融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2020年03月28日 | 礼拝のご案内

 明日は、礼拝です。午前9時から教会学校、午前10時30分から礼拝があります。メッセージの題は「自分の命と永遠の命」、讃美歌は「主よ、いのちのパンをさき」、「十字架のもとに」、「うつりゆく世にも」です。礼拝後には、祈りの一時、会堂清掃、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。とは言え、新型コロナウイルスのこともありますので、少しでも体調不良を感じたらお休みください。

 オリンピックの延期が公式に発表された途端、あちこちで新型コロナウイルスの感染者が激増し、自粛とか封鎖とかの騒ぎとなりました。分かりきっていたことですが、実際にその現実を目の当たりにすると、日本もここまでメッキが剥がれたかという気がして、残念な思いがします。同時に、この後のことを想像すると、暗澹とした気分になって来ます。

 歴史的は繰り返すではありませんが、世界が大混乱するとき、新しい仕組みに移行する転換点になったりするようです。この4月から、自分のパソコンでゆうちょ銀行の預金操作ができるようになりますが、昨今取りだたされているデジタル通貨へと移行するための布石の一つなのでしょうか。

 現物を介さない、人とさえ接しない、仮想空間でデーターのみのお金のやり取りができるようになれば、お金のやり取りにプライバシーもへったくれもなくなってしまうのと同時に、銀行で働いている人も仕事を失ってしまうのではないかと心配になりつつも、ゆうちょ銀行で手続きをして来ました。複雑な心境です。

 


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「陰謀が渦巻く中で」

2020年03月27日 | 聖書のお話

「陰謀が渦巻く中で」 ヨハネによる福音書 12章1~8節

 過越祭の六日前に、イエスさんはベタニアで食事の席に着いていました。そこには、イエスさんによって蘇らされたラザロ、マルタとマリア、そして弟子たちを含む人々がいました。その時、マリアが純粋で高価なナルドの香油を持ってきて、イエスさんの足に塗り、自分の髪の毛でその足を拭いました。そのため、家は香油の香りで一杯になりました。

 この物語は、イエスさんによって蘇らされたラザロが食事の席にいることから、ユダヤ教ではなくキリスト者として新しい命を得たことの喜びを表すものではないかと思います。マリアがイエスさんの足に香油を塗り、自分の髪の毛で拭う行為もまた、僕のようにイエスさんに仕える姿勢と、自らの頭から「キリストの香り」を人々に伝えることの決意を表しているように思います。

 後にイエスさんを裏切るイスカリオテのユダは、ユダヤ教の教えに基づいて香油を貧しい人のために売って施すべきだと主張しました。しかし、お金をごまかすようなユダは、人を愛するのではなく、その施しは偽善のためであり、利権のためでもあったのではないでしょうか。そして、やがてはイエスさんを殺そうとする陰謀へと結びつく思考として伝えられているように思われます。

 


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明日は礼拝です

2020年03月21日 | 礼拝のご案内

 明日は、礼拝です。午前9時から教会学校、午前10時30分から礼拝があります。メッセージの題は「陰謀が渦巻く中で」、讃美歌は「主よ、いのちのパンをさき」、「十字架のもとに」、「うつりゆく世にも」です。礼拝後には、祈りの一時、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。

 教会暦では、レント(受難節)の期間を過ごしています。イエスさんは、為政者の陰謀によって十字架に磔にされるのですが、それが罪の赦しの始まりになるなんて、何とも複雑な心境です。個人の罪ならいざ知らず、為政者の悪巧みが許されるのだとしたら、なんぼでも悪いことのし放題になってしまうと思います。そんなことをあれこれと考えながら、このレントの期間を過ごしています。

 コロナウイルスによる新型肺炎も、日に日に状況が悪化してしているように思われます。様々な忖度がなされていますので、被害は過少申告されていると思われます。現実は、もっと酷い状況にあると思った方がよさそうです。教会学校や礼拝も、少しでも体調に異常を感じられたり、この状況で不安を感じられたなら、遠慮なくお休みしてください。祈ることは、どこででもできます。その祈りが届くと信じ、集えなくても互いを信頼できるようでありたいと思います。

 


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「委ねる思いが人を助ける」

2020年03月21日 | 聖書のお話

「委ねる思いが人を助ける」 ヨハネによる福音書 6章60~65節

 イエスさんは、自分のことを「天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるなら、その人は永遠に生きる。」と言いました。人間の思いに囚われたユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と訝しがりました。さらにイエスさんは、「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。」と言いました。すると、弟子たちの多くの者も「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」と呟きました。

 一方でイエスさんは「命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」とも言いました。実際の肉や血の飲み食いではなく、イエスさんの教える言葉が霊であり命なのだから、それを守りなさいと教えられているのだと思います。けれども、人間の思いに囚われたとき、弟子たちでさえイエスさんの教えを守れず、裏切る者もいるのが現実です。霊である神さまに全てを委ねる思いをもって生きることが、人を助け、救いに至らせる道であるように思います。

 

*人様の犬さんです。撮影のご協力、ありがとうございます。


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要するに、読解力が足らなかったということですか

2020年03月21日 | 日記

 要するに、読解力が足らなかったということですか。恥を晒しましたね。その後の対応も見苦しいです。メディアの関係の方々も、指摘してあげたら良かったのに。聞く耳も持たないだろうから、仕方ないか。あまりにも程度が低過ぎると、笑うに笑えなくなってしまいます。程度の高い人が大事にされる世の中であって欲しいですね。つくづくそう思います。私も気をつけよう。

 


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