「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・01・11

2006-01-11 06:25:00 | Weblog





 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 そろそろ身辺を片づけなければならないと思うようになってから五、六年になる。死目が近く
  なったせいである。昔は人間五十年といったから五十になれば死ぬことを考えた。なお生きて
  いれば隠居した。
   どんな席に出ても自分がいちばん若かったのに、いつの間にか年かさになって、今ではみん
  な年下になってしまったと言ってみるとうなずかない人はない。三十でも四十でもうなずく。
  四十になると愕然とする男がある。もっともこれは死目とは関係がない。もう若くない、前途
  がないとびっくりするのだろうが、以前とちがって今は五十で死ぬ人は少くなったから、一度
  はびっくりしたものの気をとりなおしてまたもとの木阿弥になる。」

  (山本夏彦著「世は〆切」文春文庫 所収)
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蕪村 2006・01・10

2006-01-10 06:30:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は与謝蕪村(1716-1783)の句です。

 「鶯の声遠き日も暮にけり」

 「葱(ねぶか)買(かう)て枯木の中を帰りけり」

 「みのむしのぶらと世にふる時雨哉」

 
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2006・01・09

2006-01-09 07:30:00 | Weblog




 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 私は『脱亜入欧』という言葉が嫌いで、すべての間違いはこれから生じたと思っている。
  福沢諭吉の言葉だそうである。
   この言葉は一世を風靡して、いまだに日本人はこれから出られない。これからも出られ
  ないだろう。日本人は西洋人になりたかったのだ。それに抵抗した最後の人は文士なら漱
  石と鷗外だと思うが、その弟子たちは師匠の学んだ東洋の古典を受けつがないで西洋を受
  けつごうとした。」

 「 なぜ今の私たちが私たちであるのか、しかも今後ともあるのかというと、私たちがわが国
  の古典を捨て、西洋の古典をわがものにすれば西洋人になれると思ったからである。若年の
  私はわが知識人がわが国を『この国』と書くのを見て『にせ毛唐』だと思った。二兎を追う
  ものは一兎を得ない。中国人はいまだに偏平で黄色ではあっても自国を『中華』だと思って
  いる。」


  (山本夏彦著「世は〆切」文春文庫 所収)
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2006・01・08

2006-01-08 07:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「言葉は電光のように通じるもので、説いて委曲をつくせるものではない。言葉は少し不自由なほうがいい、過ぎたるは及ばないのである。」

 「口語文には文語文にある『美』がない。したがって詩の言葉にならない。文語には千年以上の歴史がある。背後に和漢の古典がある。百年や二百年では口語は詩の言葉にはならない。たぶん永遠にならないだろう。
 荷風散人や谷崎がいまだに読まれるのは、口語のふりをして文語だからである。荷風は漢詩文の、谷崎は和文の伝統を伝えている。荷風はボオドレエルの『死のよろこび』の一節を次のように訳した。

  われ遺書を厭み墳墓をにくむ。死して徒に人の涙を請はんより、生きながらにして吾寧ろ鴉をまねぎ、汚れたる脊髄の端々をついばましめん


 ボオドレエルを口語に訳したものはほかに多くあるが、荷風訳に及ぶものはないのではないか。
 私は文語にかえれといっているのではない。そんなこと出来はしない。私たちは勇んで古典を捨てたのである。別れたのである。ただ世界ひろしといえども誦すべき詩歌を持たぬ国民があろうかと、私はただ嘆くのである。」


  (山本夏彦著「世は〆切」文春文庫 所収)
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2006・01・07

2006-01-07 08:50:00 | Weblog





 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から寸言をひとつ。

 「最もよく知るものは、最も知らぬものに分らせることは出来ない、これが鉄則で、両者の間には翻訳者が要る。」

  (山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
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2006・01・06

2006-01-06 06:10:00 | Weblog





 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 昔も今も原則として新聞記事は匿名で、『私』はどこにもいないしたがって
  その言論には責任者がいない
戦争中の言論に責任者が出なかったのは、そして平気なのは
  このせいである

   ただひとり海外特派員は署名する。けれどもそれを見るのは特派員の妻子と同僚だけである。昔その
  特派員の一人が日独提携を阻止する原稿を書いたという。何度没書になっても書くので仲間が『よせ』
  ととめた。本社のおぼえが悪くなるだけだ、左遷されるぞと言ったが邦家のためだと言ってやめない。
  仲間たちははじめ忠告し、やがて『村八分』にした。ベトナム戦争のときも文化大革命のときもそうで
  ある。記者は目の前の事実を見ないで、本社のデスクを見て書いた。
   印刷された言葉はすべて売買された言葉で、それには原稿料または給金が支払われる。読者は売買さ
  れない言論を読む機会を全く持たない。売買された言論が自由である道理がないと言うと、自費出版す
  る自由があるという。それは怪文書のたぐいで、最もそれを信じないのが読者なのである。故に一流
  新聞に印刷された言論が唯一の言論なのである。」

 「 新聞は読者を一人でも失うまいと迎合する。善玉と悪玉に分けないと読者は理解しないから、
  社会主義は善玉、資本主義は悪玉、第一組合は善玉、第二組合は悪玉と書く。鉄労は第二組合だから黙
  殺する
。」


  (山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
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2006・01・05

2006-01-05 06:05:00 | Weblog





 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 産業革命の代表は汽車汽船電信電話など数々あるが、いずれも時間と空間を無くそうとする試みである。
  私はそれを電話に代表させて、ほとんど憎んでいる。電話は魔ものだと思っている。電話は時空をとびこ
  えてパリにロンドンにいつでもつながる。ファックスは瞬時にして原稿そのものが届く。何度も言うが原
  稿依頼、催促、受領の時間は要らなくなった、それだけひまができたか、給金があがったかというと、不
  思議ではないか、そのぶんただ忙しくなっただけである。」

 「 この世はひとたび出来たことは出来ない昔にもどれないところなのである。」


  (山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
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2006・01・04

2006-01-04 09:00:00 | Weblog





 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 私は年齢というものを認めてない。共に生きている限りみんな同時代人、同いどしだと
  思っている。歳月は勝手に来て勝手に去る歳をとったからといって
  利口になりはしない
女が永遠に十七なら男もそうだ。」

 「 人は多く年齢にこだわる。ことに並の老人はほかに自慢するものがないから、年をとったことを
  自慢する。年齢を認めないと怒る」


  (山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
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2006・01・03

2006-01-03 09:50:00 | Weblog





 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 谷川徹三は年九十になってもまだ老人になれないと以前述懐したことがある。漱石が死んだ
  のは大正五年数え五十のとき、鷗外は大正十一年数え六十一のときである。谷川よりはるかに
  若く死んだが、すでに老成していた。
   芥川龍之介は漱石の葬式のとき受付にいて、弔問客のなかに神采奕々(しんさいえきえき)と
  あたりを払う人がいるのを見て、誰かと問うて森鷗外だと聞かされてさもありなんと思ったと
  いう。
   なぜ谷川徹三は彼らのような老人になれないかというと、彼らは幼いときから漢籍の素読を
  受けていた。彼らは漢詩文を自由に読み且つ書くことができた。谷川はできない。谷川も素読
  を受けてはいるが、頼山陽の『日本外史』である。それに漢文の時代はすでに去っている。子
  供心にもそれが分るから身につかない。また山陽の漢文は和製漢文だと漱石は山陽を避けて徂
  徠を学んだ。ここに若い漱石の見識を見ることができる。
   漱石の英文学の衣鉢を継ぐ弟子はあっても、漢詩文のそれを継いだものは一人もない。した
  がって漱石の漢詩文はながい間黙殺されていたが、一流中の一流だそうである。なん十年か
  たって吉川幸次郎が折紙をつけた。」

 「 大正デモクラシーは大は儒教から小は口上、挨拶まで亡ぼした。俗に断
  絶というがそれは明治にはじまって、いま完了したところである。私たちの父祖は
  東洋の古典を捨てて西洋の古典を得ればいいと勘ちがいして、その両方を失ったのである

  今後とも私たちは谷川のように年をとれなくなったのである。
   魯迅は『にせ毛唐』といったが、日本の男は全員にせ毛唐になったのである。こ
  れまで女はからくも日本の女だったが、教育が普及すると共に男と同様にせ毛唐になった。
  西洋人は仲間だと思っていないのに、自分は仲間だと思って永遠にあなどられるようになっ
  たのである
。」

  (山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
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2006・01・02

2006-01-02 12:35:00 | Weblog




 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 歴史はごく古い時代は材料が少なすぎて分らないごく新しい時代
  は材料が多すぎて同じく分らない
というほどのことをむかし魯迅は講演で述べた。また
  某朝の支配が長ければそのなかにすぐれた人物が多くいて、某朝の支配が短かければその
  なかにすぐれた人物はほとんどいない
とも言った。支配が長ければ歴史を書く
  のは同時代人だから当然同朝人をよく言う(碑文を見よ)。それを倒した別朝人なら遠慮なく悪く
  言う。共に信用できない

   魯迅は『魏晋の文学と酒と薬の関係』という講演の冒頭でほぼ右のようなことを言った。私は少
  年のときそれを読んで強く打たれた。当り前のようだが、このなかには古今を通じて誤らない『本
  当のこと』がふくまれている。私はこの言葉に教えられて戦中戦後書かれた夥しい言論をうのみに
  しないですんだ。
   最も材料が多くて分らないのは『現代』である。ベトナム戦争についての報道は北ベトナムを
  『是』とするものだけあって、他はほとんどなかったから、何やらありがたそうな『情
  報化時代』は同じ情報を湯水のように流す時代だ
と承知した。
   説得力のない情報は情報ではないから、その力がない情報はひたすら繰返すのだなと理解した。
   異口同音に言えば人は信じるに至る。ただしそれは豊富ではない。重複である。」

  (山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
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