勤め人時代に中間管理職を務めていた頃、上司と下僚の板挟みになることがありました。
同僚同士や下僚同士が角突き合わせることもよくありました。男女を問わず、官民を問わず、
そうした人間関係はどこの職場でも見られます。昔も今も変わりません。
組織内の人間関係の中で一番始末の悪いのが、同じ部門の年長の上司二人の不仲です。事ある
毎に反目し合い、諍いの原因が知れぬまま、片方の下僚として大いに迷惑したことがあります。
人間ですから、相性が悪いとか、どうしても反りが合わないということはあります。それでも
「私事」を「公の場」では抑えるのが、社会生活を送る上での「たしなみ」というものです。
我を忘れて争うとき、人の本性があらわれます。人物の器量が端無くも露呈します。為にする
論争が多いからで、諍いの原因がどちらの側にあるにせよ、人間としての評価は「不可不可
(ぺけぺけ)」です。喧嘩両成敗ではありませんが。
諍いは、日常の仕事関係の些細な行き違いに端を発しますが、根本原因は、一方または双方
の、持って生れた我執の強さ、独善、狭量さにあることが多いのです。どっちが勝っても多寡
が知れている、つまらぬ確執、憎みあいから遠ざかることが出来るのも勤め人をやめることの
効用です。
川島喜代詩さんの「出版人の万葉集」という歌集に次のような歌があることを朝日新聞の
「折々のうた」で知り、そういう感慨を覚えるひともいるのだと、書き留めました。
「二十年 へだてて会へば かの日々に 悪みし顔の 老いてちひさき」
役員になって俄かに「強面」になり、下僚を恫喝してビビらせまくる上司であるとか、能力は
高いのにその人間性の故に尊敬すること能わざる上司には、勤め人だった頃に、随分と遭遇した
ものです。
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