今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ
「 なつかしいひと 」( 新潮社 刊 ) から「 競馬新聞の中身 」と題した 小文 。
思いがけず出会った 、サスペンス ドラマ 。
擬音語 、擬態語 の多用が 、この方の文章の一つの特色か 。
備忘のため 、抜き書き 。
引用はじめ 。
「 逢 ( お ) う魔が時には魔物が通る 。あの日 、わたしは私鉄の始発
新宿駅で電車に乗りこみ 、出発を ぼんやり 待っていた 。発車まで
まだ三分 、乗客はひとりだけだ 。
ぶらりと 男が入ってきた 。痩せぎすの小柄な中年の男である 。席は
いくらでもあるのに わざわざ 近くに立ち止まるから奇妙に思ったが 、
理由はすぐわかった 。ちょうど網棚に競馬新聞が放置してある 。それ
を目ざとく見つけてつかみ 、そのまま どかりと 座席に腰を下ろしたの
である 。
と 、そのときだ 。男が四つ折りの新聞を開いた瞬間 、バネ仕掛けの
人形のように全身が ぴょんっと 浮いたのである 。
おどろいて横目をやると 、男は板のように背を硬直させ 、息を詰めて
中身を凝視している 。つられて首を伸ばし 、わたしも思わず『 あっ 』
と声を洩らしそうになった 。競馬新聞のうちがわにむきだしの札束が挟ま
れているのである 。
競馬新聞 。札束 。沿線の競馬場 。
にわか探偵になって推理を働かせる ―― 落とし主は競馬場で大当たり
をとったものの 、配当金が財布に入りきらない 。おさめ場所に困って新
聞のあいだに挟みこみ 、電車に乗った 。ところが下車する際 、いつもの
習慣で用なしの新聞を ひょいと 網棚に放り投げてしまったのだ 、うっかり
札束を入れたまま 。
落とし主は地団駄踏んでいるにちがいない 。いや 、すぐ気づいていまに
も駆け戻ってくるだろうか 。想像をたくましくしていると 、男が顔を上
げてこちらへ振りむいた 。
( おまえ一部始終を見たな )
びくついた顔にそう書いてあった 。
とはいえ 、男の頭のなかは金のことでいっぱいだ 。こんどはあわてて札
束を数えはじめる 。紙幣をめくる指 、同時に上下する頭 、小刻みにから
だを揺らして全身全霊で勘定する 。さいごの一枚をめくり終えると 、ふ 、
と ちいさく息継ぎをした 。
さあ 、どうでる 。固唾を飲んでいると 、男は意表を衝いてきた 。尻だけ
浮かせて一メートルほど横移動し 、こちらへ すっと 寄る 。さらに上半身だけ
ゆらりと 傾け 、顔をそらしたまま声色ひくく囁いたのである 。
『 五十四枚ある 。五十四万だ 。あんたにも分けてやるからさ 』
語尾がうわずっている 。数字がリアルな緊張を運んできたのだろう 、
札束を握った指がかすかに震えている 。通路へ投げ出した両足は貧乏
ゆすりをはじめている 。
なるほど 、たしかにわたしは 目撃者 なのだ 。目撃者に交渉をもちか
けて共犯に引き入れようというのが 、男がとっさに思いついた魂胆な
のだった 。しかし巻きこまれてはかなわない 。
『 それ落とし物でしょう 。駅の事務室に届けなきゃだめですよ 』
男が幼児のように ぷいと 横を向いた 。いやなこった 、ぜったい離す
もんか 。そのとき窓ごしにホームを歩く駅員のすがたが見えた 。男
は動揺して札束を新聞でくるみ 、ジャンパーのふところにしまいこん
で長居は無用とばかり席を蹴った 。
あわてふためいて身を翻し 、ぴょんぴょん ぎくしゃく 駆けてゆく後
ろすがたは 、やっぱりバネ仕掛けの人形みたいだった 。
発車のベルが じりじりと 鳴った 。だれも乗ってこない 。深海魚の
ような車両にわたしひとりが残った 。」
引用おわり 。
( ´_ゝ`)
見知らぬ男に「 一緒に 毒まんじゅう 食おうぜ」「 猫ばば しようぜ 」と
言われて 、「 それ落とし物でしょう 。駅の事務室に届けなきゃだめですよ 」
と冷静に切り返せるのは 、なみなみならぬ胆力の持ち主 、
・・・ というか 怖いもの知らず 。
痩せぎすの小柄な中年の男が 、自分のカネだと主張したら 、 本当の
落とし主がその場に現われない限り 、いや現われても 、水掛け論に
なるおそれはある 。占有者の勝ち 。
五十四枚の諭吉さんは 、いずれJRAに戻るか 、マルハンに行き着く
かしたでしょうね 、多分 。・・・ 風の便りに 、海を渡って半島行って 、
巡り巡ってミサイルに生まれ変わったとさ ・・・ めでたし 、めでたし 。
それにつけても 、どうしてあんなにおカネがあるんだろ 。ワシントンさん
や諭吉さんを印刷するだけじゃないよね 。
( ついでながらの
筆者註:・「 雨が 『 ザーザー 』 降る 、犬が 『 ワンワン 』 ほえるなど 、
音や声を直接表わす言葉を 『 擬音語( 擬声語 )』 、
星が 『 きらきら 』 光る 、子どもが 『 にこにこ 』 笑うなど 、
ものや人の様子を直接表す言葉を 『 擬態語 』といい 、
こういった言葉をまとめて 『 オノマトペ 』 といいます 。」
( ´_ゝ`)
・「 しーん もこ もこもこ にょき もこもこもこ にょき
にょき …… 詩人 の 谷川 俊 太郎 と 画家 の 元永定正 のコンビ
による、 超ロング・ベストセラー 絵本『 もこ もこもこ 』 に
登場するフレーズである 。『 しーん 』という 、音のない静寂を
表すオノマトペ 。そこから『 もこ 』と一言 。地面がちょっと
だけ盛り上がる 。 ページをめくると盛り上がりが何倍になって 、
『 もこもこ 』と 。次に『 にょき 』と 、小さいモノが顔を出す 。
盛り上がりはさらに巨大になり 、『 もこもこもこ 』 と 。にょ
きっと伸びたモノは食べ られてしまうが 、『 つん 』と盛り上
がりの頭部からまた出てくる 。最後は再び『 しーん 』となる 。
音のリズムに 、鮮やかな色と単純で力強いフォルム 。ストー
リーはあるともないとも言える 。赤ちゃんは 、そして幼児は 、
この物語をどのように受け取るのだろう 。子どもの絵本は 、
オノマトペにあふれている 。子どもはオノマトペが大好きだ 。
子どもを育てたことがある人 、子どもが身近にいる人は 、
彼らがオノマトペを口ずさむ姿を思い出すかもしれない 。
子どもはなぜオノマトペが好きなのだろう? オノマトペには
子どものことばの発達に 、何かよい効果があるのだろうか?
⦅ 今井むつみ ; 秋田喜美 著 『 言語の本質 ことばはどう生まれ 、
進化したか 』 中公新書 所収 ⦆ 」
( ´_ゝ`)
「 古代ギリシア語の 『 ὀνοματοποιία( オノマトポイーア )』
を由来とする 英語の 『 onomatopoeia( オナマタピーァ )』
および フランス語の 『 onomatopée( オノマトペ )』 を日本
語発音にした オノマトピア 、オノマトペア 、オノマトペ を用いる
場合もある 。 日本語訳は数多い 。 」
( ´_ゝ`)
「 逢魔時( おうまがとき )、大禍時( おおまがとき )は 、夕方の
薄暗くなる 、昼と夜の移り変わる時刻 。黄昏どき 。魔物に遭遇す
る 、あるいは 大きな災禍を蒙ると信じられたことから 、このよう
に表記される 。
時 刻
逢う魔が時( おうまがとき )・逢う魔時( おうまどき )ともいい 、
黄昏時( たそがれどき )のことで 、古くは『 暮れ六つ 』 や 『 酉
の刻 』 ともいい 、現在の18時頃のこと 。黄昏時は 黄が太陽を表
し 、昏が暗いを意味する言葉であるが 、『 おうこん 』 や 『 きこ
ん 』 とは読まないのは 、誰彼( 『 誰そ 、彼 』 の意 )時とも表記
し 、『 そこにいる彼は誰だろう 。良く分からない 』 といった薄暗
い夕暮れの事象をそのまま言葉にしたものであるのと 、漢字本来の
夕暮れを表す文字を合わせたものだからである 。」
以上ウィキ情報 ほか 。
ひとは 逢う魔が時に「 不穏 」な気分におそわれることが多い 。 )