本日、但馬地区2.11信教の自由を守る集会が豊岡市民会館にて行われました。講師は、教区書記の加藤俊英さんでした。内容は、日本基督教団成立の歴史について学び、現代の情勢を考えてみるというものでした。
日本基督教団は、1940年4月1日に施行された「宗教団体法」により、プロテスタントのキリスト教諸派が合同して一つの教団になったものです。宗教団体法は、治安維持法、不敬罪とならぶ当時の弾圧法、統制法でした。それは、時の宗教団体が戦時体制下に組み込まれたことを意味していました。戦時中の日本基督教団は、全国から献金を集め、海軍に2機、陸軍に2機の戦闘機を献納したりもしました。「今、思うと」なのですが、教会が戦闘機を献納するなんて、「ええっ!」と思ったりします。けれども、当時、大勢の牧師や信徒が検挙され、獄中で亡くなった方もおられましたので、萎縮したり、時代の波に逆らえなかったのではないかと思います。
しかし、これも立場が違ったら、「国策に協力してどこがおかしい」ということになるだろうと思います。立場が違えば、受け止め方も違うのですから。それは、今の時代も変わっていないように思います。現代も、かつての時代と同じような雰囲気があるように感じます。政府開発援助(ODA)が他国軍への支援ができることを閣議決定したというニュース(←クリックするとニュース記事にジャンプします)がありました。法律は、改正だろうが改悪だろうが、時間が経つと変わるものです。特定秘密保護法も、憲法も変わる可能性をもっています。
「歴史は繰り返す」と言われたり、大げさに言わなくても同じことを繰り返してしまうというのは、過去に学んでこなかったということではないかと思います。それぞれの立場は、確かにあります。そのままだから、同じ過ちを繰り返してしまうのではないかと思います。立場に違いがあっても、それぞれの思いを突き合わせ、新しい思いを共有することによって、同じ過ちを繰り返さない新しい思いへと繋がるのではないかと思います。
ついつい青臭いことを言ってしまいますが、日本基督教団の内部でさえ、それぞれの立場の者がいるのに、立場の違いを突き合わせ、同じ過ちを繰り返すことのない、新しい思いを共有できているかと問われば、できていないように思ったりもします。しかし、同じ思いのまま、ひたすら突き進んでしまうと、あのバベルの塔の物語のようになってしまうのではないでしょうか。困難な課題ですが、違いを乗り越えて対話しなければ新しい思いを共有することなどできないのかもしれません。でも、以外に簡単なのかもしれません。それは、それぞれの立場を捨てて、キリストの愛の奉仕者として、原点に立ち帰るだけのことなのかもしれません。あー青臭い。そんなことを思わされました。