昔から、水泳が苦手だった。
短距離走は必ずと言っていいほど、選抜リレーの選手に選ばれていたのに、水泳はからきしダメ。
水泳の授業のある日は、いつも「雨が降ればいい」と思っていた。だから、小学校2年生くらいの時に、雨でも気温が高ければ水泳の授業は決行されるのだと知った時は大変なショックで、その後は雷が来て授業がなくなればいいと、いつもお祈りをしていた諦めの悪い子供だった。
今でも水泳は得意じゃない。
エアロビクスのレッスンを3時間連続でこなすほどの持久力があるのに、水泳となると25mプールを一気に往復することができない。片道ごとに休憩を入れて、それでもせいぜい300m泳ぐのが関の山。
なのに、この夏は何度かプールに通った。
なんだかとても「水」に浸かりたい気分になって、プール目的にジムに行った。
何度目かのプールで、ふと気が付いた。
ああ、私が嫌いだったのは「水」ではなくて水泳の授業だったんだなぁ、と。
学習とか、上達とか、そういうものを目的にせずに、ただ「水に触れたい」という気持ちで泳ぐと、水の中ってこんなにも気持ちのいいものなんだと。
とかく世間では「癒し」とか「リラグゼーション」というものがもてはやされているけれど、「楽しむ」とか「リラックスする」というのは、意識しすぎると義務になってしまって、結局楽しくなくなってしまったり、リラックスできなくなってしまったりする。
「リラックスする」ということさえ目的にしない方が、よっぽどリラグゼーション効果があるのかもしれない。
短距離走は必ずと言っていいほど、選抜リレーの選手に選ばれていたのに、水泳はからきしダメ。
水泳の授業のある日は、いつも「雨が降ればいい」と思っていた。だから、小学校2年生くらいの時に、雨でも気温が高ければ水泳の授業は決行されるのだと知った時は大変なショックで、その後は雷が来て授業がなくなればいいと、いつもお祈りをしていた諦めの悪い子供だった。
今でも水泳は得意じゃない。
エアロビクスのレッスンを3時間連続でこなすほどの持久力があるのに、水泳となると25mプールを一気に往復することができない。片道ごとに休憩を入れて、それでもせいぜい300m泳ぐのが関の山。
なのに、この夏は何度かプールに通った。
なんだかとても「水」に浸かりたい気分になって、プール目的にジムに行った。
何度目かのプールで、ふと気が付いた。
ああ、私が嫌いだったのは「水」ではなくて水泳の授業だったんだなぁ、と。
学習とか、上達とか、そういうものを目的にせずに、ただ「水に触れたい」という気持ちで泳ぐと、水の中ってこんなにも気持ちのいいものなんだと。
とかく世間では「癒し」とか「リラグゼーション」というものがもてはやされているけれど、「楽しむ」とか「リラックスする」というのは、意識しすぎると義務になってしまって、結局楽しくなくなってしまったり、リラックスできなくなってしまったりする。
「リラックスする」ということさえ目的にしない方が、よっぽどリラグゼーション効果があるのかもしれない。