わさびの日記

老後の暮らしを模索しています。健康のためランニング、楽しみにクラリネット、それに古文書解読を趣味にしたいと思っています。

徒然草第百九十四段 (達人の、人を見る眼は、少しも誤る所あるべからず)

2022-08-06 07:13:34 | 徒然草

「達人の、人を見るまなこは、少しもあやまる所あるべからず」、達人とは、人の生きる道を究めた人ということでしょう。宗教の教祖は、人を苦しみから救うために人の道を説くのが本来ですが、最近は人を苦しみに突き落とすのが平気という宗教もあるようです。

日本では無宗教の人が多いですが、それでも多く人が正月は神社に初詣し、お盆には墓参りします。神社で一年の幸福や家族の安全を願い、お賽銭を投げ入れるのは、日本の日常的な光景です。日本では、昔から、神社やお寺は宗教的な存在としてだけでなく、人々の生活を維持するための役割を担ってきました。人と人との間には諍いが起きるものです。土地について言えばどっちの土地か、山の柴木は誰のものか、川の水を独り占めするな、揉め事は当事者だけでなく、村全体、あるいは幾つか村の集まりの間に広がります。そうした時、神社やお寺はその仲裁に入り、道理を説いて説得したのでしょう。それにより、人々の争いは鎮まり、人々は神社やお寺に感謝の気持ちとして寄進する。上手くいる場合ばかりではないでしょうが、人々の利害を超えた存在として、宗教があり、時には大きなもめ事を納めてくれました。

さて、今話題の宗教は、人々にどんな幸せをもたらしてくれるのでしょう。議員さんを当選させ何をしたいのか。それに乗せられた議員は騙されているのか、それとも手先になり下がったのか、はっはりさせなければいけません。

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