「平和があるように」 ヨハネによる福音書 20章19~31節
弟子たちは、ユダヤ人を恐れて自分たちのいる家の戸に鍵を掛けてじっとしていました。すると、そこへイエスさんが現れて真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言い、手とわき腹の傷を見せました。そして、再び「あなたがたに平和があるように」と繰り返し言い、恐れて家の中に閉じこもっている弟子たちに「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」と言って息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」と命じました。
イエスさんは、恐怖に怯えて弱り果て、家の中に閉じこもっている弟子たちに対して、“罪を赦す”という到底できそうにないほどの大きな課題を示しました。弟子たちは、ユダヤ人を恐れて外出もできないでいました。それは、言い換えるとイエスさんを殺したユダヤ人の罪に対する恐れなのです。イエスさんは、弟子たちが恐れを捨て去り、家から出て宣教を続けて行くには、イエスさんを殺したユダヤ人の罪さえ赦すという思いが必要であると教えました。そのような思いを持たないならば、いつまでも恐怖に縛り付けられて、平和になることなどできないと教えられているように思います。