今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 昔も今も原則として新聞記事は匿名で、『私』はどこにもいない。したがって
その言論には責任者がいない。戦争中の言論に責任者が出なかったのは、そして平気なのは
このせいである。
ただひとり海外特派員は署名する。けれどもそれを見るのは特派員の妻子と同僚だけである。昔その
特派員の一人が日独提携を阻止する原稿を書いたという。何度没書になっても書くので仲間が『よせ』
ととめた。本社のおぼえが悪くなるだけだ、左遷されるぞと言ったが邦家のためだと言ってやめない。
仲間たちははじめ忠告し、やがて『村八分』にした。ベトナム戦争のときも文化大革命のときもそうで
ある。記者は目の前の事実を見ないで、本社のデスクを見て書いた。
印刷された言葉はすべて売買された言葉で、それには原稿料または給金が支払われる。読者は売買さ
れない言論を読む機会を全く持たない。売買された言論が自由である道理がないと言うと、自費出版す
る自由があるという。それは怪文書のたぐいで、最もそれを信じないのが読者なのである。故に一流
新聞に印刷された言論が唯一の言論なのである。」
「 新聞は読者を一人でも失うまいと迎合する。善玉と悪玉に分けないと読者は理解しないから、
社会主義は善玉、資本主義は悪玉、第一組合は善玉、第二組合は悪玉と書く。鉄労は第二組合だから黙
殺する。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
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