「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・08・26

2006-08-26 11:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「日本人のすべてが同じ狂言を見て、その主人公を知っていてはじめて文化である。西洋ではいまだにそうである。シェイクスピアやモリエールの劇中の人物は、生きている人より生きているとは以前書いた。わが国でそれに当るのは『忠臣蔵』だが、昭和六年の浅草ですでにこれを知らない役者が多かったというから、このころから私たちはもう共通の人物を持たなくなったのである。『可愛や妹、わりゃなんにも知らねえな』というのはお軽の実の兄寺岡平右衛門のせりふである(七段目)。
 そのお軽の夫勘平は、舅与市兵衛を鉄砲で誤って殺したと早合点して切腹している。(六段目)。すでに勘平が死んでいるのにお軽は『私には勘平さんという夫ある身云々』と兄に言う。兄はこらえきれず『可愛や妹、わりゃなんにも知らねえな』と口走ったのである。見物は勘平が自殺しているのを前の幕で知っているから、平右衛門の嘆きを共に嘆くことができるのである。
 『金は女房を売ったる金』というのはお軽を売った勘平のせりふである。『勘平さんは三十になるやならずに死ぬるとは』というのはお軽の嘆きである。
 歌舞伎から出た名文句ならまだいくらでもある。新派から出たものもある。『金色夜叉』の間(はざま)貫一は来年の今月今夜の月をぼくの涙でくもらしてみせると言った。『不如帰(ほととぎす)』の浪子は千年も万年も生きたいわと言った。
 新派の全盛時代は短かったが、それでも代表的なせりふはいくつか残っている。ところが新劇にはそれが一つもない。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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