和あれこれ その4

2019年06月29日 | 日記

 元号が令和に変わり、具体的に国民に寄り添うためにと令和新選組が発足しました。そして、一般の個人から献金を募り、小さな額の献金が集められ、ついに2億円を突破して3億円に向かっているとのことです。私も三千円ですが、れいわ新選組に献金しました。初めての政治献金というやつです。何か、具体的な取り組みをしてくれる期待があったからです。

 そうして、順調に献金も集まったようで、候補者が立てられました。一人目は、蓮池さんでした。いつまで経っても1ミリも進まない拉致の問題に、当時者として取り組まれることを期待してます。また蓮池さんは、長い間、福島原子力発電所で働いた経験があり、それらも生かして欲しいと思います。

 

れいわ新選組代表 山本太郎 公認候補予定者 蓮池透 街頭演説 2019年6月2日 新潟駅万代口前

 

 二人目は、「俺のスカート、どこいった」みたいな先生、やすとみさんという人です。この先生は、政治や経済の研究者で、政治の闇の問題を暴こうとする中で暗殺された石井紘基議員の視点も持っておられるようです。よく、政治の改革が叫ばれていますが、政治の闇の部分をそのままにして、何が改革なのかと思ったりします。やすとみさんも、大いに期待しています。

 

東大教授の安冨歩氏、「れいわ新選組」から参院選出馬を表明(2019年6月27日)

 

 そして、三人目は、木村さんという方で、当事者として障がい者に対する政策の問題に取り組もうとされています。我が身の命を削って立候補されようとしています。山本太郎さんは、よく木村さんを見つけてこられたと思います。健常者の集まりが議員だと思うのが当たり前になってしまっている中で、障がい者差別の問題が取り上げられる訳がないと思います。

 

 

 これら3人の候補者の方々は、それぞれが当事者として具体的な政治課題を掲げているように思います。アイドルとかタレントとか、単なる知名度があるというだけで議員になっても、何かが変わるという期待もありません。むしろ、れいわ新選組の候補者を選べば、具体的に仕事をしてくれて、課題や問題が前進するような気がします。これからも、当事者性をもった驚くべき候補者を擁立して欲しいと思います。

 疑う人もいるだろうと思います。これまでと同じだと思う人もいるだろうと思います。けれども、ベテランや二世・三世議員、はたまたアイドルを選び続けたら、これまでと違うことになるのでしょうか。それだったら、当事者として高い志を持った人を選んでみてはどうかと思わされています。れいわ新選組の山本太郎さんは、有言実行していると思います。

 選挙とは、勝ったとか負けたとか、支持政党や候補者を当選させるための運動と思わされて来たのではないかと思います。だから、選挙が終われば燃え尽きて興味がなくなってしまったり、当選後に選挙公約を破られる始末になるのではないでしょうか。たかだか、その程度のものなら、私たちの一票は軽いと言わざるをません。

 そうではなくて、選挙は、政治や生活を変えるものであるとの考えをもって、この候補者を国会に送り出しさえしたら、政治が生活が変わると思えさえすれば、私たちの一票は重いものに感じられるし、投票行動が意義深く感じるようになるというものです。選挙は、面倒くさいものでもなければ、選挙の当日に遊びたいから期日前で済ますというのでもなく、その日がワクワク楽しいものでありたいと思います。

 後は、前川さんなら教育の問題はもちろんのこと、モリカケ問題も解決してくれるかな。あと、望月さんなら、政府に乗っ取られたメディアを国民の元に返してくれるかな、これから発表される候補者も楽しみになって来ました。

*画像はクリックすることで、記事をご紹介できます。

 

 


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「好意を寄せられる」

2019年06月28日 | 聖書のお話

「好意を寄せられる」 使徒言行録 2章43~47節

 私たちの生活は、労働によって対価を得て、それを消費に回すことによって成り立っているところがあります。新しく教会を設立するときも、その教会が自給・自立できるかが問われたりもします。教会の自給・自立とは、教会員の数がある程度いて、献金によって教会の働き(伝道、会堂維持、教師に対する謝儀)を回していけるのかということだろうと思います。

 一方で、ペンテコステの出来事は、世界中のどこであっても福音を宣べ伝えなさいというものでした。それは、自給・自立できるかどうかが前提になっていないと思われます。もし、暗黙の了解として自給・自立できるかどうかが問われているのだとしたら、都市部などの限定された場所のことを「世界中」と考えるという、おかしなことになってしまいます。

 初期の教会は、持ち物を共有したり、それぞれの財産を処分しては持ち寄り、それらを必要に応じて皆で用い、毎日祈ったり、食事を伴う集会を度々開いていたと伝えられています。もしかして、労働して献金を捧げる人たちよりも、捧げることが少ない人たちの方が多かったのかも知れません。それを見た民衆の人たちが、分かち合いによって成り立っている教会の人たちに好意を寄せたことが伝えられています。全てが自己責任と言われる世の中で、希望と可能性を感じる出来事ではないかと思います。

 


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おしどりマコさん、出馬!

2019年06月27日 | 日記

 田中龍作ジャーナルさんのサイトのご紹介です。画像をクリックすると、ご紹介できます。

 サイトの本文を読んでくだされば経緯が理解できると思います。田中龍作さんの文章の最後にありますように、おしどりマコさんが当選すれば、原発事故に一番詳しい国会議員が誕生することになるでしょう。それは、これから長い年月をかけて原発の後始末に追われることになる日本にとって、とても重要なことになるだろうと思います。

 それと、どうしてもご紹介したかったのが、田中龍作ジャーナルさんのサイトへのご寄付のお願いです。一番下の画像にありますように、

  「れいわに500円、龍作にも500円。
   れいわに1000円、龍作には500円。
   れいわに10,000円、龍作には500円でいいんです!

   『田中龍作ジャーナル』を皆様のお力で支えて下さい。

 この控えめなフレーズにぐっと来ました。よろしければ、ご寄付をお願いいたします。

 

 


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成長するために

2019年06月26日 | 日記

 DNAや細胞が複製されて二倍になるように、人も成長し続けるためには「相手」の存在と影響力が大きいように思います。複製するのは「相手」であり、「相手」を含んだ新しい自分に成長するというイメージです。そんな友達やパートナーがいてくれたら、心の豊かな人間へと成長できるような気がします。

 そんな「相手」とすれ違うこともあるだろうと思います。それでも「関係」がすれ違ったままでは成長できないのかというと、必ずしもそうではないと思います。「関係」が良好な場合は、一見すると順調そうに成長しているように見えるだけで、たとえ「関係」が悪くても、それは試練という人間を成長させるためのボーナスが与えられているようなものだと思います。

 振り返ると、こんな風に考えることができるようになった自分は、少しは成長できたのかも知れません。自分を成長させてくださったのは、これまで歴任して失敗を繰り返してきた教会の数々だったことと思いますし、そこで出会った信徒の方々のおかげであったと思います。感謝に堪えません。そして、自分のささやかな経験であっても、それを真面目に若い人たちへと伝えることも、私の新しい使命の一つだと思うようになったこの頃です。

 新しいことと言えば、写真を趣味にしています。思えば、子どもが生まれた頃からたくさん写真を撮り続けているのですが、その頃は、カメラの性能とか撮影技術とか何も知らず、ただシャッターを押しまくってデジタルの記録を残すだけだったように思います。その代わり、今見直してみても、カメラの向こうに写っている被写体との心の通じ合いとか、関係が滲み出てくるような素敵な写真が多かったように思います。

 単に懐かしいからそう思うのかも知れませんが、カメラの性能とか撮影技術とかに無頓着だった分、被写体との心の通じ合いが全てであり、それが何よりも楽しかったのだと思います。ところが今は、カメラに詳しくもなり、撮影技術にも精通するようになりました。それはそれで進歩なのですが、今度はカメラや撮影の技術に思いが至る分、被写体と向き合うことや心の通じ合いが薄くなっているような気がして、これではイカンと思っています。

 もしかすると、所謂「カベ」にぶつかっているのかも知れません。今一度、写真とは何かという課題に向き合い、このカベを乗り越えることができたとしたならば、もっと充実感を覚えることができるのかも知れないと思うと、何だか希望が感じられます。このカベを乗り越えることができなければ成長がない、そう思うと途中で投げずに、何とか歯を食いしばって続けることができればと願うこの頃です。

 


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