
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「古往今来税金をとりすぎる国家はつぶれます。」
「郵便局の貯金は死んだ金だと私は見ています。」
(山本夏彦著「おじゃま虫」所収)
「銀行と郵便局の違いは、銀行は明るいが郵便局は暗い。銀行はいらっしゃいましと言うが郵便局は言わない。銀行は都会にしかないが郵便局はどんな村々にもある。銀行は株式会社だが郵便局は株式会社ではない。銀行は郵便物を扱わないが郵便局は扱う。」
「銀行は金を預かるだけでなく貸す。郵便局は預かるだけで貸さない。これが決定的な違いだったが、何年か前から郵便局も貸すようになった。」
「何度も言うが預貯金というものは、国税と地方税をとられた残りである。私なら法人税、源泉徴収、総合所得税、住民税をとられてようやく残ったカスである。いまいましいからいつもカスと言っているが、宝と言っても同じことである。それを預金して得た零細な利息に、さらに課税するとは二重三重の悪税で、こういうことを思いつくから税吏を並の人間ではないと私は差別するのである。並の人なら思いもよらないことを、今後ともまだまだ思いつくだろう。」
「郵便局に集まる金は個人の金で法人の金ではない。個人の金はたとい一億円でもそれは死んだ金で、法人の金は生きて動く金である。退職金三千万円を十口に分けたっていいではないか。退職金なんて一巻の終りの金である。それに課税するのがそもそも間違いなのである。しかも郵便局の貯金はどうせ大蔵省が吸いあげて天下国家のために使う。脱税したって結局はとりあげられるのである。生きて動いている金は何をするか分らない金で、それは銀行にしか集まらない。銀行と郵便局は決定的に違うのである。」
「この世にくぐれない法網はない。破れない錠前はない。だから法の網は粗いほうがいいのである。こまかくすればするほど人は秘術をつくしてくぐるだろう。」
「金持がいて、中くらいがいて、貧乏人がいて、かっぱらい巾着切ドロボーのたぐいがいて、そして橋の下には乞食がいて、はじめて世の中である。それは老若男女がいて賢愚美醜がいて、はじめて世の中であるに似ている。」
(山本夏彦著「恋に似たもの」所収)
「古往今来税金をとりすぎる国家はつぶれます。」
「郵便局の貯金は死んだ金だと私は見ています。」
(山本夏彦著「おじゃま虫」所収)
「銀行と郵便局の違いは、銀行は明るいが郵便局は暗い。銀行はいらっしゃいましと言うが郵便局は言わない。銀行は都会にしかないが郵便局はどんな村々にもある。銀行は株式会社だが郵便局は株式会社ではない。銀行は郵便物を扱わないが郵便局は扱う。」
「銀行は金を預かるだけでなく貸す。郵便局は預かるだけで貸さない。これが決定的な違いだったが、何年か前から郵便局も貸すようになった。」
「何度も言うが預貯金というものは、国税と地方税をとられた残りである。私なら法人税、源泉徴収、総合所得税、住民税をとられてようやく残ったカスである。いまいましいからいつもカスと言っているが、宝と言っても同じことである。それを預金して得た零細な利息に、さらに課税するとは二重三重の悪税で、こういうことを思いつくから税吏を並の人間ではないと私は差別するのである。並の人なら思いもよらないことを、今後ともまだまだ思いつくだろう。」
「郵便局に集まる金は個人の金で法人の金ではない。個人の金はたとい一億円でもそれは死んだ金で、法人の金は生きて動く金である。退職金三千万円を十口に分けたっていいではないか。退職金なんて一巻の終りの金である。それに課税するのがそもそも間違いなのである。しかも郵便局の貯金はどうせ大蔵省が吸いあげて天下国家のために使う。脱税したって結局はとりあげられるのである。生きて動いている金は何をするか分らない金で、それは銀行にしか集まらない。銀行と郵便局は決定的に違うのである。」
「この世にくぐれない法網はない。破れない錠前はない。だから法の網は粗いほうがいいのである。こまかくすればするほど人は秘術をつくしてくぐるだろう。」
「金持がいて、中くらいがいて、貧乏人がいて、かっぱらい巾着切ドロボーのたぐいがいて、そして橋の下には乞食がいて、はじめて世の中である。それは老若男女がいて賢愚美醜がいて、はじめて世の中であるに似ている。」
(山本夏彦著「恋に似たもの」所収)
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