「浜大根の花が咲いていた」 マタイによる福音書 6章25~34節
人は、自分で自分の顔を直接見ることができません。後頭部など、自分で見ようとしても絶対無理です。そのことは、人というものが、自分のことを自分で見ることができず、自分が正しいのかどうか、自分では判断することができないということを表しているように思います。だから、自分のことを判断するためには、他のことを見て判断するしかないのです。「人の振り見て我が振り直せ」なのです。
イエスさまは、自分の(命や体の)ことで思い煩っている人に向かって、「空の鳥を見なさい」と言われました。それは、自分以外のものに目を向けることによって、自分自身のことを考えてみなさいという教えでした。空の鳥が神さまに養われていることを見て、人もまた神さまに養われていることに気づくためでした。また、イエスさまは「野の花がどのように育つのか注意して見なさい」と言われました。それは、神さまが弱い人間を美しく装い、愛してくださっていることに気づくためでした。
浜坂では、春に浜大根の花が綺麗に咲きます。やがて種がこぼれ、また来年綺麗な花を咲かせます。浜大根の花がどのように育つのか注意して見ると、地方の小さな教会が忍耐強く御言葉の種を蒔き続ける様子と似ていることに気がつきます。浜坂教会も、浜大根のように忍耐強く御言葉の種を蒔き続けるようでありたいと思います。その種とは、「神の国と神の義を求めなさい」という御言葉です。神の国とは、愛に基づくコミュニティーのことです。神の義とは、神さまだけを正しい存在として偉ぶることなく、互いに助け合い、仕え合うことです。そのような御言葉を証できる一人ひとりでありたいと思います。