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月齢進行表

~aki's diary~

憑いている。

2009-02-08 00:41:27 | 日記・エッセイ・コラム

知人が「憑いている…?」というタイトルでblogを書いているのを見て、ふと思い出しました。


25歳の時、友人の友人(なので、全く面識のない人)で、守護霊が見えるという人に会いました。
後にも先にも、彼女に会ったのは1回限りだったのですが、その時彼女に
「流産か死産か…、幼くして亡くなった兄弟がいますよね?」
と訊かれました。
兄弟はおろか、当時の私は親類縁者の葬式に出た事がないほど、人の死に立ち会う機会のない人生を送っていたので、
「いえ、そんな話は聞いたことないんですけど?」
と答えたら、
「おかしいなぁ。家に帰ったらご両親に訊いてみてくださいよ。きっとそういう兄弟がいますから。」
と、自信満々です。さらに彼女は続けます。
「あなたには幼い子供の霊が憑いてます。でも、その子を祓わないでください。その子はこの世で自分が果たせなかったことを、あなたの体を借りて果たそうと思っています。だから、その子が憑いている限り、あなたの身は守られます。その子があなたの守護霊です。でも、あなたのやりたい事とその子のやりたい事の両方を背負って生活するのですから、あなたは相当多忙で多趣味な人生を送りますよ。」


半信半疑で自宅に帰り、母親に「死んだ兄弟なんていないよね?」と訊くと「いるよ」の答え!!
なんでも、4つ違いの兄と私の間に流産した子がいたんだそうな。
まじかいっ!?(>_<)
確かに当時から多趣味で多忙だったけど、それよりも本人も知らなかった事実を言い当てた彼女って…。


そんなわけで、あの時以来私は、この世に生まれて来ることができなかった兄弟が私を守ってくれていると信じています。
気持ちも体も落ち着かない慌ただしい日もあるけど、1つの体で2人分生きられるなんて、ラッキーじゃん。
姉、兄、私という3人兄弟のうち、私を選んで憑いてくれたのにもきっと何らかの意味があるんだろうと、勝手にいいように解釈してます。ww


愛しい兄弟守護霊にあきれられないように、日々がんばらないとね。


1/3000の恋愛

2009-02-03 00:12:01 | 日記・エッセイ・コラム

予告通り、前の日記のつづき。(笑)


恋愛関係とか、親子関係とか、家族関係っていうのは、その関係の濃さゆえに「依存」を含んでいるもの。
「依存」というと、とっても悪いもののように聞こえるけど、近しい関係には「依存」が不可欠。むしろ、依存する部分がないと近さが感じられなくて不安になるもんだと思う。
依存するかしないかというall or nothingの話ではなく、問題は依存の程度なんだと思う。


で、私はというと、「オマエはひとりでも大丈夫だよね」という台詞で振られることが多いことから察するに、どうやら他者に依存する部分が極端に少ないらしい。
かつては相手の重荷になっていたのに、今では荷が軽すぎて物足らないと思われるほど、依存度は薄まってしまった様子。


でも、私は自分で自分を「恋愛体質」だと思っている。
確かに相手に物理的に要求するものはあまりないかもしれないけど、この歳になっても恋をすれば必ず周囲の人から「なんか最近キレイになった?」と言われるし、自分ひとりでは絶対に届かない所まで気持ちが安定したり感性が敏感になったりする。
一緒にいる時もそうじゃない時も、愛しい人の存在を意識する瞬間があることは、いろんな意味で私を豊かにしてくれる。
そんな気持ちは、ひとりじゃ感じられない。


例えばその恋愛は、「私」という3000ピースのパズルのうちの1ピースでしかなかったとしても、その1ピースがなければパズルは決して完成しない。
たった1ピースだからこそ、私にとって恋愛はより価値があるとも言えるかなぁ、なんて思ったりもする。他人にとっては「たった1ピース」に見えるかもしれないけれど、私にとっては「かけがえのない1ピース」なんだと思う。
何をして欲しいわけじゃないけど、ひとりよりふたりでいたいと思う時間は必ず存在する。「ただ、そこにいて欲しい」みたいな感じ。
だから、プラトニックな部分で多分に依存してる部分があると思うのよね、私って。


まぁ、でもそういうプラトニックな部分って他人にはわかりづらいから、現実的には適度にわかりやすく依存できる甘え上手な人が愛されるんでしょうねー。
これからの私の課題は、上手に相手に依存することでしょか。


パズル

2009-02-01 22:45:26 | 日記・エッセイ・コラム

たくさんの人に囲まれていても、たくさんの物を手にしていても、全然足らないと思っていた。
10年から20年くらい前までの私。


他人の目から見たら楽しい人生を送っているように見えていたらしいけれど、私自身はどこか満たされない思いを抱えて、じたばたあがいていた。


何かが足りない。
その「何か」を求めて転職を繰り返したり、友人や恋人に不満を持ったりしていた。
でも、環境を変えても、他人に求めても、やっぱり満たされないものがあった。


今は、それが何かがわかる。
他人には埋められない気持ちは、自分で埋めなければいけないものなんだと。


たとえば、自分の生活がひとつのパズルだとして、私自身が持っているピースは自分の手で埋めていかなければ、そのパズルは完成しない、ってことなんだと思う。


「私のパズルを完成させて!」と他人に要求しても、相手は自分の持っていないピースを提供することは絶対できない。
自分のピースを出して自分の力で埋める、という作業を端折って、いや、そのピースは自分が持っているんだっていうことさえ気づかずに「相手に私の気持ちが伝わらない」と苦しんでいた。
そもそも、苦しむポイントが間違ってた。
だから、求める私も求められる相手も疲弊していくような、負のスパイラルしか描けなかった。
きっと相手も大変だっただろうなぁ。(笑)


ひとり暮らしが長いせいもあるけれど、「自分で自分の気持ちを満たす」ということに気づいてからは、他人に対してイライラすることが極端に少なくなった。
案外自分で解決できるものが多いんだ、と思ったら、イタズラに他人に求めすぎることもなくなったように思う。
以前より、生きるのが楽になった。
楽しむ余裕が出て来た。
こういうのを自立っていうのかな、と思ったりする。


ただ…、
このスタンス、恋愛という分野においては多少デメリットもあるらしい。


ま、その話はまた明日、ということで。(つづく・笑)