わさびの日記

老後の暮らしを模索しています。健康のためランニング、楽しみにクラリネット、それに古文書解読を趣味にしたいと思っています。

電波障害説明会

2006-09-18 09:33:50 | 日記
私の会社の事業所内に7階建ての建物を新築することになりました。建設に当たり、行政、つまり市役所から電波障害の地域住民への説明会をするようにいわれました。そこで、先週、隣接する3自治会の住民を対象に3回に分けて説明会を行いました。
事業所の庶務の責任者ということで私が説明します。説明内容自体はたいしたことはありませんが、質疑応答が厄介です。説明会の案内を配布したところ、早速「これじゃ分からん」という苦情の電話がかかってきました。だから説明会するんじゃないのといいたくなります。
説明会は夜の7時から約1時間ですが、「なぜ休みの日にしないんだ、お前らサラリーマンは土日休みたいからやろ」と文句をいいます。休みにすれば、休みにしたで文句いうでしょう。
電波障害を説明するには、直接波、反射波、ゴースト、また最近のデジタル放送、アナログ放送といった言葉が出てきますが、「専門用語使われるとさっぱり分からん」と文句をいわれます。しかし、テレビとはそういうもんでしょ。チャンネルやブラウン管、チューナーなど全てが専門用語です。テレビを見たけりゃそれぐらいは知っとけといいたくなります。質問にはできるだけ簡単に具体的に説明しますが、私も専門家じゃないので、世間一般に通用している用語、義務教育の理科の時間に使う程度のものしか使ってません。
問合せ先の電話を代表電話にしていたので、「フリーダイヤルが常識やろ、企業の姿勢を疑う」とまでいわれました。文句あるなら電話代返しますといってやりたかったが、確かにフリーダイヤルにした方が良かったかなと思ったので、とりあえず配慮が足りなかったと謝ったのに、どんどんエスカレートして文句をいい出すもんで、どうしてこんなに謝らないといけないのと思うのでした。
電波障害をとんでもない住民被害のようにとらえて、ここぞとばかりに文句を言う人がいます。放送局が許可なく他人の敷地の上に電波を飛ばして、それを勝手に受信してテレビを見ているんじゃないの。そもそもただでテレビをみているのにどうしてそんなに自分たちの権利を主張できるのでしょう。テレビが見れなくても生きていけます。少なくともNHKさえ見れればいいんじゃないですか。それなら文句なくみれます。もし写りが悪けりゃBSアンテナをつければいいだけでしょ。それなのに、デジタルチューナーを設置するか、ケーブルテレビを引いて聴取料までもってあげるといっいるのに、何の文句があるのですか。
隣接する自治会には自治会員でもないのに破格の自治会費を収めているし、集会所の普請や神社のお祭りがあれば高額の寄付をしているのに、そんなこと忘れてしまって、自分さえ良ければいいって思っている住民エゴって醜いですよ。
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社会の箍が外れている

2006-09-03 19:09:23 | 日記
あるテレビ番組を見ていると、「最近は社会全体の箍が外れている」と表現していました。それに対するコメンテーターの一人が、「上に立つ者が色んなことを主張するが行動がともなっていない」といってました。最近、上に立つ人たちが現場を見ない、広い視野で物事を考えない、背景にあるものを知ろうとしない、一般の人の意見を聞こうとしないということを強く感じます。ところが、ご自分ではそんなことはないといわれますが、どれもポーズだけにしか見えません。
特定の人のことを批判しているのではありません。何を言っても理屈だけで論破しようとする。かつては、「理屈をいってもその通りにはいかないよ」といわれたものですが、どういう訳が、今は上から理屈を言われて、現実とのギャップとの板ばさみになっています。だから、ややこしいことを隠したり、勝手に不正に走ってしまったりするのではないでしょうか。
上の人たちは現場の意見を聞くといいながら、座談会をしても自分の考えを披露するだけで、厄介な問題はそれは自分達で考えることだと片付けます。いっしょに悩んであげるということをしません。わが社は顧客重視だといって不特定多数の人の意見を聞くよう社員に求めていて、その社員の意見は聞けていないのです。
背景にあることは必ずしも正しいことばかりではありません。必要悪とまではいいませんが、理屈では割り切れないこともあります。そうしたことも全部飲み込んだ上での考えを示しているようにはとても思えません。
それじゃ自分はどうなのということですが、私は自分の意見がいつも正しいとは思っていません。自信がないのではありません。自分の考えを確かめるということを必ずします。最初の考えが人の意見で変わることはしょっちゅうです。朝令暮改といわれ、かつて管理者研修でも優柔不断だと評価されたことがあります。正しいと思った意見にはすぐに同調するのが何が悪いと思っています。また、正しくとはいいきれないが、多数の人が「そうはいっても・・・・」ということは自分考えではつっぱしらないようにしています。仕事では、自分の意見を変えることにこだわりはありません。でも、プライベートでも同じということではありません。
そんなこんなで、最近、かなりストレスが溜まっています。

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学歴主義の復権

2006-09-02 12:37:11 | 日記
会社が合併して、合併相手に旧帝大卒の方が多いため、なんとなく学歴社会に逆戻りという感じがします。学歴主義が悪いといいませんが、時代の流れは、実力主義で実績重視の評価になってきています。ただ、会社での出世と日頃の評価とが必ずしも結びつかないということもあります。
私は工場の人事の責任者をしているのですが、特にブルーカラーに対する合併相手の価値観には戸惑っているところです。ブルーカラーはあくまで作業者であり、工場の幹部にはしないという考えです。そのためか、人事面だけでなく、色々な面で管理職と一般職との間には封建的な考えが出てきています。
聞くところによると、工場の管理職は研究所から突然やってくるキャリア組みであり、課の中でも課長が一番若いということになります。それに対して、課員は全員高卒または高専卒で現場のベテランです。
私の工場では、課長に大卒はいません。すべて現場のたたき上げです。学歴などにはこだわらず、能力のある者を適材適所で抜擢してきました。しかし、合併してその考えは通じなくなりそうです。今後は完全にキャリアとノンキャリアに分かれていくことでしょう。人事制度もその方向で改正されています。私のような考えの人間は、だんだんとやり難くなっていきそうです。
ところが、会社の人事制度では実力主義が前面に出ています。ところが、一方で、ブルーカラーは最初からその実力主義の同じ土俵に上れない仕組みになっています。そうすると、実力主義といっているのも本当は怪しいと思うのです。制度は運用次第で、どうも学歴主義に基づく実力主義が実際のところのような気がします。それならばそれではっきりとすればいいのですが、表向きは「公平な評価制度」などといわれると偽善的で嫌な気がします。この価値観の違いにいつまで耐えられるでしょうか。

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