「卒都婆も苔むし、木の葉降り埋みて」、母に、秋と春の彼岸ぐらいは墓参りするように云われました。忙しさにかまけてというか、面倒がって墓参りには行けてません。それに、墓参りには億劫な複雑な気持ちもあります。
お寺の境内の裏に墓地があり、そこに先祖代々の墓があります。その寺の住職が本山で不正を働き、さらにお寺の敷地の一部を勝手に売り払い、海外に逃亡したため、お寺は荒れ放題になってます。我が家も寺の檀家でしたが、逼塞して夜逃げのように、土地家屋を手放し他所に移っってしまったので、寺の檀家だと偉そうなことは言えません。そのため、墓参りも人目を忍んで行ってました。今となっては、私が誰か知る人もいないので気にすることはありませんし、その逃げた住職も、お寺に舞い戻って住職を務めているようです。
我が家には、床の間の半分を占める古い仏壇があります。数年前に大金を掛けてリフォームし立派になりました。次に墓をどうするかは課題ですが、辺ぴな所にある墓に子供たちが詣ってくれるとは考えられません。私は、墓に入らなくても、散骨でも、別の納骨堂でも構いませんが、先祖代々の墓は、墓じまいとはいきません。そのうち時間切れで、子供たちにツケを回すことになるかもしれません。墓は、亡くなった人のためのようで、現実は残された者の厄介な問題なのです。