今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「向田邦子一周忌」と題した昭和57年のコラムの一節です。
「向田邦子はこの物語の半ばをすぎてから、はじめてこれが昭和11年から十二年にかけての出来事だと読者にあかしたのである。字幕に昭和十一年夏とでも書けばすむことを、こまごまデテールをつみあげ、それがその時代以外のいかなる時代でもないことを示したのである。その上でようやく打ちあけたのである。仙吉が四十三とすれば二人の軍隊時代はほぼ二十年前で大正年間である。
盧溝橋事件は昭和十二年七月七日で、これが日支事変の発端である。それまではネオンはかがやき物資はあふれ、金さえ出せば何でも買えた時代である。ただ金がなかったから、または乏しかったから、乏しくなくてもいつ病気するか失業するか知れなかったから、部長でも二流三流で財産がなければこんな暮しぶりだったのである。
一両年を経て私は『あ・うん』を再読して、ここには尽せないほどのものを発見した。もう一度読んだらなお発見するだろう。その作者が不慮の事故にあうとは神も仏もないが、この世はしばしば神も仏もないところだから、向田邦子はそれなりに完成した作者として終ったのだと私はあきらめることにしたのである。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「向田邦子はこの物語の半ばをすぎてから、はじめてこれが昭和11年から十二年にかけての出来事だと読者にあかしたのである。字幕に昭和十一年夏とでも書けばすむことを、こまごまデテールをつみあげ、それがその時代以外のいかなる時代でもないことを示したのである。その上でようやく打ちあけたのである。仙吉が四十三とすれば二人の軍隊時代はほぼ二十年前で大正年間である。
盧溝橋事件は昭和十二年七月七日で、これが日支事変の発端である。それまではネオンはかがやき物資はあふれ、金さえ出せば何でも買えた時代である。ただ金がなかったから、または乏しかったから、乏しくなくてもいつ病気するか失業するか知れなかったから、部長でも二流三流で財産がなければこんな暮しぶりだったのである。
一両年を経て私は『あ・うん』を再読して、ここには尽せないほどのものを発見した。もう一度読んだらなお発見するだろう。その作者が不慮の事故にあうとは神も仏もないが、この世はしばしば神も仏もないところだから、向田邦子はそれなりに完成した作者として終ったのだと私はあきらめることにしたのである。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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