今日の「 お気に入り 」は 、どこかで見掛けてメモした言葉
と 、どなたかの邦訳 。
” Life is nothing but a competition to be the criminal
rather than the victim . ―― Bertrand Russel ”
「 人生は被害者ではなく加害者になるための競争だ 」
( ´_ゝ`)
「 エリス 」も「 ピロラ 」も拡散中 、
「 スギ花粉 」も「 黄砂 」も「 PM2.5 」も 相変わらず
舞い飛んでるのに 、マスクかけてる人 めっきり減った 。
能天気 、 嗚呼 脳天気 。
神無月に 、老夫婦二人7回目接種を終え 、もう 霜月 。
もうすぐ 師走 。
島根県出雲地方では、10月を 神在月( かみありづき )
と言うそうな 。
( ついでながらの
筆者註:「 第3代ラッセル伯爵 バートランド・アーサー・
ウィリアム・ラッセル( 英: Bertrand Arthur
William Russell , 3rd Earl Russell , OM, FRS 、
1872年5月18日 - 1970年2月2日 )は 、イギ
リスの哲学者 、論理学者 、数学者 、社会批
評家 、政治活動家 である 。
貴族のラッセル伯爵家の当主であり 、イギ
リスの首相を2度務めた 初代ラッセル伯
ジョン・ラッセル は 祖父にあたる 。
名付け親は 同じくイギリスの哲学者 ジョン・
スチュアート・ミル 。ミルはラッセル誕生の
翌年に死去したが 、その著作は ラッセルの生
涯に大きな影響を与えた 。生涯に4度結婚し 、
最後の結婚は 80歳のとき であった 。1950年に
ノーベル文学賞を受賞している 。
生 涯
1872年 - 5月18日 に生まれる 。貴族によくみられるように
正規の初等・中等教育を受けずに 、1890年 、ケンブリッジの
トリニティ・カレッジに入学 。その後 しばらくケンブリッジ大学で
教鞭をとる 。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの才能を早くに
見抜き 、親交を結ぶとともに 、良き理解者として 『 論理哲
学論考 』 の出版などを支援した( が寄せた序文には 大幅
な誤解があった )。
1916年 - 平和運動 、婦人解放運動 に熱中したため 、
ケンブリッジ大学を解任される 。
1918年 - 6か月の間 、投獄される 。
1931年 - 祖父の後を継いだ兄フランシスが死去 、ラッセル
伯位を継承 。
1938年 - 3度目の夫人と共にアメリカ合衆国へ移住 。
1944年 - イギリスに帰国 。
1955年 - 7月9日 核廃絶に対する共通の想いから親交の
あった アルベルト・アインシュタイン と 『 ラッセル=
アインシュタイン宣言 』 を発表した 。この宣言が パグ
ウォッシュ会議 の開催へと発展した 。
1961年 - 百人委員会を結成 。2度目の入獄をする 。
1970年 - 97歳で死去 。」
⦅ 以下 バートランド・ラッセルの名言といわれるているものをいくつか 。⦆
「 自分で自分の価値を過大評価しないように 。
Don’t overestimate your own merits .
最も強い希望は、絶望から生まれる。
Extreme hopes are born from extreme misery .
人は生まれたとき無知であって 、ばかではない 。教育によって
ばかになるのだ 。
Men are born ignorant , not stupid . They are made stupid by
education .
突飛な意見を持つことを恐れるな 。今日認められている意見は
皆 、かつては突飛だったのだ 。
Do not fear to be eccentric in opinion , for every opinion now
accepted was once eccentric .
それが何であれ 、あなたの得意なことが幸福に導いてくれる 。
Anything you’re good at contributes to happiness .
浪費するのを楽しんだ時間は 、浪費された時間ではない 。
The time you enjoy wasting is not wasted time . 」
以上ウィキ情報 ほか 。
おじいちゃんの代からの 俄か貴族 の 三代目 ( 父をとばして 兄が
二代目 ) 。
97年も生きてれば 、口数も多い 。賞も貰えば 、投獄もされる 。)
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