わさびの日記

老後の暮らしを模索しています。健康のためランニング、楽しみにクラリネット、それに古文書解読を趣味にしたいと思っています。

へんな夢2

2022-08-08 18:33:31 | 日記

夢の中で、勇気のいる行動が求められる場面があります。悪党に追い詰められるような夢ですね。昨夜も、そのような夢でした。真夜中、怪しい物音がして、誰かが家の外にいる。おそらくかみさんだと思いますが、見に行くようせっつかれます。嫌々ながら、そっと外を覗くと、怪しき人の気配、「誰だ!」と叫びながら、家の外に飛び出たら、ベットから落ちました。

ああ~、そういうことなのね とベットに這い戻って、再度、眠りにつきました。かみさんは、気付いているのかいないのか。もちろん、夢の中とはいえ、私の勇気にも気が付いているはずはないでしょう。

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徒然草第百九十五段 (尋常におはしましける時は、神妙に)

2022-08-07 08:13:20 | 徒然草

尋常よのつねにおはしましける時は、神妙しんべうに、やんごとなき人にておはしけり」、人は見かけによらないということでしょう。

普段の姿からは想像できない行動をする。どちらが本当ということではなく、二面性を持ち合わせている。二面性には、相矛盾するというか、正反対という意味合いがあります。どちらも有りにしたいというのは、人のさががというものでしょう。人は悩み、迷う、心が揺れる、こっちだとはっきりできない。そこに、共感できる余地があります。

人は嘘をつきます。後ろめたいことを隠したい、逆に見栄を張りたい、人を騙して利を得たいなど、何某かの邪悪な下心があります。最近の政治家は、嘘つきの塊のような人物が多く、ボロが出てくると居直り、責任回避する、人としてどうかと思ってしまいます。嘘にも、二面性のような要素があれば許せるのでしょうが、只々、事実を隠そうとする嘘は、やはり嘘つきで、泥棒の始まりなのです。

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徒然草第百九十四段 (達人の、人を見る眼は、少しも誤る所あるべからず)

2022-08-06 07:13:34 | 徒然草

「達人の、人を見るまなこは、少しもあやまる所あるべからず」、達人とは、人の生きる道を究めた人ということでしょう。宗教の教祖は、人を苦しみから救うために人の道を説くのが本来ですが、最近は人を苦しみに突き落とすのが平気という宗教もあるようです。

日本では無宗教の人が多いですが、それでも多く人が正月は神社に初詣し、お盆には墓参りします。神社で一年の幸福や家族の安全を願い、お賽銭を投げ入れるのは、日本の日常的な光景です。日本では、昔から、神社やお寺は宗教的な存在としてだけでなく、人々の生活を維持するための役割を担ってきました。人と人との間には諍いが起きるものです。土地について言えばどっちの土地か、山の柴木は誰のものか、川の水を独り占めするな、揉め事は当事者だけでなく、村全体、あるいは幾つか村の集まりの間に広がります。そうした時、神社やお寺はその仲裁に入り、道理を説いて説得したのでしょう。それにより、人々の争いは鎮まり、人々は神社やお寺に感謝の気持ちとして寄進する。上手くいる場合ばかりではないでしょうが、人々の利害を超えた存在として、宗教があり、時には大きなもめ事を納めてくれました。

さて、今話題の宗教は、人々にどんな幸せをもたらしてくれるのでしょう。議員さんを当選させ何をしたいのか。それに乗せられた議員は騙されているのか、それとも手先になり下がったのか、はっはりさせなければいけません。

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徒然草第百九十三段 (自分とは関係ない世界にいる人と張り合うべきでなく)

2022-08-02 07:20:17 | 徒然草

「自分とは関係ない世界にいる人と張り合うべきでなく」、一点を深く極めるか、広く浅くは人夫々です。一芸に秀でた人がいれば、何でも器用にこなせる人もいます。人のことなど気にせず自分らしく生きればよい。そんなことを示唆しているように思います。

 世間には、何一つ秀でたところが無ければ、何をやっても上手く行かない人がほとんどでしょう。私もその一人ですが、得意なことと苦手なことはあります。得意なことを自慢したところで、上には上がいるものです。苦手なことを避けて通りたくても、運が悪くどうにも逃げられないことがあります。人と比較して意気消沈してばかりいると、メンタルになってしまいます。そうしたことを乗り越えていく、それが生きるということなのかもしれません。

 60年以上生きてきて、今の自分は、過去にやってきた事の積み重ねの上にあります。何が良くて、何が悪かったのか、そんな事を考えてみたところで、今更どうにもなりません。終わりまでの時間が短くなっていることは確かですが、まだ生きています。明日の自分は、今日の自分が何をするかによるのだと意識することが大切なのかもしれません。

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徒然草第百九十ニ段 (神・仏にも、人の詣でぬ日、夜参りたる、よし)

2022-08-01 07:01:43 | 徒然草

「神・仏にも、人のまうでぬ日、夜まゐりたる、よし」、短い段です。神・仏は、本来は別々の宗教ですが、それを並べられるのが日本人です。森羅万象に神は宿るという神道の自然崇拝が基本にあるからでしょう。一神教の宗教とは相いれないものがあります。その意味では、仏教はまだ親和性はありそうです。

 日本は、宗教の自由が保障されている国ですが、538年以来、どんなに仏教が広まっても、日本人の心には神道の心が深く根を張ってきました。個人的には、一神教の傲慢な宗教には違和感があります。美しい日本と唱えながら、一方で一神教をルーツとする宗教団体に肩入れしていた政治家には不誠実さを感じます。日本を守るというならば、政治家は票集めの打算で宗教を利用してはいけません。信念を貫く政治家が求められています。

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