「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

生涯現役 2005・02・04

2005-02-04 07:00:00 | Weblog
 人間の一生は繰り返しがききません。常に新しく生れてきた者の一回限りのことであり、先人を超えて進歩することがありません。常に進歩を続ける科学技術と違うところです。一から学習しつつ、上昇ないし下降、成長ないし衰退を繰り返し、身から出た錆の「後悔」を重ねるのが普通のひとの人生かと思います。

 山本夏彦さんの随筆の中に次のような一節があります。

「孔子の子は孔子の到着した地点から出発できない。一からやり直して孔子の域に達することはおぼつかない。一から学んでその半ばにも達しないからです。」と。


 死に際に「我が人生に後悔なし」などと嘯くのは自己欺瞞、強がりに過ぎません。
 鈴を付ける者がいないことをいいことに、表舞台に居座り続け、言葉とは裏腹に地位に恋恋とし、責めたてられて、堪らず辞任に追い込まれたと思ったら、ちゃっかり組織の「顧問」や「相談役」として残り、あわよくば「院政」を敷こうと図る。官民問わず、そういう人間を見掛けることが多くなったような気がするのは錯覚です。大昔から何も変わっちゃおりません。この先も変わらんでしょう。

 「組織」というのは実体があるようでいてないのです。組織に忠誠心を覚え、組織に貢献しているつもりでも、その思いほどに組織がそれに応えることはありません。「組織は君が思うほどには、君のことを思っていない」と誰かが言っていましたが、組織を動かしているのが生身の人間で、その人間、とくに組織をリードする立場にある人間が、我欲に駆られて行動し、組織を私物化している場合には、組織は腐ります。組織に自浄能力はなく、あくまで人間次第です。「組織」を「会社」とか「団体」とか「役所」」とか「国」とかと読み替えるとよくわかります。

 戦後60年、世の中に刹那主義、拝金思想が蔓延する中、修身、徳目を家庭で、そして学校で教えられた筈の世代の大正から昭和一桁生まれの「現役」老人、それも表舞台で組織をリードする立場にある人間の中から、それが仕事の「責任」も取れず、「晩節を穢す」ことにためらいのない者が「輩出」しています。今から20年後、75歳以上の高齢者の仲間入りする団塊世代がどっと「生涯現役」などと言い出して、後から来る人の通り道の邪魔をするのかと思うとぞっとします。

世のため、人のためにならない「生涯現役」老人は願い下げで、とっとと退場願い、せめてひっそりと生きていていただきたく切に思います。

 
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