わさびの日記

老後の暮らしを模索しています。健康のためランニング、楽しみにクラリネット、それに古文書解読を趣味にしたいと思っています。

錦秋喜劇特別講演

2023-10-25 17:59:34 | 日記

京都南座の錦秋喜劇特別講演に行ってきました。この数年、観劇する機会が増えました。すべてカミさんが段取りして、幅広いジャンルのものを選んでくれます。今回は喜劇です。昔、テレビで観た松竹新喜劇を思い出しました。

 

観劇は、上六に出来た新歌舞伎座の一周年記念講演に歌舞伎を観に行ったのが最初だったように思います。あれからもう12年が経ちました。その時、病気から復帰した中村勘三郎が翌年亡くなってしまいました。私と同世代ですから、早すぎる死に驚いたものでした。最近、関西出身のミュージシャンが立て続けに亡くなり、みんな歳を取ったと思わなくもありません。今回の主役を演じる藤山直美さんは、子供の頃、よく観ていた松竹新喜劇の藤山寛美さんの娘さんで、カミさんと同世代です。お父さんの演技を彷彿とさせる熱演でした。

観客はやはり高齢の人が多く、団塊の世代が中心です。その世代が贔屓になり、日本の伝統文化を支えているのでしょう。新喜劇も日本の伝統芸能といっても良いと思いますが、後世に引き継がれるか心配になります。関西が日本の文化の源泉であって欲しいですが、芸術に理解の薄い政党が勢力を伸ばしているのが心配です。万博だ、カジノだと莫大なお金を使うのも未来のためかもしれませんが、文化芸術の醸成や普及にもわずかで良いから力を入れて欲しいものです。

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徒然草第ニ百ニ十九段 (少し鈍にぶき刀を使ふ)

2023-10-23 18:01:16 | 徒然草

「よき細工さいくは、少しにぶき刀を使ふと言ふ。妙観めいくわんが刀はいたく立たず」これ又、短い段です。切れ味ければ、良いものができるとは限らないということでしょう。

「弘法筆を選ばず」と言う言葉があります。名工はどんな道具を使っても良いものができる。結局は、道具じゃないと言うことでしょう。では、凡人はどうか。良い道具を使ったら、良いものができる訳ではないが、道具が悪いと、絶対に良いものはできない。せめて道具ぐらいは良いものを使おうということになります。あれこれ考えると、ここで言いたいのは、自分に合った道具を使おうということではないでしょうか。切れ味の素晴らしい高価な道具よりも、自分に手に合った使い慣れたものが一番良いということでしょう。それを見つけるのは、結構難しいかもしれません。

 

 

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徒然草第iニ百二十八段 (釈迦念仏)

2023-10-23 09:10:35 | 徒然草

千本せんぼん釈迦しやか念仏は、文永ぶんえいころ如輪上人によりんしやうにん」、これを始められけり。この段は、これだけです。

釈迦念仏は、『南無釈迦牟尼仏なむしゃかむにぶつ』と唱える。つまり、お釈迦さんの名前を呼び続けるということです。信奉している人の名前を呼ぶことに、どんな意味があるのか考えると、アイドルの名前をファンが叫ぶようなものかとお釈迦様に失礼な連想をする。それは違うだろうと打ち消しても、その違いがよく分からない。名前を呼ぶことで、その人の顔や姿を思い浮かべ、思いを強くする効果があるのだろう。そうだとすれば、基本的には同じことかと納得してしまいます。

 

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徒然草第ニ百ニ十七段 (一念の念仏)

2023-10-22 07:26:40 | 徒然草

「一念の念仏」、これを一回唱えるだけで、浄土に往生できるそうです。

仏教の目指すところは、如何にして仏のおわす浄土に行けるか、近づけるかです。その意味で、修行と念仏は目標が同じでも、異なった手段といえます。仏教における修行は、精神鍛錬によってすべての人間的な欲望から解放されることです。欲さえなければ、人は生きていることだけに幸せを感じることができる。つまり、生きたまま極楽浄土に行った気分に成れるのです。ただ、その境地に至る修行は厳しく、誰にでもできることではありません。一方、念仏は誰にでも唱えられます。念仏を唱えさえすれば極楽浄土に行ける。厳しい修行をしなくても、念仏さえ唱えていれば良いのです。つまり、念仏を一心不乱に唱えて、他のことは何も考えるなということでしょう。欲にも良い欲と悪い欲、あるいは、過度な欲と適度な欲があると思います。その欲から、完全に解放されたら、端目にはどう見えるでしょうか。腑抜けになってしまったとか、聖人君主になったとか。マインドコントロールという言葉が、オカルト宗教ではよく聞かれますが、人の心をみんな同じ方に向けることの恐ろしさを感じます。

ここに登場する安楽は、法然上人が流罪させられる原因となった黒谷事件の首謀者の一人です。上皇の女官を唆した罪で死罪になったのですが、本当のところ、どんな裏話あるいは真実があったかは分かりません。女官を連れ出したのは、安楽の欲だったのでしょうか。それとも、女官を欲の世界から解放したいとの思ったのでしょうか。いずれにしてもすごい話です。欲も怖いものです。

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石山寺

2023-10-04 15:59:22 | 日記

もう中秋の名月は終わってしまったが、紫式部の月見で有名な石山寺に行くことになった。朝から小雨が降っているが、外国人観光客がいなくて、日本の情緒を邪魔されずに楽しめた。

石山寺は桜か、紅葉、それとも月見の季節がいいのだが、そんな時季の人の多いのは苦手である。東大門から入り、参道を歩きながら、両側の木々が色づけば綺麗だろうと想像した。それだけで十分なような気がする。石段を上がると、正面に多宝塔を見上げるように建っている。つい写真を撮りたくなってしまう。本堂に入ると、正面に紫式部源氏の間があり、此処は多くの文学者が参拝されたそうだ。賽銭箱に100円玉を投げ入れ、今年も入選を願ったが、それだけでは叶わないと思い、ろうそくを買って灯明を灯した。何時にないことをするとかみさんに冷やかされ、紫式部に因んで、文才のある女子が娘に授かるようにとも願ったのは欲張りだろうか。願い事が多いのはそれだけ幸せの種があるということだ。

  

東大門の前に瀬田川があり、すぐ近くの川岸からクルーズ船が出る。天気が良くないためか、船は私たち夫婦の貸し切りだった。紅葉の季節になると大忙しだと船員さんは言っていたが、こんなのでやって行けるのか心配になってしまう。瀬田川を上り琵琶湖の入り口までを往復するが、ボートとカヌーが頻繁に行きかっている。ボートは男のスポーツという印象があったが、女性だけのエイトと呼ばれる8人乗りのボートが軽快に進んでいくのを見て、時代は変わったと思った。

  

お昼は、寿長生の郷でとることになった。結構な山の中で、広大な敷地に日本的な古民家風の家屋が建っている。外国人が喜びそうな所ではあるが、お客さんは日本人ばかりで、まだ知られていないと安堵するも、時間の問題かもしれない。オーバーツーリズムが問題になっているが、マナーの悪い外国人の入国を制限する方法はないもかと思ってしまう。

  

午前中だけのチョコ旅行の半日でした。

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