今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「大正デモクラシーとは何か、ひと口で言えと言われて私は『口語文』と答えたことがある。大正十年まで新聞記事は全部口語になっていたが、社説だけはえらそうにしたかったのだろう文語文を残していた。それも改めたからこれで全部口語文になった。大正デモクラシーはほかに親不孝が公然と認められたこと、恋愛至上主義、童話童謡の猫なで声、平塚らいてう(雷鳥)のウーマンリブなどだったといえば、なんだ今と同じだと分る。然り、デモクラシーに二つはないのである。
昭和八年に創業した日本橋高島屋は冷暖房完備と大宣伝して三越を凌ごうとした。エレベーターもエスカレーターも舶来のオティスOTISだった。」
「昭和八年はデパートに商品はあふれ、ネオンは輝きバーは満員だった時代で、それは昭和十四年まで続いた。
満州事変(昭和六年)以後十五年をまっくらだったと言いふらしたのは戦後わがマスコミを支配した左翼文化人である。年中『特高』に監視されていた彼らはさぞまっ暗だったろう。私はあれを『お尋ね者史観』と呼んでいる。一般国民はまさか日米大戦争がおこるなんて思ってもいなかった。一喜一憂して日常生活していること今日(こんにち)と同じだった。大正デモクラシーとは何か何度でも言わなければならないと思っている。」
(山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫 所収)
「大正デモクラシーとは何か、ひと口で言えと言われて私は『口語文』と答えたことがある。大正十年まで新聞記事は全部口語になっていたが、社説だけはえらそうにしたかったのだろう文語文を残していた。それも改めたからこれで全部口語文になった。大正デモクラシーはほかに親不孝が公然と認められたこと、恋愛至上主義、童話童謡の猫なで声、平塚らいてう(雷鳥)のウーマンリブなどだったといえば、なんだ今と同じだと分る。然り、デモクラシーに二つはないのである。
昭和八年に創業した日本橋高島屋は冷暖房完備と大宣伝して三越を凌ごうとした。エレベーターもエスカレーターも舶来のオティスOTISだった。」
「昭和八年はデパートに商品はあふれ、ネオンは輝きバーは満員だった時代で、それは昭和十四年まで続いた。
満州事変(昭和六年)以後十五年をまっくらだったと言いふらしたのは戦後わがマスコミを支配した左翼文化人である。年中『特高』に監視されていた彼らはさぞまっ暗だったろう。私はあれを『お尋ね者史観』と呼んでいる。一般国民はまさか日米大戦争がおこるなんて思ってもいなかった。一喜一憂して日常生活していること今日(こんにち)と同じだった。大正デモクラシーとは何か何度でも言わなければならないと思っている。」
(山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「私は戦争中も飢えなかった。皆さん命のセトギワである、ない知恵をしぼって飢えを凌いで今日(こんにち)ある。即ち近在の農家は売るべき米をかくし持っていた。向田邦子の『父の詫び状』は仙台の父の家は別世界だったと書いていた、主客がたらふく食べかつ飲んでいた。
仙台がそうなら福島も山形もそうである。困ったのは東京とそれに次ぐ大都会だけだと書くと自分は飢えたと怒ってくる。個人的にはそうだろう、全体はそうでないといくら言っても承知しない。
骨と皮のウガンダの母子の写真なら見ただろう。飢えとはかくのごときでわが国にそれはなかった。あれは空腹であって飢餓ではなかったというとそれだけは許さぬとおこごとが絶えないのである。」
(山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫 所収)
「私は戦争中も飢えなかった。皆さん命のセトギワである、ない知恵をしぼって飢えを凌いで今日(こんにち)ある。即ち近在の農家は売るべき米をかくし持っていた。向田邦子の『父の詫び状』は仙台の父の家は別世界だったと書いていた、主客がたらふく食べかつ飲んでいた。
仙台がそうなら福島も山形もそうである。困ったのは東京とそれに次ぐ大都会だけだと書くと自分は飢えたと怒ってくる。個人的にはそうだろう、全体はそうでないといくら言っても承知しない。
骨と皮のウガンダの母子の写真なら見ただろう。飢えとはかくのごときでわが国にそれはなかった。あれは空腹であって飢餓ではなかったというとそれだけは許さぬとおこごとが絶えないのである。」
(山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「平成四年現在ゼネコンとは何かと聞かれても誰も知らない。十人に一人知るかどうか。
鹿島建設、清水建設、竹中工務店、大成建設などの大工務店がゼネコン(General Contractor)だと言えば、なあんだそれなら知っていると言うが、それは大企業として知っているので、何をする会社かは知らない。土建屋かなと思っても失礼かもしれないと口をつぐむ。
当らずといえども遠くないのである。清水建設は戦前は清水組といって、明治時代は大工の大棟梁次いで請負師だった。鹿島建設は鹿島組、西松建設は西松組、なかにはいまだに間組、銭高組を名乗っているものもある。何しろ『組』である。その体質は色濃く残っている。
世の変遷に従って請負師は木造からコンクリートに転じ次第に大きくなったが、途方もなく大きくなったのはやはり高度成長以来である。日本中ビルだらけにした。高速道路だらけにした。
地あげしてさら地にしなければビルは建たない。地あげするのは別の零細会社だから、ゼネコンには表向き責任がない。恥じない。ばかりか京都も金沢もビル化するのが近代だと思っている。
昼は何万何千の人を呑吐(どんと)する巨大なビルも夜は人っ子ひとりいない。人が住まない三十階五十階の建物は化物屋敷である。ゼネコンは都民を片道二時間の都外に追放して、日本中を化物屋敷にした。
ビルばかりではない。ゼネコンは橋梁、ダム、港湾、飛行場まで手がけるに至った。土建の仕事の情報は政治家から出る。政治家はそのプロジェクトをコネあるゼネコンにまかせる。百億の仕事なら一億から五億の礼をするのが相場だと聞く。
いま政治献金の半ばは土建関係がまかなっているという。ただし閣僚はそれを『私』するわけではない。右から左に乾分(こぶん)に渡さなければ派閥の親分ではいられぬ(田中角栄を思え。好評だった)。県も市も公民館や美術館をしきりに建てている。その情報も政治家の口から出る。そういう構造になっている。それを知りながらマスコミは書かない。
以上は金の話で、私が言いたいのはそれより文化の話である。トンネル、ダム以下をつくった功を知らないではない。私はこのゼネコンが日本を変貌させたことのほうを言いたいのである。」
「言いたくない言葉だが、ゼネコンには思想がない、哲学がない。やっぱり『組』である。それがこの日本の街のすべてをつくり、今もつくりつつあるのである。そして建築雑誌はもとより大マスコミにも批評がないのである。」
(山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫 所収)
「平成四年現在ゼネコンとは何かと聞かれても誰も知らない。十人に一人知るかどうか。
鹿島建設、清水建設、竹中工務店、大成建設などの大工務店がゼネコン(General Contractor)だと言えば、なあんだそれなら知っていると言うが、それは大企業として知っているので、何をする会社かは知らない。土建屋かなと思っても失礼かもしれないと口をつぐむ。
当らずといえども遠くないのである。清水建設は戦前は清水組といって、明治時代は大工の大棟梁次いで請負師だった。鹿島建設は鹿島組、西松建設は西松組、なかにはいまだに間組、銭高組を名乗っているものもある。何しろ『組』である。その体質は色濃く残っている。
世の変遷に従って請負師は木造からコンクリートに転じ次第に大きくなったが、途方もなく大きくなったのはやはり高度成長以来である。日本中ビルだらけにした。高速道路だらけにした。
地あげしてさら地にしなければビルは建たない。地あげするのは別の零細会社だから、ゼネコンには表向き責任がない。恥じない。ばかりか京都も金沢もビル化するのが近代だと思っている。
昼は何万何千の人を呑吐(どんと)する巨大なビルも夜は人っ子ひとりいない。人が住まない三十階五十階の建物は化物屋敷である。ゼネコンは都民を片道二時間の都外に追放して、日本中を化物屋敷にした。
ビルばかりではない。ゼネコンは橋梁、ダム、港湾、飛行場まで手がけるに至った。土建の仕事の情報は政治家から出る。政治家はそのプロジェクトをコネあるゼネコンにまかせる。百億の仕事なら一億から五億の礼をするのが相場だと聞く。
いま政治献金の半ばは土建関係がまかなっているという。ただし閣僚はそれを『私』するわけではない。右から左に乾分(こぶん)に渡さなければ派閥の親分ではいられぬ(田中角栄を思え。好評だった)。県も市も公民館や美術館をしきりに建てている。その情報も政治家の口から出る。そういう構造になっている。それを知りながらマスコミは書かない。
以上は金の話で、私が言いたいのはそれより文化の話である。トンネル、ダム以下をつくった功を知らないではない。私はこのゼネコンが日本を変貌させたことのほうを言いたいのである。」
「言いたくない言葉だが、ゼネコンには思想がない、哲学がない。やっぱり『組』である。それがこの日本の街のすべてをつくり、今もつくりつつあるのである。そして建築雑誌はもとより大マスコミにも批評がないのである。」
(山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「署名運動は抗議の一手段だというが、以前ずいぶんあってこのごろ少くなった。ほかにハンストもあった。ダイインといって死んだふりするのもあったが、半分死んだ人である私から見ると笑止である。路上で死んだまねしてベトナムに平和が来るのだろうか。
私はテレビは百害あって一利ないと思っている。けれども出来てしまったものを出来ない昔には返せない。」
「原水爆の害を知らぬものはないが、これまた出来てしまったものを出来ない昔には返せない。原爆許すまじ、署名してくれと言われても私はしない。
正義は我にある、署名しないものがあるはずがないと思っているから相手は不服である。」
「私は自分が振出した小切手なら署名する。自分の書いた文章なら署名するが、これは他人の書いた文章だ、故に署名しない。
まさか断られるとは思わなかったのだろう。若者はむっとして事務所の戸を荒々しくしめて去ったが、あの何万人の署名はそのごどうなったのだろう。」
(山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫 所収)
「署名運動は抗議の一手段だというが、以前ずいぶんあってこのごろ少くなった。ほかにハンストもあった。ダイインといって死んだふりするのもあったが、半分死んだ人である私から見ると笑止である。路上で死んだまねしてベトナムに平和が来るのだろうか。
私はテレビは百害あって一利ないと思っている。けれども出来てしまったものを出来ない昔には返せない。」
「原水爆の害を知らぬものはないが、これまた出来てしまったものを出来ない昔には返せない。原爆許すまじ、署名してくれと言われても私はしない。
正義は我にある、署名しないものがあるはずがないと思っているから相手は不服である。」
「私は自分が振出した小切手なら署名する。自分の書いた文章なら署名するが、これは他人の書いた文章だ、故に署名しない。
まさか断られるとは思わなかったのだろう。若者はむっとして事務所の戸を荒々しくしめて去ったが、あの何万人の署名はそのごどうなったのだろう。」
(山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「いま電話もファクスも時空をこえて欧米に直ちに通じる。」
「ファクスはその時間と空間を一挙に無きものにした。一人一日三時間一社で何千時間、日本中で何千何百万時間トクしたが、そのおかげでヒマになった者は一人もない、給料があがった者も一人もない。ただそのぶん忙しくなっただけだ。
結局人間は時間と空間を限りなく『無』にしたくて、まず電話で成功した。鉄道がまだなら飛行機に乗る。どんなに時空を征伐したつもりでも紙一重の時空は残る、人は勝味のない戦いを挑んで勝ったつもりでいる、それに従っている科学技術者はよいことをしているつもりで、つゆ疑ってない。
『機械アル者ハ必ズ機事アリ 機事アル者ハ必ズ機心アリ』と荘子は二千何百年前に言っている。」
「けれども便利というものの誘惑には勝てない。」
(山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫 所収)
「いま電話もファクスも時空をこえて欧米に直ちに通じる。」
「ファクスはその時間と空間を一挙に無きものにした。一人一日三時間一社で何千時間、日本中で何千何百万時間トクしたが、そのおかげでヒマになった者は一人もない、給料があがった者も一人もない。ただそのぶん忙しくなっただけだ。
結局人間は時間と空間を限りなく『無』にしたくて、まず電話で成功した。鉄道がまだなら飛行機に乗る。どんなに時空を征伐したつもりでも紙一重の時空は残る、人は勝味のない戦いを挑んで勝ったつもりでいる、それに従っている科学技術者はよいことをしているつもりで、つゆ疑ってない。
『機械アル者ハ必ズ機事アリ 機事アル者ハ必ズ機心アリ』と荘子は二千何百年前に言っている。」
「けれども便利というものの誘惑には勝てない。」
(山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の「無想庵物語」から。
「私は一度ならず死ぬことを試みたものである。死にそこないは二度と死なないといわれているがそうか。今こうしているのは死ぬまでのひまつぶしだ。私はいついかなるときも他人だ、見物人だ。だから無想庵みたいにやきもちはやかない。やかないがやくものを愚かだとは思わない。むしろやかない自分を不健康ではないかと怪しんでいる。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)
「私は一度ならず死ぬことを試みたものである。死にそこないは二度と死なないといわれているがそうか。今こうしているのは死ぬまでのひまつぶしだ。私はいついかなるときも他人だ、見物人だ。だから無想庵みたいにやきもちはやかない。やかないがやくものを愚かだとは思わない。むしろやかない自分を不健康ではないかと怪しんでいる。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)