今日の「 お気に入り 」は、山本夏彦さん ( 1915-2002 ) のコラム集から 。
「 ある日のことでございます 。お釈迦様は極楽の蓮池のふちを 、
ひとりでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました 。( 略 )
極楽は丁度朝なのでございましょう ―― とは芥川龍之介の名高い
『 蜘蛛の糸 』の書きだしである 。
多くの子供たちのように 私もまたこのお話を読んで 、極楽という
ものがあることをぼんやり承知した 。それは手のとどかない
『 無何有郷( むかゆうきょう )』だと思っていたら 、そうでない
ことが分った。極楽の条件が暖衣飽食にあるなら 、いま私たちは
その中にある 。
着るものは 着る人口の何倍もあって 、よりどり見どりである 。
メーカーは いつまで同じものを着られては迷惑だから 、流行を
つくって 一両年でそれを流行遅れにして 、捨てるようにしむけ 、
私たちは喜んで捨てるようになった 。
何年か前 娘たちはグルメ案内を手に食べ歩いて 、それも飽きて
今は食いものを捨てるようになった 。三十年来物乞う人はいなく
なった 。わずらえば 保険がある 。初診料 八百円 を払えば あとは
タダ同然だった時代が続いた 。八百円なんか金ではない 。病院は
老人でいっぱいで 、そのせいで 人生五十 が 七十八十まで延びたと
医者はいう 。私たちは自動車を持った 。海外を旅するものは
千万人を超えたという 。
もう一つ 、私たちは助平になった 。密通姦通不倫自在になった 。
酒池肉林といって 昔は 王侯貴族がひとりほしいままにして 、
人民は 指をくわえて そのなかの野心家が革命を起し 、こんどは
自分が同じことをほしいままにして 再び三たび 革命を招いたが 、
今は 匹夫匹婦が 王侯同然になったのだから 、それは開闢以来の
椿事で 、もう倒し手はないのである 。
―― ある日のことでございます 。お釈迦様は蓮池のふちを 、
ひとりで ぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました 。そして
下界を眺めて 下界が極楽になったことをごらんになったのです 。」
( 山本夏彦著「 世間知らずの高枕 」新潮文庫 所収 )
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