わさびの日記

老後の暮らしを模索しています。健康のためランニング、楽しみにクラリネット、それに古文書解読を趣味にしたいと思っています。

徒然草第ニ百四段 (犯人を笞にて打つ時、拷問道具に緊縛する)

2022-08-30 18:14:15 | 徒然草

犯人はんにんしもとにて打つ時、拷問道具に緊縛する」、犯人を捕まえて取り調べする時、鞭で打って白状させる。時代劇ではよく出てくる場面です。しらを切っているならば兎も角、罪を認めていても拷問します。そして、犯人になった哀れさを表現するためか、鞭で打たれ、髪が乱れて、顔が傷だらけになり、ぼろぼろの姿で牢に入れられます。

岡っ引きに捕まった太吉は、白洲に引き出される。被害者の野州屋の主人と対面させられ、「こいつがやったんだ」と指さされる。奉行から「それは慥かなのか?」と聞かれ、「アッシが悪うございました」と素直に認める。そこに、もう一人ヤクザ者が引き出され、「こいつに唆されのではないか?」と問われる。後ろから、若い娘が現れ、「おとっさん~」と声を掛ける。そこで、奉行が「野州屋、アッシの顔に見覚えねえとは言わせねえ」と諸肌脱いで、「おめいらがグルだったことはお見通しだ」と啖呵を切る。野州屋は、「恐れ入りました」と平伏し、ヤクザ者は悔しそうな顔で睨みつける。太吉は、温情により、100叩きの刑で赦免される。そして、奉行も同罪で、100叩きになる。

何てことはあるはずはありませんが、ハッピーエンドが約束されているのは、安心して見て居られます。そのような時代劇もほとんどなくなりました。寂しい限りです。

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徒然草第ニ百三段 (勅勘の所に靫懸くる作法)

2022-08-27 18:29:27 | 徒然草

勅勘ちよくかんの所にゆきくる作法」、矢を入れる道具を懸けたりすると、忌まわしいものを封じるという意味があったようです。

先祖の怨念を鎮めるために、高額の坪や印鑑を買わせる霊感商法をしている宗教団体が話題になっています。キリスト教系といいますが、本来、キリスト教は偶像信仰を厳しく禁止していますから、この教団は似非キリスト教です。キリスト教という仮面を被って、違法な行為で集金する犯罪集団といわざるを得ません。

アメリカでは、共和党中心に、福音派と呼ばれる宗教勢力によるナショナリズムが政治に蔓延っていています。共和党が中国に厳しいのは、中国で宗教の自由が保障されていないからだと言われます。中国指導部の覇権的な思想には全く共感できませんが、宗教が政治に悪影響を及ぼす危険があるのは歴史的にも明らかです。日本でも、江戸時代に激しい宗教弾圧が行われましたが、その背景に宗教が侵略の手段として使われていた事実があります。人々を宗教の基に膝着かせようとするのは、むしろ宗教の自由を脅かすことにも成り兼ねません。そもそも、自分達の宗教以外は認めない宗教に、宗教の自由を主張することに矛盾はないのでしょうか。このような事を自由に言える日本は、宗教的には自由な国です。その自由を守らなければなりません。

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信貴山朝護孫子寺

2022-08-26 08:35:20 | 日記

日帰りで、信貴山朝護孫子寺に行ってきました。麓の旅館に車を停め、山門から本堂まで、山道を登っていきます。途中に、赤い開運橋があります。橋の中ほどで、バンジージャンプができるようです。とても谷が深く、高所恐怖症の私は、橋の中央しか歩くことが出来ません。

石段の道を歩いて行くと、大きな寅が見えてきました。昔、聖徳太子が、物部守屋を討伐する際に、この信貴山で戦勝祈願したら、天空から毘沙門天が現れたとのことです。その後、戦いに勝利したので、この山を信ずるべき貴い山、信貴山と名付けたそうです。また、毘沙門天が現れたのが、寅年の寅の日、寅の刻だったことから、寅が信仰されるようになったそうです。

   

寅の前で記念撮影し、さらに石段を登っていくと、馬に乗った勇ましい姿の聖徳太子像があります。その後、成福寺、玉蔵院と参拝し、本堂へ行きます。幼稚園児ぐらいの小さい子供達が来ていました。本堂の見物は、戒壇巡りです。本堂の地下にある真っ暗な回廊を右手で壁を触りながら一回りします。途中、格子の中に八体の仏像が祀られているのを見ることができ、さらに進むと宝珠が安置されている蔵の錠前に触れることができます。そこで、願いを祈ると叶えられるそうです。あまりに真っ暗で、恐る恐る進みますが、先程の小さな子供達もこの中を歩いたとは信じられません。きっと、もう少し薄暗くしていたに違いありません。参拝料は200円ですが、これで御利益があるならば結構なことです。

帰りは下りなので、楽々ですが、まだまだ暑く、汗だくになってしまいました。この後、温泉に入って、昼食は正解でした。旅館に着くと、大浴場で足の疲れをとります。部屋でゆっくり食事ですが、今日は車なので飲酒はできません。ノンアルコールビールで我慢しますが、やっぱり冷たいビールをグイーとやりたかったです。食事の後、もう一回、温泉にと思ってましたが、ひと眠りしてしまいました。チェックアウトまで時間が無いので、部屋を出て、帰路に着きました。

 

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徒然草第ニ百二段 (十月を神無月と言ひて、神事に憚べきよし)

2022-08-20 09:30:53 | 徒然草

十月じふぐわつ神無月かみなづきと言ひて、神事しんじはばかるべきよし」、十月は神事を憚るべきなどとは、どこの文献にも書いていない。神無月は、神様が伊勢に出かけていて不在だと言われるが、そうとも限らない。

旧暦の10月は、年にもよりますが、11月から12月にかけての時季です。神様にとって、夏から秋の忙しい季節が終わり、来年に向けて一休みする時季なのでしょう。一種のバケーションなのかもしれません。神々が神殿を離れ、自然の中で自由に戯れると、神が宿ったように山々が紅葉する。

宗教で、神に祈るのは、自力では何ともできないことを解決したいことがある時です。自力ではないので、他力ですが、他力、つまり神の力に祈るのは、自力の慢心を戒め、自力ではどうにもできないことを受け入れる意味もあるのでしょう。個人がどのような神を信じようが勝手ですが、人の弱味に付け込んで、人々を思い通りにしようとする宗教には嫌悪感を感じます。

政治が宗教を規制するのは、宗教の自由を侵す危険があると言われますが、逆に、宗教が政治に触手を伸ばすのは、自由な意思を宗教によって抑制する危険があります。夫婦別姓などに反対する政治家が、特定の宗教団体と接触しているのは危険な兆候だと思います。

 

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徒然草第ニ百一段 (外なるは下乗、内なるは退凡なり)

2022-08-18 09:30:45 | 徒然草

そとなるは下乗、うちなるは退凡なり」、車両乗入れ禁止と立入禁止の意味のようです。

世の中には、ルールに従わない人がいるものです。故意に従わないのか、気づかずないのか、気づかなかったから許されるものでもないでしょう。気づけよ! と言いたくなることもあります。

年とともに気づかないことが多くなり、その部類に入った自分も気をつけなければ、人から嫌悪の目で見られると心配です。気づかないこととに加え、常識が分からないことがあります。特に、今時の常識は要注意です。先日も、レジに並んでいると、最近は間隔を空けて列の立つ位置に印がありますが、何人も並んでいるのに、一番前の人が終わると、スーとおばあさんがレジに横入りしました。悪びれる様子もないので、後ろに並んでいるのに気づかなかったのでしょう。注意したものか、待ち時間なんてしれてるので、そのまま待ちましたが、老人とはこういうものかと、ちょっと落ち込んだ気分になりました。

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徒然草第ニ百段 (呉竹は葉細く、河竹は葉広し)

2022-08-17 09:00:12 | 徒然草

呉竹くれたけは葉細く、河竹かはたけは葉広し」、竹にも色々と種類があるようです。呉竹は、ハチクと呼ばれ、高さが15mと大きくなる種類です。細く割りやすいので、茶道具の材料に利用されるそうです。河竹は女竹と呼ばれ、高さは5m程度、主に川や海岸に群生します。やわらかいことから、竹細工に利用されるそうです。

春の味覚のたけのこは、孟宗竹(モウソウチク)で高さが20mにもなる大きな竹が良いそうです。江戸時代に中国からもたらされたといいますから、それ以前には、たけのこは食べなかったのでしょうか。近所にも竹林があり、なんとなく時代劇の雰囲気を感じさせます。どうして時代劇かと考えてみると、二人の侍が切り合いになり、竹林に入っていく、一方が竹を刀でバッサリ切ると、その竹が地面に落ちその後、ゆっくり相手の侍が崩れ落ちる。そのようなシーンが目に浮かぶからでしょう。

最近は、時代劇のドラマが少なくなりました。製作費がかかるからだと聞きますが、昔は「三匹の侍」「木枯らし紋次郎」、「花山大吉」と楽しい時代劇がありました。子供の頃は、「風小僧」、「白馬童子」、「鞍馬天狗」のようなヒーローものに「仮面忍者赤影」や「忍者部隊月光」、漫画でしたが「伊賀の影丸」など忍者ものがあり、時代劇とともに育ったといっても過言ではありません。そういえば、「てなもんや三度笠」も時代劇かな。

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徒然草第百九十九段 (和国は、単律の国にて、呂の音なし)

2022-08-16 18:20:34 | 徒然草

和国わこくは、単律たんりつの国にて、りよの音なし」、雅楽の12音階で、偶数番目の陰の音が呂で、それ以外が律の音だそうです。つまり、中国と日本では音階が半音ずれていることになります。半音ずらすことで、全く違う世界を造り出せたのでしょう。

日本の文化は、昔は中国、今は西洋の文化に影響を受けてきました。彼らからすると、単なる物まね、本家本元は自分達だと言いたいところでしょう。全く新しいものを発明・発見するにはスバ抜けた能力、天才的な閃きが必要なのかもしれませんが、創意工夫して改良し、より良いものにするにはコツコツと努力することが求められます。勤勉な日本人は、後者が得意との定評があります。なかなか画期的なものは思いつかないし、見つけ出す感性もないとされてきました。

最近の日本人の活躍、スポーツにおいても、科学技術の分野においても、決して天才的な人材は少なくありません。その一方で、彼らを見出し育てる環境が国内に整っていないことは問題です。大学のランキングにしても、論文数や特許の数においても日本はトップクラスから転落しました。しかし、それらの指標が本当の価値を示しているのか、国の未来を左右するものか、もっと本質を見なければならないように思います。

日本人が、日本の国で、日本人らしく生きていくことは、他所の国からとやかく言われる筋合いはありません。ところが、世界に誇れる日本を目指すと、どうしてもその辺りを見間違えてしまいそうです。日本の文化の特徴は、他と異質なところです。ちょっとした発想の転換で、その特徴を生み出せるのではないかと思います。

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徒然草第百九十八段 (揚名介に限らず、揚名目といふものあり)

2022-08-13 09:10:46 | 徒然草

揚名介やうめいのすけに限らず、揚名目やうめいのさくわんといふものあり」、昔の国の名誉職、地方の名誉職です。名誉職は、何の役にも立たないのに、本人を納得させるために置く職のことです。

政治家の国葬が話題になっています。個人的には、政治家を国葬するのは反対です。それは、政治家の評価は功罪大きいからです。国を挙げてということになると、功の部分を強調し、罪の部分を押し隠そうとします。政治の功罪は、後世に議論されなければなりません。そうすることにより、これからの国の有り方を自由に議論できます。国葬によって、それまでの政治が正しかったと決めつけるのは未来のためにも良くありません。

少なくとも、この数年間の経済政策は、成長を阻害してきたと思っています。少子高齢化は分かっていても人口減少は加速、東日本大震災の経験があるのに原子力から脱却できずエネルギー問題は深刻化、デフレ脱却といいながら突然の急激な物価高、今更に騒ぎ出したDXの推進、パンデミックスに対応できない硬直したリスク対応、すべての政策が中途半端で、とても歴史に誇れる政治は出来てなかったと言えます。もちろん、誰がやっても難しい時代だったかもしれません。未来は、過去の栄光ではなく、反省のもとに造られると思います。

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徒然草第百九十七段 (すべて、数定まりたる)

2022-08-12 08:50:46 | 徒然草

「すべて、数さだまりたる」、組織には定員というものがある。定員とは、許容数とも期待数とも考えられます。お店の定員も、これ以上多いと席が足りない、少ないと採算が悪くなる。できればいつも満席にしたいが、人気があれば定員以上の人が集まり、人気が無ければ定員割れになってしまう。

 さて、日本の人口に定員はあるのでしょうか。10年連続で人口は減少しています。これは、日本の社会に魅力が無くなったからかもしれません。国は、少子化対策で出生数を増やそうとの考えですが、その割には本気になってるとは思えません。それもそのはず、20年後も生きれるかどうか分からない、将来に対して他人事の老人ばかりで政治をしているからです。世の中、60歳を過ぎるとなかなか職に就けないのに、政治の世界はどうしてこんなに違うのでしょうか。

 社会も会社もダウンサイジングするのは難しいです。落ち目の会社はリストラが避けられません。社会をダウンサイジングするにもリストラは必要でしょう。例えば、年寄りは田舎、若い人は都会というのが、今の日本の現状です。これを逆にする町づくり、政策を進めるのはどうでしょう。手のかかる老人をコンパクトに整備した町に集め、効率的に介護・支援する。一方、行動力のある若い人を地方に送り出し持久力のある国造りをする。未来に向けた戦略的なビジョンが必要でしょう。個人的な考えで、これが正解かどうかは分かりませんし、私も老人ですから、20年後の社会にも責任は持てません。ただ、もはや、人口が減った社会を如何に住みやすくするか、発想を変えるべき時期に来ていると思います。

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徒然草第百九十六段 (殊に先を追ふべき理あり)

2022-08-10 08:49:33 | 徒然草

ことに先を追ふべきことわりあり」、神社は人々が集い参拝するところだから、人々を追い払うようなことは良くないとする考えと、群衆の中には良からぬ者もいて、危険を避けるためには追い払うのも必要とする警備の論理の違いでしょう。

 リスク管理ということが、色々な事に意識される時代です。リスクマネジメントという言葉があります。何かする際には、必ずリスクはつきものです。リスクは、単に危険ということだけでなく、その危険が顕在化したとき、つまり事故やトラブルが起きた時、どれだけの損害を被るかということも含めて考えるものです。マネジメントは管理という意味ですが、危険への備えと蒙る被害とのバランスを図ることです。

 日本の国も社会も、このリスクマネジメントが弱いです。どうしても一かゼロかで考えがちです。先の戦争でも、もう戦うしかない、負けるなら玉砕するしかない、そうした極端な考えは思考を停止させます。戦争の対極に平和があります。平和を望めば、全ての人が同意し、話し合いで必ず分かり合えると信じるのも、一方の極端です。戦争も事故も決して起こして欲しくないことですが、リスクマネジメントでは、その危険をどの程度許容できるか、そのためにどう備えられるか考えるのが大切です。

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