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月齢進行表

~aki's diary~

学びの先にあるもの

2012-09-18 17:02:21 | 仕事

今日も楽しくセミナー講師の仕事させて頂きました。


私のセミナーは「楽しく・わかりやすく・やる気になる」を信条にしています。
そのためには、私が楽しみつつ やる気で向かっていかねばと思っているので、毎度全力投球です。
これで私だけが楽しんで、受講生さんが楽しくなかったりすると最悪なんですが、ありがたいことに「楽しかったです」「元気になりました」という感想をいただけるので、まずまず狙ったところに落とし込めているのかと思います。


今日の受講生さんに「先生でもまだ勉強することなんてあるんですか?」と尋ねられました。
当然ですよ。毎日勉強だらけです。
どこまでやっても「完璧」なんてあり得ないんですから。


ふと思い出したんですが、20代の前半の頃、調理師やパティシエをしていた頃に、周囲から何度も独立を勧められたことがありました。
真面目に料理や製菓のことを勉強してたし、書店にはない業界紙や専門誌を取り寄せて読んだりして、興味関心も人一倍。
でも、独立することには違和感がありました。
若いとかそういうことじゃなくて。
口では「いや、まだまだ勉強が足りませんから」なんて言っていたけど、理由はそれだけではなく、何かしら踏ん切りがつかない自分がいました。


今は、こう思います。
「学び」の先にあるものを、あの頃は勘違いしていたからじゃないかと。
何のために勉強するのかと言ったら、知識や技術で武装して他人に負けないためだったり、すごい人だと思われたいためだったり、多分「自分」しか視野になかったように思います。
でも、「学び」って自分のためだけじゃないんですよね。
仕事に関わる学びであれば特に、それは利害関係のある全ての人にとって「好影響」であるものでないと。
学びの先に顧客が見えているか見えていないか、その違いなんじゃないかと今は思っています。


例えば、私が学びを深めることによって、セミナーの内容が難しくなったり わかりにくくなったりするのであれば、それは本末転倒。
自分の知識をひけらかすだけのセミナーなら、やらない方がいい。
私の学びの難易度が上がるほど、受講生にとっては「わかりやすい」につながっていないと。
そういう視点は、昔の自分には なかったなぁ、と思います。
若い頃に飲食で独立してたら、確実に店を潰してたでしょうね。


今日も、心地よい疲れ具合で仕事を終えました。
明日も こんな気持ちになれるよう、全力で頑張ります。



今夜は新月から2日目、三日月の夜。
残念ながら、空は厚い雲が広がっていますが、満ちる月の時期は吸収力が高まるので「学び」には最適の時期。
人前でアウトプットすることが多い仕事だから、意識的に吸収しなきゃなぁ。


次の満月まで、あと12日。


美しいということ

2012-09-17 23:54:06 | 日記・エッセイ・コラム

Hidatakayama_muse
今日は飛騨高山美術館に行ってきました。


美術館が好きです。
企画展とか特別展示に興味がない限り行かないくせに、行くと常設展も含めて その空間ごと好きだなぁ、と思います。


美術館に行くと、いつも思うことがあります。
「美」って、何だろう?


例えば、飛騨高山美術館の常設展にあるエミール・ガレは、蜻蛉をモチーフにした作品を数々生んでいるけれど、自分自身 子供の頃から今まで、現実のトンボって美術品になるほど美しい昆虫だと思ったことがない。
ドーム兄弟の作品に模された昆虫も、解説には「蝶」と書かれているけど、どっからどう見たって蛾だし…。
その他、大好きなサルバドール・ダリの絵も どこかグロいし、ピカソはアンバランスだし、トゥールーズ・ロートレックは飄々として世の中を斜に見てるし。


でも、美しいと思う。
それら全て、美しいと思う。


一体、何が美しいんだろう?


初めて作詞をしようと思ったとき、邦楽で「ラブソングの教祖」と言われるライターの歌詞を色々分析研究したことがありました。
結果 分ったことは、題材(シチュエーション)は決して特別なものではないということ。
むしろ、誰にでもある日常。
でも その日常を、さも特別なことのように表現している。


日常が特別になるって、どういうことなんだろう?
多分それって、自分が体験したことや感じたものを、まるごと受入れて大切にしているってことじゃないんだろうかと思います。
本当は、他の誰もが同じような体験をしているかもしれないけど、他人が体験したかどうかなんてことは関係なくて、その体験を自分がどう感じたかってことを主軸にしているんじゃないかと思います。


そうやって思うと、何が美しいかっていったら、どれくらい自分の感性を信じることができたのか、ってことなのかと思います。
売れるとか売れないとか、世間に賞賛されるとかされないとか、そういうものを超えて、自分がいいと思ったものを最後まで信じ抜けることが「美」なのかもしれないなぁ。
そういう「気」が、美術館には満ち溢れているのかもしれないなぁ。
と、わかったような、わかってないような…
そんな今日でした。



今晩から3日間、泊まりがけの出張です。
8月の「怒濤の出張月間」の番外編みたいな出張。(笑)
この後はしばらく泊りの出張はなし。
ホッとしたような、残念なような…
いやいや、どこで仕事をしても ちゃんと平均点以上取れるように頑張ります。
この出張も、それ以降も。
日常も「特別」ですから。



月は昨日に新月を迎え、今日は二日月。
次の満月は「中秋の名月」なんだなぁ。


Will × Must × Can

2012-09-15 16:23:59 | 仕事

昨日の続きみたいな話。


独立する直前までお世話になっていた会社はリクルートでした。
契約社員として3年半ほど所属しましたが、この会社から教えてもらったことは本当にたくさんあって、この3年半のおかげで独立のきっかけが出来たし、今フリーランスでやっていられるのも、この会社で素地を作ってもらったおかげだと思っています。


4半期に1回、上司と面談をする機会があったのですが、いつも繰り返し言われていたことが
「オマエのやりたいこと(Will)と組織ミッション(Must)とオマエの出来ること(Can)の三つの輪が重なった所が、オマエの仕事の最重要項目だ」
でした。
Willだけで仕事をするとワガママになる。
Canだけで仕事をすると成長がない。
Mustだけで仕事をすると心が枯れる。
三つが重なった項目で きっちり実績上げていったら、オマエもHappyだし組織としてもHappyだ。
うまいこと言うなぁ、と思っていました。


私が独立を決めたきっかけも、このWill × Must × Can にありました。


キャリア支援と言っても幅が広い。
学生の就職支援、若年者の転職支援、中高年の再就職支援、女性のキャリア支援、障害者支援、ニートの社会復帰支援、企業内キャリアの支援…
数あるキャリア支援の中で、どの分野に関わるかは、組織にいる限り組織ミッションで決まる。
中高年の再就職支援をミッションにしている組織で、企業内キャリア分野の人材育成をやりたいと思っても、それはWillであってMustにはかすりもしない。
複数の分野に「Will」を持っているのに、どうやって絞り込めばいいんだろう?と考えていた時、どの分野のキャリア支援も、社会的には「Must」なんだということに気付きました。


「ならば、組織に雇われるのではなく社会に雇われる人間になろう」


そんな風に思ったことが、独立を迷っていた自分の背中を押したような記憶があります。
Will = Must にする方法、それがフリーランスでした。


とはいえ、その頃は学生から35歳以下の「若年者就職支援」しか経験がなかったので、Canが圧倒的に少ない。
いずれ企業内研修をやりたいと思っていたので、読む新聞を日経新聞に変えたり、ビジネス書を読んだりしながら まずは知識の部分を補完して、求人情報サイトの取材の仕事をして様々な企業の採用課題や育成についてインタビューする機会を得て、周囲の人に「企業内研修の仕事をしたい」と広報しまくって…。
独立から3年目くらいから、少しずつ企業内研修の仕事を頂けるようになってきました。


Will = Must にした瞬間から、Canを広げていくモチベーション(成長欲求)も飛躍的に高くなるなぁ、と思います。
まだまだ勉強も経験も不足してますけどね。


就職支援の仕事を全く捨てるつもりはありません。
なんだかんだで この分野、もう8年やってますからね。
これはこれでキープで。
それにプラスして企業内人材育成の分野を持つことができたら、Will × Must × Can の重なる部分が大きくなる。
それを目指したいと思っているところです。
ええ、基本的に欲張りなもんですから。


と、2日間 割とまじめに仕事のことを語ってみました。
たまにはこういう話題に触れておかないと、私の仕事は音楽だと思っている方が多いようなので…
えーと、音楽でメシは食ってません。
食えるほどの技量もないしね~
お金もらうんじゃなくて、お金払ってやってます。(笑)



9月は今日で折り返し。
月齢は明日が新しいスタート。
明日は新月。


Willからのスタート

2012-09-14 23:10:50 | 仕事

10月から週に1日、大学1年生を対象にしたキャリアの授業を受け持つことになりました。
今日は一日、その授業を担当する講師陣のための勉強会でした。
色々と有意義な内容がありましたが、その中のひとつ「Willからスタートする」という話が興味深かったです。


目標を達成するプロセスの中で、私たちは行動習慣を身につけていきます。
例えばそれが「Will」(こうなりたい)という思いから始まった場合。


歌がうまくなりたい(Will)→そのためには練習しなきゃ(Must)→バンド練習の他に個人練習もやろう(Action)→個人練習の習慣化(Habit)
つまり、Willから始まるとHabitは主体的になりやすい。


では、「Will」ではなく「Must」から始まると?
指示命令や成り行きなどで役割が発生した(Must)→あまり気が進まないけどやらなきゃなぁ(Action)→命令には従うもの(Habit)
つまり、Mustで始まるとHabitは「やらされ感」になりやすい。


だから、ポジティブな行動習慣を身につけるには「Will」から始めるのがいい、というわけです。


なるほど、確かにそういう心理の働きはあると思いました。
「こうなりたい」という思いのある人は自分で目標設定ができるし、達成のプロセスにおいてもハンパない集中力を発揮するし、成長も早い。
何よりも「これは自分で選択したことだから」という意識があるので、自己責任において適当に投げ出したりすることが極めて少ない。


誰かに「やれ」と言われてやってるという意識の人は、与えられたミッション以上のものを目指そうとは思わないだろうし、目標達成のプロセスで辛いことがあったら、それに耐える理由が見つからず、あっさり諦めることも多い。


きっかけは何であれ、目標を達成する過程や達成した時に確実に人は成長するということを実感して、そこを自分の意志で目指せるようになることが大切なんだけど、それはやっぱり「Must」から始まることより「Will」から始まることからの方が理解しやすい、ということなんだと思います。


大学1年生だったら「Will」を見つけて、どうやったら「なりたい自分になれるか」を考えるのがいいと思います。
でも、ある程度社会人経験のある大人の場合はどうだろう?
きっと、Mustから始まったことでも、そこから自分なりの「Will」を見つけ出していくことが求められるんだろうなぁ。
「◯◯をやってくれ」というミッションを受けた時、それをやって自分は何が変わるのか、どんな成長ができそうなのかをイメージして、ミッションとしての目標にプラスして、自分個人の目標が設定できる。
それが出来れば指示待ち人間にはならないだろうし、どんなことでも自分の成長のステップに変えることができる。
そういうことなんだろうなぁ、と思いました。


そういう講座を受け持つ講師をやる以上、私自身が いつどんな時も「自分なりのWill」を見つけて走り出せる人間じゃなきゃ、全然説得力ないよなぁ…。
これを機会に、より一層の精進をします。f(_ _;




ここ1週間くらい、ベランダでまったりするのが生活習慣になりつつあります。
今も、ベランダに椅子を持ち出して、膝の上でノートPC広げてblog更新中。
生憎の天気で月も星も見えないけど、外の風に当たってるだけで気持ちいい。
色々なことから解き放たれて行くような気分。
いいなぁ、この感じ。
一日の終わりに、こういう時間が持てることに感謝。


次の新月まで、あと2日。


naked

2012-09-12 21:54:37 | 日記・エッセイ・コラム

相手からの問いかけに答えようとしたり、
相手に理解されようとして、
自分のことを一生懸命に説明する。


そんなコミュニケーションのストロークを重ねて、
何度も「なぜ?」の問いかけに答えるために考えていると、
急に、今まで気付かなかった自分の一面に気付いたりする。


そうやって「思考」はいつの間にか、
相手に答えるための思考なのか、
自分を理解するための思考なのか、
その境界線がわからなくなってくる。
わかって欲しいと思う気持ちが、
逆に自分で自分をわかるきっかけになる。


心理学の学者が理論で発表していることなんだろうけど、
実際に自分でそれを体験すると、心地よさと心地悪さが入り交じった
不思議な気分になる。


コミュニケーションを通して自分を見つめ直す作業をしていると、
嫌な自分や、我が儘な自分や、今までとは矛盾した自分が晒されてきて、
戸惑ったり、自己嫌悪になったりするんだけど、
「それが本当の自分なんだ」と受入れるしかないんだろうな、と思う。
でも、そうやってダメな自分を受入れると、
その後に出て来る答えは、どんどんシンプルになっていく。
シンプルになるというか、素の自分になっていくというか…。



【naked】
~ 裸の、おおいのない、むきだしの、無防備の ~
そんな風に訳される単語。
ああ、今、ちょうどそんな感じだなぁ。


でも、悪くないと思う。
そういう自分も、悪くない。
表面的には、波風立ってるけど、
素の自分に気付いて、それを受入れることができると、
自分の中の深い部分は、表面の波風に影響されなくなる。
大きな波の立った海も、深い所では静かで穏やかだったりする、
なんか、そういう状態に似てる気がする。
そういうのって、悪くないと思う。



ちなみに、「naked of ~」ていう連語になると
『~が欠けていて』という意味になるらしい。
ああ、やっぱり今の私はnakedだ。(苦笑)
まぁ『~』にまとめられないくらい、色々なものが欠落してるんだけど…



とりあえず、明日の仕事を落とさないように、ちゃんと準備しよ。




今日の月齢は25.5。
月が細くなってきたせいで、星がたくさん見えるようになった秋空。
次の新月まで、あと4日。